散った桜はまた咲く

 響くんが持つ記憶の一端を、僕はピアノを弾きながら見ていた。


 咲良お姉ちゃんと関わりがあったのは1度のみ。むしろ、彼女のお父さんとの関わりが深かった。お父さんは、響くんや琴葉ちゃんが入院していた病院で過ごす仲間だったのだ。


 響くんの演奏会や琴葉ちゃんの展覧会には必ず顔を出し、そうでない日も彼らとよく話す間柄。それが、2人と咲良お姉ちゃんのお父さんとの関係である。


 ある日、咲良お姉ちゃんのお父さんは仮退院することになった。病気が治ったのではなく、死の前に大切な家族と最後の日々を過ごす。その時間を与えられたのだ。


 彼の家は、今現在立ち寄っているこの店。そこに戻るにあたり、お父さんは響くんと琴葉ちゃんを連れて行くことにしたのである。


 店には、当時まだ小学生高学年の咲良お姉ちゃん。そして足が不自由な彼女の母親がいた。


 病院から急に退院して帰ってきた父にまずは1度。さらに、とても若い小さなカップルを随伴させたことで2度驚いた彼女たち。それは、それはもうすごい騒ぎだったのを響くんの心臓は記憶している。


 お母さんなんかは「病院で作った子供なのか!?」と錯乱してたようだ。


 一悶着こそあったが、美味しいご飯に舌鼓をうち、美しい桜によって視覚的にも満腹になったところで、お姉ちゃんのお父さんがこんなことを口にした。


『響くん。何か弾いてくれないか?』


 あの時から変わらぬ場所に置いてあったピアノに案内し、響くんに頼んだのである。


 彼は一も二もなく了承し、楽譜も出さずに曲を弾いた。


 その曲名が、今日と全く同じものだ。


「幻想曲 さくらさくら」


 今日と変わらぬ桜吹雪の中、響くんは素晴らしい演奏をやり遂げた。


 その演奏を聴きながらお姉ちゃんのお父さんは昼寝を始めてしまったので、咲良お姉ちゃんはプンスカしていたのだが。


 記憶の中の咲良お姉ちゃんと響くんは、色んな話をしている。琴葉ちゃんもその場にいたのだが、どうも蚊帳の外な感じであり、終始不満顔だ。


 恋愛には鈍い僕でも分かる。咲良お姉ちゃんも、響くんの演奏にまずは。そして、彼自身にも惚れ込んたのだろうということが。


 別れ際になっても、咲良お姉ちゃんは離れようとしなかった。響くんから、もう先は長くないことを伝えられたから尚更であろう。


 それが余計に琴葉ちゃんの不況を買ってるのだが、響くんはムスッとしている彼女には微笑みかけると、お姉ちゃんの目をまっすぐ見てこう言った。


『帰ってくるよ。いつの日か必ず』


 無理だとお姉ちゃんは言う。そりゃそうだ。死人が帰ってくる道理はないのだから。


 しかし、微笑みを全く崩さない響くんを見るうちに、無理だ不可能だと騒いでた咲良お姉ちゃんの口は閉じた。


『……絶対に?』

『うん、絶対に。何年かかるか分からないけど、僕は絶対に帰ってくる。この店の料理を食べに。そして、桜吹雪の下でピアノを弾くために』


 涙目の咲良お姉ちゃんと、彼女とは対象的な笑顔を浮かべた響くんは、指切りげんまんをして別れた。


 帰り道、迎えのタクシーに乗ってる最中に拗ねた琴葉ちゃんを黙って抱き寄せる響くんの勇姿を最後に、記憶の映像は途切れる。


 ずっと。かなり長い年月の間。咲良お姉ちゃんは、それこそ一日千秋の思いで待ち続けたのだろう。初恋の人である響くんの帰還を。


 何年越しの成就なのだろうか。1年や2年でも十二分に長いと思うのだが。下手したら10年近いかもしれない。


 詳しいことは分からない。だが、お姉ちゃんの顔を見れば、長年の夢が叶ったと察せる。


「もう、本当に長いこと待ったんだから。20歳も超えちゃったし、そろそろ約束もなかったことにしようと思ってたんだよ?」

「ごめん。でも、約束は破ってないでしょ? 心臓だけでも帰ってきたんだから」

「そっか。心臓が響くんのやつなんだね。だからこんなにも、響くんの雰囲気や面影が出てくるんだ。演奏もあの日と同じだった」


 心臓。心が存在するとも言われる臓器。響くんの臓器を持つ人は他にも存在しているのだろうが、偶然にも僕は「心そのモノ」をそっくりそのまま受け継いだ。だから、記憶を辿ってこんな粋なサプライズもできたのである。


