あなたも、彼も

 突然琴葉ちゃんの意識が前面に出たと思ったら、そのまま咲良さんとキャイキャイ言い合いを始めてしまった。


 完全に蚊帳の外に放り飛ばされた私は、あ然とその様子を眺めることしかできない。


 女の勘から、咲良さんは未だに響くんを忘れられずにいることを私は悟った。


 厄介である。響くんは確かに存在しているが、本人の体はもうこの世にはない。燃えて灰になり、地球の土と一体化していることだろう。


 だのに、咲良さんはお構いなしなのだ。このままでは心太さんの貞操も危ないのでは?


 そう思ってからの行動は迅速であった。


『琴葉ちゃん、ごめん』

『へ、きゃあ!?』


 まずは琴葉ちゃんの意識を押し込め、体のコントロール権を取り戻す。


 ちょっと無理やりな形になってしまったのは後で謝っておこう。


「……咲良さん」

「あら、雰囲気が変わった?」

「彼は響くんじゃないです。心臓こそ受け継いでますけど、本人ではない。彼は、私の恋人の心太さんです。私にとって最も大切な、愛する人。彼をあまり困らせるなら、たとえ響くんの知り合いだとしても容赦はしない」


 ちょっと前まではデフォルトだった、無色透明の表情を意図的に作って咲良さんを見つめる。


 大学の同僚には「ゾッとする」だの「夢にまで出てくる」とまで言われる、正直良い思い出はない表情。しかし、こうでもしないと咲良さんを止められる気がしなかった。


 私自身はまだ若い。年を重ねた人に知恵比べでは勝てないし、天才とにらめっこする気概もない。


 だから、どんなに醜くても。どんなに心が痛くても。使える武器は全て使うのだ。


「心愛。それに琴葉ちゃん。咲良お姉ちゃんも。1回落ち着いてくれ」


 と、睨み合って拮抗した私たちの間に心太さんが入り込んだ。胸の前に猫を抱えているので何ともいえない感じだが、目つきは真剣そのものである。


 私も。咲良さんも。その気迫に押されて何も言えない。


「分かっててやってるでしょう、咲良お姉ちゃん。琴葉ちゃんみたいにイジメたらダメ。心愛も琴葉ちゃんも純粋な子なんだから」

「……ふふ。流石は響くんの心臓を受け継いでる男。あの日の響くんと似た言葉で諫めてくるなんて」


 あの日は、琴葉ちゃんがむくれて先に帰っちゃったから彼女は知らないと思うけどね。そう付け足して咲良さんは静かに微笑んだ。


 挑戦的な眼は鳴りを潜め、どこか寂しげな雰囲気を纏っている。


 一変した空気に目を白黒させる私をよそに、心太さんは続けた。


「僕が心愛しか愛さないこと。そして、響くんが琴葉ちゃんしか愛そうとしないこと。全部分かった上で仕掛ける。これだから女性は怖いんだ」

「あらあら……」

「初恋を数年単位で長引かせるのは至難の業だって友人から聞きましたよ。よっぽどじゃなければ、初恋は初恋として思い出のアルバムにしまっておくんだと」


 心太さんは、全てを見抜いていたのかもしれない。


 咲良さんがもう、初恋は初恋だと割り切ってること。それでも、過去の懐かしい記憶を再現したくて、あんな真似をしたことを。


「全く、響くんが見せる記憶と変わらないですね。そんなお淑やかな外見しといて」

「外見と内面はイコールではないのよ」


 響くんの記憶を持っていたとしても、ここまでの心情をほぼ間違えずに理解していたその思考能力の高さ。それに気がついた私は、少しだけ怖気を感じて震えた。


 きっと彼はこう言うだろう。


「僕は響くんみたいに超人ではないし、凄い人間でもない」


 でも、違う。絶対に彼は謙遜するけど、彼も普通の人間ではない。


 響くんとは違うベクトルだけど、彼は確かに人間離れした何かを持っている。


 かつて琴葉ちゃんが抱いた劣等感。それが何なのか、今になって理解できた気がした。


 私に才能があるのは相違ない事実だ。大衆に評価される才はある。これは間違いない。傲慢でも何でもなく、ただの事実だ。


 しかし、心太さんと響くんは。大衆に評価されなくても、関わった人間は皆一様に感じるだろう。


「底の知れぬ天賦の才」を。


 本人が自覚してないだけで、この2人は神さまが直接授けた何かがある。


「し、心太さん」

「うん?」


 いつもの、心太さんの笑み。響くんの笑顔とは違う、満面の笑み。平凡と心太さんが称した、私の大好きな笑顔。


 その笑みが、今は少し違ったものに私には見えていた。


 自覚なき天才が己の才を隠すための、神さまが与えたカモフラージュに。

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