残念ですが
「ぶふっ!?」
昼休み。友人に「恋人の写真見せろ」とせがまれ、渋々ながらも心愛にメールを送ったのだが……。
心愛から数枚の写真が送られてきたのだが、どれも可愛いものばかりで軽く腰が抜けそうになった。
てっきり何かの賞を取ったときの記念撮影写真がいっぱい来るだろうと思ってただけに、衝撃度はかなり大きい。
「いやお前の恋人可愛いすぎん?」
「全くの同感だ。しかも世界屈指の芸術家ときた」
「ああ……道理で見覚えしかないと思ったら、やっぱりか。しょっちゅうテレビで取り上げられてるよな」
「僕なんかにはもったいないぐらいの恋人だよ」
いやマジで。僕なんかが彼氏になっても大丈夫なの? ってぐらいヤバい人なんですよ心愛って。
あれだけ自身の心を抉るような言葉吐き散らしといてあれなのだが、今でも少し不安だ。釣り合い取れてないだろって思ってる。
「まあ、これでやっと恋人の惚気話を躊躇いなくお前とも語り合えるわけだ。長かったよ本当に」
「待たせて悪かったな、とでも言っておこうか」
騒がしいことに定評がある凛だが、そんな彼にもしっかり恋人がいる。中学2年生の頃から付き合ってる、可愛い可愛い恋人さんが。
どうやら相当に気を使われていたらしい。そういえば、凛から恋人がいるとは聞いていたが、恋人と何をしてるのかまでは話されたことがない。ずっと独身だった僕を慮っていたのだろう。
「んで? 恋人ができた心太くんは今日も変わらずピアノを弾くのかい?」
「そこは何も変わらないよ」
「それは残念。ま、惚気大会はまた今度だな」
お昼休みの時間、僕は昼食を食べたら音楽室に移動。そのまま授業が始まるまでの間、ずっとピアノを弾くのがルーティンになっている。
凛との惚気大会も面白そうだが、今は響くんから託された楽譜の完成を優先したい。そのためにも、途中経過をピアノで演奏してみたいのだ。
凛と別れて教室から出ると、そのまま音楽室へ直行。開放してある音楽室へ躊躇なく入り、僕はササっと準備をしてピアノを弾き始める。
結局、昼までの時間で書き込めた音符は僅かだ。そう容易に、あの楽曲に音符を足すことはできなかった。
未完とはいえ、そこまでの楽譜はほぼ完璧に完成してしまっている。雑にでも終わりへ誘う音色をねじ込めば、おそらく1つの楽曲として成り立ってしまうぐらいには。
何度でも言おう。とんでもない楽譜を託されたな、と。
「っ……テンポは遅いのに音符はたくさん。しかも外した途端に曲調が一気に崩れる。リズムも崩せない。ヤバすぎだこれ」
まさしくピアニスト泣かせ。楽譜が繊細すぎて、一音のミスも許されない。アホみたいに難しい楽譜を、完璧なリズムで1度も外さずに弾かなければならないとか超弩級のマゾヒスト仕様だろ。
何度も、何度もミスをしては最初から弾き直す。とんでもなく地道な作業だ。気が遠くなりそうである。
それでも諦めず、トライアンドエラーを繰り返す。まずはリズム。そして弾きながら暗譜。楽譜に頼らず、先読み先読みで指を動かす。
脳がオーバーヒートしそうだ。普段なら絶対に感じない倦怠感と頭痛がキツイ。
「かっ……」
もう動かせない。そう感じてから指が痙攣を開始するのはほぼ同時であった。
情けないな。こんな様子では、彼の楽譜を完成させても完走することが不可能じゃないか。
「止めだ止め。これ以上やっても意味ないや……」
疲れを本格的に感じたら終わる。限界突破するにはまだ早い。それが僕の見解だ。
震える手で楽譜を手に持ち、僕は音楽室から出ようとする。
だが、扉を抜けてすぐのところで「あのっ!」と声をかけられたことで、思いっきり踏鞴を踏んで足を止めることになった。
「……何ですか?」
我ながらかなり無愛想な態度である。疲れてるから仕方ないね!
声をかけたのは、音楽の授業道具一式を持っている女子生徒だ。何だか見覚えがあるような、ないような……。
「私、名倉詩織と申します」
ああ、そうだ。この学校の有名人サンか。確か、ピアノのコンクールで金賞を取ったとかで、全校集会で表彰されていた気がする。
関わらない限りは人の顔や名前を覚えられないため、僕はすっかり彼女の存在を忘れていたのだが、この人も僕と同じピアニストだ。
「これは聞くにたえない演奏を聞かせてしまいましたね。お目汚しならぬお耳汚しをしてしまい、申し訳ないです」
「とんでもない! むしろその逆だと言わせてください!」
「お世辞でも嬉しいですよ。それでは、僕はこれで」
自分から関わろうとは思わない。必要性を感じないから。
だが、名倉さんはそうでもないようだった。
「ちょ、ちょっと待って。待ってください! 私、貴方の演奏と演奏中の佇まいに惚れちゃったんです! 一目惚れしました!」
「へえ。有名ピアニストの名倉さんが」
いや何でよ? 惚れる要素なんて皆無だろ。
てか惚れられても困る。僕、しっかりと可愛い恋人いるし。
「だから、その。私の……」
「あ、ごめんなさい。恋人いるんですよ、残念ながら」
「えっ」
「褒めてくれたのは嬉しいです。けど、それとこれは別なので……ごめんなさい」
昼からの授業もそろそろ始まる。教室に戻らなければ遅刻してしまうだろう。
名倉さんには悪いことをした自覚はあるが、もう会うことも話すこともない。そう決め込み、僕は素気無い言葉を投げかけてその場を立ち去るのだった。
「ふ、ふふ。今に後悔させてやります。この私の告白を無下にするなんて、絶対に許さない……」
不吉な風が吹いている。そうとは知らずに。
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