夢幻に広がれ

「ふう。流石にちょっと休憩するか」


 曲も随分と形を成してきた。授業中も基本はこの曲のことを考えていた甲斐もあり、今では随分と小節数も増え、1つの大きな曲目として捉えても不思議ではない分量である。


 後は軽く手直しをするぐらいだ。大本はこれで完成したと言えよう。


 まあ、その分だけ演奏している人間に対する負担はえげつなくなったのだが……。


 弾いてる最中に鼻血が噴出したり、頭痛で倒れそうになったりが頻発するのはこの曲ぐらいだろう。


 自分の肉体を生贄に捧げてまで。そして、命の危険すら伴うこの曲を完成させようだなんて。その様子は、もはや狂気じみてるかもれない。


 そんな僕を好いてくれている心愛も、実は狂っていたりしてね。


「心太さん。もしかして今、何か失礼なこと考えました?」

「……いいや?」


 いやめっちゃ怖い。何で分かるんだろう?


「彼女ですから」


 それで全部片づけられるんじゃないかな。


 と、ある程度じゃれ合いつつも仲はこの前よりも深まっている。サル様様だろう。感謝は絶対しないけど。


 休憩中は、キャンパスノートに絵を描いている心愛の隣に座ってお茶を飲む。そしてじゃれ合う。これが中々楽しい。


「邪魔じゃない?」

「全く。むしろ捗ります」


 何が捗るのかは謎だが、嫌ではないならこうしていよう。居心地がトップクラスに良いし。


「それ、何の絵なの?」

「心太さんの絵ですよ。作曲している心太さんの絵」

「……こんな凛々しい顔してるの?」

「ちょっとだけ脚色してますけど、大体は事実をそのまま描いてます。心太さん、何やっていても凛々しいですから」


 お互い紙装甲なのに、反動が必ず訪れる自爆技でしか攻撃を仕掛けない。屈託のない褒め言葉を受けた僕は当然として、何故か心愛までもが羞恥心という大ダメージを受けているのである。


 これがバカップルだ。幼い子供ですらも近寄るのをためらう空気を放つ。普段なら子供がこの部屋でキャッキャッと遊んでいるのだが、今日に限ってはそれがない。


 まあ、こんな空気の中に飛び込む勇者は中々存在しないだろう。少なくとも僕は無理だ。


「そ、そうだ。曲が完成したんだけどさ。良かったら聞いてくれないかい? もし良ければ、曲の感想もお願いしたい」

「曲、ですか。さっきからずっと試行錯誤してるやつですよね? でも私、音楽には詳しくないから大層な感想は……」

「いや、良いんだ。飾った言葉はむしろ必要ない。ただ、君が思ったままの感想を伝えてくれたら、僕はそれで良い」


 心愛。そして琴葉ちゃん。君たち2人の、率直な感想が聞きたいのだ。響くんが命を賭してまで完成させたかった楽曲の、飾り気のない正直な感想を。きっと彼も、それを望んでいる。


 少し不安げな心愛の頭を撫で回す。心配しなくて良い。君なら絶対に、心からの言葉で感想を伝えられるから。


 その意を込めながら手を動かしていると、不意に心愛は両の手で僕の腕を掴んだ。


「……分かりました。あなたが言うなら」


 上目遣いで微笑む心愛。死ぬほど可愛い。


 思わず押し倒したくなる衝動を何とか理性で抑え込み、僕はピアノの前に座る。


『ねえ。僕も弾いて良い?』


 楽譜を広げると、響くんが表層に現れた。ここまで沈黙を続けていた響くんだったが、ある程度は完成したこの楽譜を見て我慢ができなくなったらしい。


 この辺は普通に年相応だ。神さまでも仏さまでもない。ただの子供。神秘的で超人的な一面に隠れているだけで、彼もしっかり子供なんだと思う。


 むろん、断る道理はない。


『もちろんだよ。連弾しよう』


 元は君が作り上げようとしていた楽譜だ。君が弾いてはいけない理由なんて、どこにも存在しないよ。


 顔こそ見えないが、響くんは僕の言葉を聞いて微笑んだ。そんな気がした。


「始めようか」

『うん、始めよう』


 さあ、夢幻に広がれ。神の音色よ。


 神さまが手をかけた楽曲。その仕上げを今、この場で始めようではないか。

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