無限の絵画

「ふふ、心太さん……」


 とても、とても素晴らしい1日だった。


 急速に色づいた世界に目を奪われながら、私は家まで帰ってきた。


 こんなにも夜空は綺麗なのか。こんなにも街の何気ない景色は美しいのか。街を行く人のなんと豊かな表情よ。見ていて飽きない。


 それもこれも、全部心太さんのおかげだ。


 メールに登録されている彼の名前と、彼から送られてきた何気ない挨拶のメッセージを見た私は、口角が上がるのを抑えられない。


 親が入っても問題ないように慌てて枕で口元を隠す。だが、漏れる声までは止められなかった。


「幸せ。幸せだなぁ……」


 生まれて始めて、最大級の幸せをこの身で感じていた。


 恋という名の甘酸っぱく苦い果実。ほんの数刻食べないだけで苦しくなるけど、次また食べられた時はもっと幸せになれる。別れは辛いけど、また会えれば幸せ。それが恋。


 ああ、なんと幸せなことか。まだハッキリ分かったわけではないが、私はもう確信している。


 彼こそが、私の運命の人だと。


 初恋は実らないとか、それは一時の感情だとか。知ったことではない。


「心太さん。心太さん……」


 この気持ちは揺るがない。ようやく出会えた恋しい人を、そう簡単に手放すわけがなかろう。


 幸せという名の甘い波に包まれながら、私は最高に良い眠りについたのだった。


――――――――――――――


「ん……あれ?」


 次に目が覚めたとき、私は見知らぬ部屋に立っていた。


 間違いなく自室ではない。私が普段使っている物が何1つとして見当たらないのだ。


 その代わり周りにあるのは、無限とも言えるほど無数にある絵画である。


 絵の上手さは千差万別だ。明らかに幼い子供の落書きと思える絵から、芸術家が描いたであろう迫力のある絵。色々あった。


 それにしても、置いてある絵画の1つ1つに見覚えがある。どれもこれも私が描いた絵ではないはずなのに。


 謎の既視感に頭を悩ませていると、不意に誰かが私の背中を叩いた。


 慌てて振り返ると、後ろには小柄な少女が立っていた。


 見てくれはどう足掻いても幼女である。まだ小学生低学年ぐらいだ。


 だが、私は不思議な雰囲気をほのかに感じていた。ちょっと儚くて、ガラスのように透明な空気を。


「こんにちはお姉ちゃん。やっと、こうやって話せるね」


 顔はモザイクがかっていてハッキリ見えない。だが、声を聞いた私はハッとした。


 猛烈に聞き覚えのある声だ。よく夢で出てくる少女と同じ声。


「貴女は……」

「私、――。お姉ちゃんの心臓を元々使っていた、いわゆるドナー主だよ」


 ひたすらに絵を描く、ちょっとおませさんだった少女。名前は聞こえなかったが、私はよく知ってる、芸術家として尊敬している女の子。その子が今、私の眼の前に立っている。


 夢の中で、私は幾度も彼女の絵画を目にしてきたが、どれも素晴らしく心の奥底に響く絵だった。上手く言葉では説明できないが、なんだろう。どの絵も心臓を直接揺らされるぐらいの衝撃を私は受けた。


「貴女とこうして会えたのは、私が心太さんと出会ったから?」

「そうだよ。彼の心臓を持つ人と出会ったことで、完全に――の心臓が目覚めたんだ」


 あの時の心臓の動悸は、女の子の意識が完全に目覚めたサインだったようだ。だからあんなにドキドキしてたのか。


 さっきの事象に納得がいった私は、時間の許す限り女の子といっぱいお話をしようと考える。だが、終わりの時間は既に隣まで来ていた。


「でも、色々話すのはまた今度。この世界はまだ生まれたばかりで安定しない。だから、今日はここまで」


 猛烈な睡魔が私を襲う。抵抗の余地すら与えず、凄まじい速度で私の意識を闇へと落としていく。


 遠くなる意識の中で、私は確かにこの声を聞いた。


「私の分まで幸せになってね」


 もちろんだ。答えられはしなかったが、心の中で叫ぶ。


 そのまま私は、完全に意識を失った。

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