春は終わる
満足である。非常に満足だ。
急遽のデートであったにも関わらずこの満足感。心太さんが素晴らしいのか、それとも私たちの相性が抜群なのか。
まあ何でも良い。楽しければ。幸せならば。私はそれで良い。
『あっつあつだねぇ。新婚さんみたい』
琴葉ちゃんが冷やかしてくるが、今日はそれすらも許せちゃうぐらいに幸福感に満ち溢れている。
『あとで詳しいお話聞かせてね!』
あ、ごめんなさい調子乗りました。それは勘弁して。毎度感情を思い起こす度に地面をゴロゴロ転がり回りたくなるぐらいに恥ずかしいから。
しかも琴葉ちゃん、絶対に私が全てを話し終えるまで解放してくれないから質が悪い。
弱ってる心太さんを見て少しだけ興奮している感じとか、絶対に彼女には話せないよ……。
「……もしかしてデートの度こうなる?」
『ご名答! 覚悟しててね~』
おい待てこら。聞いてないよそれ!?
家の中なのでむやみやたらに叫ぶわけにもいかず、ぐぬぬと唸り声を出すしかできないのが辛い。
『それにしても響くん。とんでもない楽譜作ってたんだね』
「ああ、それは確かに……」
初めて聴いた響くん作詞作曲の楽曲。シンプルに凄まじい楽譜だってことが素人目線でも分かるぐらい、恐ろしくも勇ましい曲だったと思う。
それを心太さんなりにアレンジを加え、仮の完成にまで持っていったのが今日聴かされた楽曲だ。
『あれを演奏しきるお兄ちゃんも凄いよね。演奏してる人が目や鼻から血を出したり、頭痛でダウンする楽譜なんて見たことないんだけど、それを完成させて弾いちゃう辺りが』
本当にその通りだ。私だって初めて見たし聴いたよ。あんなに演奏者へ負荷を与える曲なんて。
初見じゃまず完走は不可能だろあれ。そう思わせるぐらい、凄まじい楽譜なのだ。
『流石、響くんの魂を受け継いだ人だなって思った。最初から凄い人だとは思ってたんだけど、今日さらに見直しちゃった』
「……惚れたらダメだよ? 心太さんは私の彼なんだから」
『はいはい。私は響くん一筋だから安心してね~』
ちぇっ、くそう。相変わらず食えない人だ、琴葉ちゃん。本当にランばあちゃんの言う普通の女の子なのだろうかと疑いたくなる。
しかし、こうやって話すのは楽しい。あ、ドМではありませんよ? 勘違いした人は彫刻にします。
琴葉ちゃんとの会話は、女友達との会話をしているのに等しいと私は思っている。京香さんとはまた違う、恥ずかしいながらも楽しい気分になれるのが琴葉ちゃんだ。
自室から声が漏れない程度の大きさで琴葉ちゃんと話していると、時間が経つのがかなり早く感じる。やっぱり楽しい時間はすぐ過ぎてしまうのだろう。
「お風呂入るか……」
部屋を出て風呂へ向かう。
その道中で、リビングから出てきたお父さんと私は鉢合わせした。
「ああ、心愛。ちょうど呼ぼうとしてたとこだ」
「何? 風呂入ろうと思ってたんだけど……」
お父さんの目を見るに、どうやらかなり重要な話をすべく私を呼ぼうとしていたらしいことが分かった。
咎めるような口調はしつつも、私は特に嫌がる素振りはせずにリビングへ入った。
リビングには、何やら手紙らしきものを持っているお母さんもいる。
「話って?」
「それがな心愛。お前の絵を海外の有名な絵師がいたく気に入ったらしくって。さっき父さんに電話が来たんだよ。娘さんを私に預からせてくれませんか、ってね」
……は? 何それ。
「母さんにも手紙とパンフレットが届いたよ。ほら」
「これって……」
お母さんの手から受け取ったパンフレットは、世界的にも超有名な国立美術大学の案内であった。
一方手紙には、フランス語で長々と何かが書かれている。
要約するとこうだ。
「わが校へ是非入ってくれないか。入学金、学費、日本からフランスへの旅費等全て大学が支払いをする」
私が現在通っている美術大学も相当にランクが高いのだが、それ以上の場所からお誘いが来やがった。
日本トップで満足していたら、今度は世界トップの美大からオファーが。しかも恐ろしいくらい破格の条件と共に。
全国の美大生が夢に見る国立美術大学からのお誘い。流石の私も、これには驚いて言葉が出ない。
「父親としても鼻が高いよ! 世界的にも有名な絵師の家に住まわせてもらいながら、超有名美大に通えるんだ。ますますこれからの心愛が楽しみだ!」
「……フランスへ行くの? 私が?」
何それ。全然嬉しくない。
つまりあれだ。心太さんと離れろってことだ。
フランスなんかに行ったら、そう簡単には心太さんと会えなくなる。そんなの耐えられない。絶対に耐えられない。
今でさえ、会えない日々が増えれば増えるほどメンタルが崩れるのに。年単位で会えない可能性があるフランス行きなんて、認められるはずがない。絶対に嫌だ。
「嫌だよ。行きたくない」
「え?」
「え? じゃないよ。私は絶対行かない。行きたくない」
心太さんだけじゃない。京香さんとも。颯斗さんとも。あの素晴らしく理解ある友人と離れるだなんて。
無理だ。絶対無理。知らない異国の地で新しく友人なんて作れない。
「断って。もし無理にでも行けって言うなら、私は縁切りも辞さない」
吐き捨てるように言葉を叩きつけると、私はリビングを出て風呂へ直行した。
湯船に浸かり、ブクブクと泡を水面に立てながら私は、お父さんから話されたことを改めて反芻して深い疑問を抱く。
タイミングがおかしい。あまりにも急すぎる。
確かに今通ってる大学を中退して、フランスへ旅立つことは物理的には可能だ。
中退の2文字が霞むぐらい、誘いがきた大学は有名だから。卒業さえすれば、文句を言う輩はまず現れない。
だが、何でこのタイミングで。教授からの私への相談もなしに。普通あっても何ら不思議ではないのに。
何か陰謀めいたものを感じる。何となくではあるが、途轍もなく嫌なことが起きる。そんな予感が頭から離れない。
下手したら、心太さんへも影響が行くのでは……?
「こうしてられない。まずは心太さんに……!」
大急ぎで体と髪の毛を洗い、着替えをして。自室へ戻ってスマホを手に取った私は、心太さんへ1通のメールを送った。
だが、その日の日付が変わっても。既読が付くことはなかった。
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