 ちなみに現在、「心太」としての人格はほぼゼロに等しい。表面上に出てるのはほとんど響くんだ。


 だからなのか、心愛さんは嫉妬に濡れた顔をしつつも、なんとも言えない微妙な表情でこのやり取りを見ていた。


「私が好きになったのは心太さんで響くんじゃないから」とでも言いたげな顔である。


 後で存分に構い倒そう。そうでないと、琴葉ちゃんみたいに拗ねるに違いない。女心は複雑怪奇なのだ。


「ご飯、食べてもいい?」

「もちろん! あ、食べて待っててね。デザートも作ってきちゃうから!」


 そう言い残し、咲良お姉ちゃんはバタバタと厨房へ戻っていった。


 再度席に座り、まだ温かいままの料理を僕らは口にする。


「あ、美味しい」

「……なんだか悔しい。私も勉強しないと」


 意識は心太ベースに戻ったので、存分に料理を堪能する。どうやって作ったのか桜色で不思議な味わいのあるご飯。桜の形に切られた野菜の入ったお吸い物に、桜の木々をイメージさせる形で盛り付けられた漬物。そして焼き鮭。


 THE和食である。清々しいぐらいに和食。しかしそれが良い。この桜吹雪の中で食べるなら、これぐらい徹底した和食が良い味を出す。


 心愛さんが謎の対抗心に燃えてるのはさておき、咲良お姉ちゃんの料理はとても美味しい。パンフレットにも「絶品だ」と添えられていただけのことはある。


 花より団子なんていう有名な諺もあるが、この料理においては花も団子も双方素晴らしいに限る。どちらかに集中するのは非常にもったいない。視覚的にも、味覚的にも。何なら吹きゆく風によって聴覚的にもと、五感の多くを満たしてくれるのだから。


 美味しい料理に舌鼓をうっていると、あっという間にその全てが胃袋に消えた。やはり絶品料理はすぐに食べきってしまう。


 そのタイミングで、咲良お姉ちゃんが皿に何かを持って戻ってきた。


「これは?」

「桜餅。葉っぱはもちろん桜のものだけど、餅にも桜の花びらを使ってるよ」

「あ、しっかり桜餅なんだ」


 ここで響くんの意識とバトンタッチ。また彼の自我が前面に出る。


 それにしても、桜の花びらって食べられるのか。初めて知ったぞ。


 意識は内にあるといっても、味覚やら嗅覚やらは僕にも感じられる。ハムリと口にした桜餅の味だってしっかり分かる。


 普通の桜餅とは違う、ほんのりとした酸味。そしてアンコの甘み。絶妙に噛み合っていて、とても美味だ。


「あの時よりも美味しくなってるよ」

「本当? なら嬉しいな」


 この子、意外と天然たらしなのでは? 老若男女問わずに落としまくってるのではないだろうか。


 これでいて、当人は琴葉ちゃん一筋なのだからたちが悪い。思いっきり勘違いさせてからの本命を見せつけるとか鬼畜にも程がある。


 そして咲良お姉ちゃんは、それを理解した上で積極的に接しているフシがある。チャレンジャー精神バキバキな女性って怖い。


「……相変わらず距離感近い」

「あら? もしかして……琴葉ちゃん? 琴葉ちゃんなの?」

「響くんのいる場所に琴葉あり。彼の恋人はどの時代でも私ですよーだ」


 ムスッとした表情の心愛、ではない。これは琴葉ちゃんだ。ガッツリ響くんの名前を出した上で、「恋人は私だ」アピールをしている。


 威嚇とも取れる発言だが、それを受けても特に動じない咲良さんも凄まじい。


「あらあら、まさか琴葉ちゃんの心臓も一緒だなんてね」

「響くんの隣は私以外ダメだから」

「重い女は男に嫌われるわよ〜?」

「ぐぬぬ……」


 女同士の戦い。というか戦争だ。見ているだけで怖気がするぐらいおっかない。


 経験の差でリードしている咲良さんと、リードを許しながらも食いつく琴葉ちゃんの図式を桜餅と共に僕は見守る。


 お、どこからか猫がやってきた。膝の上に勝手に登って丸くなってる。どうやら、女の戦争を観戦しにきたらしい。


「そもそも恋人は私! 告白されたのも、ずっと長い間愛し合ってるのも私だよ! 体が変わっても、そこは不変なの!」

「長い目で見たら分からないでしょう? 人の気持ちは変わりやすいものよ」

「響くんは違う! それに心太お兄ちゃんも違うよ! ちょっと怖くなるぐらい一途なんだから、貴女みたいな人に目移りなんてしない!」


 まさかの琴葉ちゃんに一定以上の評価を頂いてた。響くんと同列レベルに一途って相当だぞおい。


『女の人って怖いなぁ』


 君が引き起こした戦争だろうが。少しは終息させる努力しろよ、この天然たらしめ。


 猫を撫でながらなんとも言えない表情になる。幸せな気分なのは、きっと膝元で甘えているお猫さまのみだ。


 猫は可愛いなあ。こうして甘えてくれる猫ちゃんは少ないから特に可愛く感じるよ。女の戦争を傍観してるのもあるけどね。


 キャンキャンと言い合う2人にガクブルしつつ、僕は何口目かの桜餅をかじりながら猫ちゃんをナデナデするのだった。

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