夢幻の音色
「す、凄く濃い日だった……」
家に帰った僕は荷物を投げ出し、ベッドに深く腰かける。
とても、とても濃い日だった。ただいつも通りピアノを弾くだけのつもりが、神様が仕組んだかもしれない運命の人らしき者と出会ってしまった。
しかもその人、世界の理を越えた人しか入れないA美術大学に授業料だの入学費だのを免除されて入学している。ちょっとネットで調べたらすぐに出てきた。とんでもない人だ。
絵を描く天才で、かつものすんごい美少女。そんな人が、僕の運命の人かもしれないのだ。何だか気恥ずかしいけど嬉しい。
「女の子の連絡先、初めて交換したな」
電話帳。そしてメールに登録されている“心愛さん”の名を見て、少しだけ心臓が高鳴る。口角も少し上がる。
傍から見たらかなり気持ち悪い顔をしてるのだろうが、仕方ないことだ。だって嬉しいんだもの。
「ふふ……」
明日から忙しくなりそうだが、彼女がいる限り僕は頑張れる。そんな気がする。
普段とは違って少しご機嫌のまま、僕は就寝することができた。
――――――――――――――
どのくらいの時間が経過しただろうか。数分なのか、それとも数時間なのか。
時間の感覚が麻痺して分からないまま、僕は目を覚ました。
「あれ? 僕の部屋じゃない……」
目に映る景色が、さっきまで確かにいたはずの自分の部屋ではなかった。ベッドや勉強机、本棚。何もかもが見当たらない。
代わりに見えるのは、グランドピアノと。そして、それを弾いている1人の少年。
何の曲を弾いているのだろう。全く知らない曲だ。
だが、不思議な気分になる。無限に広がるようで、儚い夢幻の音色。僕はこの曲を初めて聞いたはず。それなのに、遠い昔にたくさん聞いた。そんな気がする。
「あ、来たね」
不意にピアノの音が止み、男の子が振り返った。
まだ小学生になるかならないか。そのぐらいの身長。身に纏う雰囲気もまだ幼い。
しかし、幼い雰囲気の中に不思議な物が混じっている。まるで、透き通る青空のような儚い空気がにじみ出ているのだ。
「君は?」
ずっと昔から知り合いだった気がする少年に、言葉少なく尋ねる。
「僕は――だよ。君の持つ心臓の、元々の持ち主さ」
名前がノイズのように揺れて聞こえない。それに、顔にボヤがかかってしっかりと見えない。
だが、聞き直しはしなかった。聞けなかった。
その行為を躊躇させるだけの、謎の威圧感があったから。
「何のために僕を呼んだの?」
だから、違う質問をする。
僕が立っているこの場は、明らかに現世ではない何かだ。夢なのか、それともあの世とこの世の狭間なのか。それだけでも知りたい。
「ここは君と僕の精神世界が混じった物だよ。今日、ついさっき生まれたばかりだ」
「精神世界……」
「共有スペースみたいな物さ」
随分と理的で知性を感じる男の子。幼いのは見た目だけで、心臓として生きたことで精神面は大きく成長していたのかもしれない。
取り敢えず、ここがあの世ではなくて安心した。少しばかり緊張が解ける。
「ここは君があの子と出会ったことで生まれた精神世界。これからは、時折この世界で君とお話ししたいんだ。今日はその挨拶」
「そうか」
「これからよろしくね、心太くん」
ああ、よろしく。
そう言うと同時に、僕の意識は急激に薄れていった。
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