さくらさくら
「咲良、姉ちゃん?」
心太さんの言葉でハッとする。彼が口ずさんだ名前に、私も聞き覚えがあったのだ。
目の前に置かれている色とりどりの定食はすっかり忘れて、私は咲良姉ちゃんと呼ばれた女性を見つめる。
私自身は、彼女と顔を合わせるのは初めてである。しかし、私の心臓は。琴葉ちゃんの心臓は、そうではないと叫んでいるのだ。
「その呼び方、どうして貴方が……?」
訝しがっている。それもそうだ。急に馴れ馴れしい呼び方をしたら、誰だってそんな表情をする。
一発で私たちが何者なのかを見破った病院の方々が異例なだけで、一般人の反応はこれが普通なのだ。
どう説明して納得させれば良いのか。私には分からない。
悩みに悩むが応えは出ず、どうしたもんかと頭を抱えていると、心太さんが口を開いた。
「……このお店にピアノがありますよね。それ、弾かせてもらっても良いですか?」
「は、はあ。別に構いませんよ。何でピアノがあるのを知ってるのかは謎ですが」
ピアノを弾く。そんな彼の言葉に、私は納得した。
全く同じの演奏ではない。しかし、彼の演奏は響くんを思い起こさせるものだ。仮に咲良さんと響くんが知り合いだとすれば。心太さんの演奏を聴けば、きっと何かを感じ取れるに違いない。
「こっちです」
「……やっぱり、変わってない」
ピアノがあったのは、桜の木の下だ。桜吹雪に隠れて全く分からなかったが。
椅子に座った心太さんの背中を眺める。彼が座った途端、吹雪が激しくなった。心太さんの周りを、桜の花びらが渦を巻いて舞い上がる。
その様子を見た咲良さんが、絞り出すような声音で何かを呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「あの日と同じ……!?」
心太さんの指が鍵盤に触れた。
曲は、日本人なら誰しもが耳にしたことのある「さくらさくら」だ。ただし、題名に幻想曲と付くものである。
琴で弾く楽曲をピアノアレンジした「さくらさくら」は、舞い散る桜吹雪と共に青空へと音色を届けていく。
西洋生まれの楽器だというのに、何と和を感じる演奏なのだろうか。
音符の数はそこまで多くない。病院で弾いていた曲と比べれば、難易度がそこまで高くないことが素人であっても分かるぐらいだ。
しかし、美しい。音符の数の少なさを補うかのように、美しい音符が常に叩き出される。咲いては散っていく桜の儚さの中に、圧倒的な美しさを表現する躍動感を感じる。
「さくら、さくら……」
「のやまも、さとも……」
曲に合わせて歌を口ずさんでいる咲良さん。私も、咲良さんに追従する形で歌を口ずさむ。
すると、私たちが歌っていることを悟ったのだろうか。心太さんは不意に曲調を変え、歌いやすい伴奏のものへと変化させた。
「みわたすかぎり、かすみかくもか……」
綺麗な歌声だ。着物を見事に着こなしながら歌う「さくらさくら」は、見る者を圧倒する趣を持っている。
私は咄嗟にキャンパスノートとペンを取り出すと、目の前に映る美しい光景を絵に描き始めた。
2度はない、最初で最後の光景。和と洋の融合した、美しさの権化とまで言いたい光景。
舞い散る桜吹雪。ピアノを引き続ける心太さん。歌う咲良さん。全てを1枚の紙の中に表現する。
やがて演奏も終わり、最後の一音の余韻を残して心太さんは席を立つ。
「……これで、何か分かりましたか? 咲良お姉ちゃん」
心太さんの顔には笑みが浮かんでいる。ちょっと不思議な気分になる、破顔と微笑みの中間ぐらいの笑みが。
『あ、響くんの笑い方だ』
琴葉ちゃんの言葉を脳内で聞いて、納得した気分になった。
心太さんの浮かべる笑顔とはちょっと種類が違うので、どうも違和感があったのである。
「まさか、君なの?」
一方の咲良さん。何かを感じたらしく、心太さんに近づいていく。
「響くんなの? 本当に響くん?」
「約束通り、また来たよ。お姉ちゃん」
約束。琴葉ちゃんは特筆すべき記憶を持ってないらしいのだが、響くん側は違うらしい。
何か約束をしていたようだ。
「あの日に言ったでしょ? 死んでも必ず会いに行くからってさ」
「とても信じられなかったよ。死んだらみんな骸になっちゃうから。お父さんもお母さんも骸になったまま音沙汰なし。だから君も無理だって思ってたのに……」
「でも、帰ってきたよ。姿形は変わってしまった。響という人間であった部位は1つだけ。それでも、こうして帰って来れた」
響くん。君はやっぱり、神さまなんじゃないのか? 人間の皮を被った神さまじゃ?
「ただいま、お姉ちゃん。またご飯を食べに来たよ」
「うん、うん……! おかえりなさい!」
……なんか、新しい恋のライバルが生まれた。そんな気がする。
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