止まっていた時

 ヤバい。本当にヤバい。心臓の動悸が一向に収まらない。


 子供の何気ない言葉で撃沈した心太さんだが、それは私も全く同じである。


 柄にもなくはしゃいだ結果がこれだ。昨日、あれだけ恥ずかしがって反省したはずなのに。母に一部始終を話したら「もう少し落ち着け」と釘を刺されたので、絶対に今日は落ち着くんだと心に決めたのに! 彼の目の前に来た途端これだよもう!


 自分でも思わずツッコミたくなるぐらい、私は彼にベタ惚れしてしまっている。


 悶々と悩む私。そこへ、心太さんは容赦なく追い打ちをかけてきた。


「そ、そうだ。心愛さん、今日の服似合ってますよ。凄く似合ってる」

「ン゛ン゛ッ゛!゛」


 今、このタイミングで言いますかそれを!? 人目もある中で、さも当然かのように言っちゃいますか!?


 危うく達するとこだった。幸せによる絶頂から天に召されるところだった。この年で三途の川を渡るところだったよ。


 褒めてくれた心太さんだが、私も全く同じこと言いたい。オウム返ししてやりたい。ものすっごく言いたい。


 心太さん、今日の服カッコよすぎます! めっちゃ似合ってますよ!


 学校へ行く前だったから時間はなかったはずなのに、彼は半袖の白ワンポイントシャツと青いジーパンを見事に着こなしていた。


 超シンプルで、本来なら無骨かつ地味な印象を抱くはずの服装。しかし、それが良い。私の好みに突き刺さっている。


「あ、ありがとうです。心太さんも似合ってますよ、その服」

「そうですか? 同期や大学生なんかと比べたらかなり地味だと思うんですけどね」

「似合ってるから良いんですっ!」

「あ、はい」


 しまった、また押せ押せになってしまった。押せ押せで行くと、心が舞い上がって落ち着きがなくなるというのに……。


 ついでに周りからの生暖かい視線が強くなった。やめて、恥ずかしいから今すぐストップお願いします!


……と、そんな私の願いは聞き入れられず。目的駅に到着するまでの間、私は気恥ずかしさと生暖かい視線にサンドイッチされて過ごすことになった。


 途中で気のよさそうなおばあちゃんが隣に座ってきて根掘り葉掘り質問されたので、私は遂に狸寝入りすることを決め込んだのだった。


 ちなみに心太さんは普通にしてた。どうして?



 生き恥地獄のような電車内の旅を終えて駅に辿り着いた私は、一足先に駅のホームに飛び出る。その場から逃げ出すように。


「あんた、これ持ってきな」

「え? これって……ミカンとパンフレットですか?」

「ミカンはあのお嬢ちゃんと食べな。お幸せにね!」


 心太さんがおばあちゃんからミカンとパンフレットをもらってる光景を直視できず、私はなるべく電車から離れるようにして彼を待つ。


 もうヤダ。顔が真っ赤だ。触ってみるとしっかり熱を感じる。傍から見たら熟れたリンゴかトマトだ、きっと。


「お待たせしました。行きましょう」

「は、はい……」


 辿り着いた駅は、B駅から2時間弱乗った場所にある田舎チックな地だ。


 多少は開発が進んでいて建物もあるのだが、まだ畑だの草木だのがそこかしこに根を張り巡らせている。空気も美味しい。風も心地良い。


 初めて来た場所だ。私のこの身体は。


「……なんだか、懐かしいですね」


 だが、先をついて出た言葉はこれである。私ではなく、心臓に宿る魂が口を動かした。


 隣に立つ心太さんは、片手を腰に当てながら答える。


「うん。ここはあまり変わってない」


 魂が共鳴し、心臓がバクバク波打つ。まるで、懐かしい故郷へ久しぶりに帰ってきた。そんな感情を心臓は私の脳に届ける。


――ああ、帰ってきたんだ


「行きましょうか」

「……はい」


 自然と。私たちごく当たり前のように手を繋いだ。なんの抵抗もなく、恋人繋ぎを。


 途端に恥ずかしくなって手を放そうと思ったが、そんな心境とは裏腹に握った手はびくともしない。


 それは心太さんも同じらしく、顔を赤くしながらも手を放そうとはしなかった。


 お互い顔を真っ赤にしながら、人通りの少ない田舎道を歩く。


 風が頬を撫ぜて熱をほんのり冷ますが、定期的に「心太さんと手を繋いでる」という事実を自覚してまた顔を赤くするというサイクルを繰り返しつつも、何とか私たちは目的地である病院に辿り着いた。


 田舎町にポツンと立っている、中堅規模の病院。大学病院ほど大きくはないが、地域の診療所ぐらい小さくはない。本当に中くらい。そんな感じの規模だ。


 引き戸を開けて中に入ると、正面には受付カウンターと待合スペース。パラパラと老人が座っている。


 心太さんは迷わず私を連れて、受付カウンターの前まで行く。


 そして、受付に立つ中年の女性に躊躇うことなく声をかけた。


「お久しぶりです、ランばあちゃん」


 心太さんがこれまで浮かべていた笑顔とはまた違う、フニャリとした柔らかい笑みを浮かべ、そんなことを彼は言った。


 きっとその笑顔は、響くんの笑顔なんだろう。響くんの笑顔もまた素敵だ。


 彼の笑顔を見ていた私も、口が勝手に動き出す。


「ランばあちゃんただいま」


 怪訝そうにしかめていた女性の顔が、みるみる間に驚愕に包まれていく。


 ガタリと立ち上がると、ランばあちゃんと呼ばれた女性は私たちを指さし、涙を浮かべながら声を上げた。


「あ、ああ……まさか、響ちゃんと琴葉ちゃんなのかい!?」


 止まっていた病院の時間が、また動き出した。

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