幻想は現実に
心愛さんがとんでもない絵を仕上げたようだ。人々の反応から、その出来上がりは凄まじいと察する。
僕がピアノ演奏をし、彼女が絵を描き上げる。脳裏に浮かぶ記憶と全く同じ光景だ。
何かを思い出したのか、ランばあちゃんと院長先生は大粒の涙を流している。もしかしたら、響くんが初めて開いた演奏会もこんな感じだったのかもしれない。
微笑みを浮かべながら、僕は次の楽譜を置いた。パリの散歩道は即興で弾いたものなので、楽譜なんてものは存在してない。かなりお粗末な演奏になってしまった自覚があるのだが、大丈夫だったのだろうか。
と、そんなこと気にしても仕方がない。次の曲に移ろう。
次は短い曲を選ぶ。「ショパンより革命のエチュード」だ。
『その曲、僕にもやらせてよ』
響くんの声が聞こえる。答えは手短に。
『良いよ。また連弾しよう』
心の奥底に響くんが降りてくる。魂の器には、僕と響くん両方がぎゅうぎゅうになって詰められている。
指を動かせば僕が右腕を。響くんが左腕を操る。意識する腕が片方だけで、少しだけ気楽だ。
エチュード。練習曲。何らかのコンセプトの元に作られた曲目。しかし、練習曲と侮ることなかれ。仮に完璧に弾きこなせば、1つの素晴らしい演奏として成り立つのである。
シンプルなコンセプトで作られているので、僕は普通の曲よりもエチュードを弾く方が好きだ。
「ふっ……!」
曲名の「革命」にもあるように、絶え間なく激しい音色をひたすらに叩き出す演奏。聞く人の心を鷲掴み、革命の高揚感を疑似的に感じさせる。
ちなみに革命は左手を訓練するための曲なので、今回は響くんの操る左腕がものすんごい速度であっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しない。それを眺めるのもまた一興。演奏中だけど。
響くんに合わせるようにして演奏をしていくと、あっという間に楽譜は終盤に差し掛かった。
荒ぶる左手と、追従する右手。最後には、「革命は未だ続く」と言わんばかりの不協和音を奏でて演奏を終えた。
所要時間は3分とちょっとぐらいかな? さっき弾いた月光と比べれば、革命はそこまで長い曲ではない。
演奏を終えて一礼すると、また割れるような拍手が部屋を包む。
チラリと視線を横にずらせば、心愛さんがまた絵を描いていた。今度は直接見せてもらおうか。
僕が近づくまでの1分弱の間に、心愛さんはもうある程度の絵を完成させている。凄まじい速度の早描きだ。
「演奏、やっぱすごいですね」
絵を描きながらそんなことを言う心愛さん。鉛筆で軽く絵を描くだけなら、雑談を挟みながらでも絵を完成させられるらしい。
みるみるうちに出来上がる絵を眺めるのは中々乙なものだ。1人の人間と1つのピアノが描かれるまでの工程は不思議なもので、不思議な気分になる。
しかもめっちゃ上手い。感動を覚えるぐらいに上手いのだ。見ていて飽きない。
『あ、この描き方は琴葉ちゃんだ』
サラリとこぼした響くんの言葉で、僕は改めて思う。
僕の心臓には響くんの魂が。心愛さんの心臓には琴葉ちゃんの魂が入っていて。この2人は昔の知り合いで。とても仲の良いおしどり夫婦みたいな関係で。
『そう。君たちは、出会うべくして出会ったんだ。僕らがかつて交わした約束に引き寄せられるようにしてね』
本当に、琴葉ちゃんは僕の運命の人なんだって。幻想みたいな現実を、受け入れなければならないと思い始めていた。
頭から否定するなんて馬鹿らしいとすら思う。物的証拠はなくても、この目で見て感じた証拠だけで十二分に信用に値する。
仕上がった心愛さんの絵を見た僕は、またピアノの元へ戻って次の楽譜を手にした。
僕が弾く。彼女が描く。それだけで、この空間にいる人たちは笑顔になる。
とっても心地よい。誰かを笑顔にさせられるのは。誰かの笑顔を見るのは。
『うん、僕もそう思う。あの時と同じように、たくさんの人を笑顔にさせられる。だから、ピアノ演奏が好きなのさ』
なるほどね。なら、僕がピアノを弾くのが好きなのも、心優しい響くんに影響されたからなのかもしれない。
弾く。描く。弾く。描く。続けること数時間。途中からは楽譜を使わず、即興演奏や暗譜での演奏を行った僕がふと外を見ると、既に日が傾き始めていた。
あまりにも没頭していたので、数時間休みなしで弾いてることに気がつかなかった。今更になって腕がプルプル震えだす。
人前で、これだけの時間弾き続ける初めての経験。勝手に余計な力が入り、精神的にも肉体的にも大変疲弊する。腱鞘炎になってしまいそうだ。
見れば、心愛さんも少しげっそりとした顔になっていた。絵を描いてる様子からして、相当に集中をしていたのだろう。頬がほんのり瘦せてしまっていた。
ここまでだろう。
「演奏会、並びに展覧会はここまでになります。お付き合いいただきありがとうございました」
僕が言葉を言い終わるのとほぼ同時に、割れんばかりの拍手がまた巻き起こる。
心愛さんと並んで礼をすると、拍手はさらに大きくなった。
「つ、疲れました……」
本格的に疲れて休みたいらしい心愛さん。ちょっと子供っぽさがあって可愛らしい。
さて、演奏会を無事に終えたのは良いことのなだが。時間が想像以上に遅くなってしまった。もう夕方になりそうである
まだ大した話も聞けてないのに帰るのは嫌だ。ここまでやってくるのにはかなりのお金と時間を使うし、そう何回も出直したくはない。
と、なればやることは1つ。
「あ、もしもし母さん? ちょっと今日は帰れなさそう。うん、泊まるあてはあるから問題ない。学校? 明日も休みで」
お泊まり宣言と明日もお休みするぞ宣言を母に行うことである。
母からは「はあ?」とか「なに馬鹿言ってんのよ」とか言われたが、僕の声の調子を聞いて諦めたらしい。最後には「あとで泊まった場所教えろ」とだけ言われて電話を切られた。
え、泊まる先? そんなの決まってるじゃないか。
「あの、院長先生。今日病院に泊っても? 響くんと琴葉ちゃんのお話、夜通しで色々聞きたいんです」
「ほう! 僕は一向に構わないけど……親御さんにはちゃんと断ってるのかい?」
「抜かりなく」
「そうかそうか。うん、病室の空きもよっぽどじゃなければ切羽詰まらないから大丈夫だろうし……よし。今日はたくさん話そう。君のこともいっぱい教えておくれ」
交渉完了だ。これが交渉と言えるのかは謎だが。
隣を見ると、心愛さんもランばあちゃんに僕と同じようなことを言っている。あっちは女の子なので、少し話が難航しているようだけど……。
あ、心愛さんこっち見た。彼女の瞳は「心配するな」と言っている気がする。
『大丈夫だと思うよ』
あんま軽率に言ってくれるな響くん。この世界に絶対なんてものはないのだからね。現にランばあちゃんは渋い顔をしてるし。
「……まあ、仕方ないね」
おいこら。さっきまでの渋い顔はなんだったんだ?
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