君色に

「ただいま」

「ああ、おかえり。説明は……うん、明日にでもしなさい。今日はゆっくり休む。良い?」

「ありがとう母さん」


 こんな時、心優しく理解のある親を持つとありがたいなと思う。息子の疲労を見抜き、休む指示を出す親が一体どのぐらい存在しているのだろうか?


 両親に恵まれていること。そして、あんなにも素晴らしい恋人ができたこと。僕の人間関係絡みの運は、相当に良い方なのかもしれない。


 自室に戻り、この2日間を改めて振り返ってみる。


 学校をサボるというかなりの大罪をまずは犯した。そして罪悪感を生贄に、響くんの思い出の場所に足を運んだ。そこで僕は、生まれて初めての恋人ができた。


 最後には、キスをした。ファーストキスだ。甘酸っぱいとも苦いとも感じなかったけど、とても幸せな味がした。だから、あの道端でのキスを皮切りに僕らは何度も唇を重ね合わせたのである。


「今日だけで何回した……?」


 うん、3回だ。道端で1回目。ガレージでせがまれて2回目。別れ際に3回目。


 顔が熱くなる。ダメだ、この部屋で悶々としていたら頭がおかしくなる。風呂にでも入って疲れと共に煩悩を流してしまおう。


 そう考えてシャワーを浴びるも、今度は浴場で告白したことを思い出してまた悶絶した。


 随分と恥ずかしいことを言った自覚がある。少女漫画の男役もビックリの甘言を、いとも簡単に吐き散らしてた気がするのだ。


 いや、気がするではなく事実だった……。


 マジでキツい。厨二病だった頃の自作小説やノートを眺めるのと同等レベルに。


 友人に「恋人できた!」と報告する際に、このクソ恥ずかしい言葉を一言一句繰り返すとでもなったら死ぬ。間違いなく死ぬ!


「うわあ……どうしよう。明日、どんな説明をしたら良いんだ」


 答えは誰も口にしない。心の中に潜んでいる心太くんも黙ったまま。


 あくまで僕が考えなければならない。恥ずかしいことを言ってのけたことも含め、どんな説明をするかを。


 それに、恋人云々の説明以外にもやることは山程ある。遅れた勉強を頑張らないとだし、それと並行して遺作の完成を目指さないとだし。


 とても。とっても大変だ。だが、嫌だとは感じなかった。


 前のピアノをただ弾くだけの日々も嫌いではない。しかし、これから来るであろう慌ただしく忙しい日々も、きっと悪いものではないと僕は信じている。


「……頑張ろう」


 うん、そうだ。頑張ろう。明日からいっぱい頑張ろうではないか。


 湯船に浸かって天井を眺める。


 今頃、心愛はどうしてるのだろうか。僕と同じように、風呂で虚空を眺めているのだろうか?


 近くでも遠くでも、僕は心愛のことを考えている。ピアノのことだけ考える日々が当たり前だったことを考えると、少し新鮮な気持ちだ。


「心愛、可愛かったなぁ」


 脳内の映像が心愛一色に染まる。


 基本的には可愛い表情の心愛しか出てこない。何やっても可愛いから仕方ないね。


 恋人フィルターと恋人できたて補正が盛大に入ってる感じは否めないが、それでも僕は思う。彼女は可愛いと。


 最初は神秘的で物静かな少女だと思ったのだが、中身までしっかり知るとかなり表情豊かな娘だった。表情豊かになったのはここ数日からと聞いたが、尚更納得している。


 感情を覚えたばかりであれば、少々大げさに表情が動いてもおかしくない。


 それがまた可愛かった。笑顔、照れて恥ずかしがってる様子、驚愕に濡れた顔、慈愛に満ちた表情。コロコロと変わる彼女の表情は、見ていて楽しかったし面白かった。


「次、いつ会えるかな」


 もっと一緒に過ごしたい。もっと2人で笑いたい。そんな気持ちが溢れてくる。


 バカとも言える。煩悩塗れるのアホと言われても否定はしない。でも、それぐらい彼女が好きなんだなって改めて感じた。


「……出るかぁ」


 響くんの夢とは別に、彼女を喜ばせられる何かはないだろうか。


 そんなことを考えながら、僕は風呂からあがるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る