運命の人

 女の子の瞳から目が離せない。まるでその空間に固定でもされたかのように、体が動かせないのだ。


 僕と同じく、女の子も僕の瞳を見たまま固まっている。


 傍から見たら相当に変な光景だろう。恋人でも何でもない赤の他人である若い男女が、無言で見つめ合ってるのだから。


「え、と……」


 とにかく言葉を紡ぐ。それを第一に、僕は口を開いた。


「覗き見してごめんなさい。絵、すっごく上手ですね。思わず見惚れちゃって」


 我ながら気持ち悪い。何だ、いきなり現れたと思ったら見惚れたって。


 凄まじい自己嫌悪に陥る。だが、女の子は一向に嫌がった素振りを見せない。


 むしろ、目の奥にある輝きが増しているような……。


 い、いやいや。気のせいだ気のせい。自意識過剰だろう。


「すぐ帰りますのでお気になさらず。何か、邪魔しちゃったみたいで本当に申し訳ないです」


 気恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだが我慢。言いたいことを告げた僕は、足早にその場を立ち去ろうとした。


 だが、ガシッと僕の腕を誰かが掴む。


「ま、待って。待ってください」


 腕を掴んだのはさっきの女の子だ。何だか焦った声音。どうかしたのだろうか?


「貴方とお話がしたいです。もっと、もっと色んなことを」

「へ?」


 つまり……どういうこと?


 え、僕と話したいの? 君は僕ともっとお話をしたいのか。


 いやなんで?


 混乱を極めて脳内は大パニックを起こしている。こんな経験は初めてだ。


 そもそも女の子と話す機会も少ないのに、こんな魅力的な顔でそんなことを言われたらどうなる?


 答えは簡単だ。勘違いする。それはもう酷い勘違いをするだろう。てか現にしそうになってるわ!


「いや、初対面の僕なんかと話すことあります?」

「あるんです。それに、本当に初対面なのかは分からないですよね?」

「あ、はい」


 口下手も相まって酷い有様だ。こんな様子を友人に見られたら笑い飛ばされる。


 結局僕は逃げることは叶わなかった。代わりに、ベレー帽被った美少女ちゃんとお話する機会を得た。なんでこうなった?


 腕を引かれてベンチに座らされたので、仕方なしに女の子と向き合った僕は、そこでまたドキリとする。


 遠目でもそう思っていたが、間近で見ると本当に美少女なのだ。シンプルに心臓がバクバクと喧しくなる。


 ついでに煩悩も溢れそうになるが、これは抑え込んだ。恋人いない歴イコール年齢が持つ謎の鋼メンタルを舐めるな。


……言ってて悲しい。泣きそう。


「名前」

「はい?」

「お名前は?」

「し、心太ですが」


 圧! 圧が凄まじい! 怖いよ!


「心太さんですね。もう忘れません」

「いや忘れても」

「忘れません!」

「はいそうですか」


 話が通じねえんだが? 僕の言うこと全部無視されてるんだけど?


 え、女の子ってみんなこんな感じなんですか? 男の言うことなんて耳を傾けない?


 彼女に対して何となしに抱いていた女性像がガラガラと崩れ落ちる。初見ではとても神秘的に見えたのだが、内情はとっても強引かつ強情な娘みたいだ。


「あの、失礼しますね」

「え、はい?」


 ゴチャゴチャになってる脳内をどうにかして整理しようと奮闘してたのだが、不意に女の子が身を乗り出したので思考がストップする。


 むっちゃ距離感近い。それと何だか良い匂いがする。女の子特有の甘くて優しいあれ。


――って何を考えてるんだ僕は!?


 煩悩は退散だ! 素数を数えるなり念仏唱えるなりしないと……!


 と、焦りに焦りまくって動けないでいる僕に構わず、女の子は僕の胸に手を置いてきた。


 途端にバクバク喧しくなる心臓。正直な臓器である。少しは隠そうとしろよバカヤロー。


……にしても、ただ緊張してドキドキしてるのとは違う気がする。


 言葉にするのが難しいのだが、なんかこう……共鳴してる的な感じだ。


「やっぱり……」


 女の子が何を考えているのか分からない。彼女は合点がいった様子で頷いてるのだが、こっちからすると不思議かつ謎な光景にしか映らないのだが?


「あの、これまでに臓器移植しませんでしたか?」


 挙げ句、こんなことまで聞かれた。


 いや答えて何になるのかサッパリなんだが。臓器移植したしてないで変わるのだろうか?


 取り敢えず正直に答えるとしよう。


「しましたよ。心臓を」


 もうかなり前の話だが、まだ僕がチビだった時に心臓移植を行ったと聞いている。その証拠として、僕の胸元には一生消えない十字傷が残っている。


 特定の曲目を弾くと激しく鼓動する機能付きの心臓だが、一体それが何なのだと言うのだろうか。


「私も昔したんです。同じく心臓を」

「へえ。それは……」


――妙な共通点だ。どちらも心臓移植をして生き延びている。


「あの、ですね。多分、多分ですけど。私たちが移植してもらった心臓の持ち主って知り合いだったんだと思うんですよ」

「うん……? えっと、つまり?」


 僕に心臓を提供してくれた人と、彼女に心臓を提供した人は知り合いってこと?


 そんな馬鹿な。仮にあったとしても、その確率は天文学的数字なのではなかろうか。


 そう考えて否定しようとした僕だが、言葉が紡げない。


 ドンッ、ドンッと心臓の動悸の喧しさが増し、否定の言葉を紡ぐどころではなくなった。苦しくて呼吸が上手くできない。なんだ、これは。


 さっきよりも女の子が近づいた瞬間、さらに動悸はうるさくなる。少し離れたら動悸はそれに比例して静まる。


――まさか。そのまさかなのか?


「……ご、ごめんなさい。急に変なこと言って。それに、質問攻めにしてしまって。引きましたよね」

「あ、いや……大丈夫です。なんの確証もないけど、ドクドク波打ってるこの心臓が嫌でも信じさせようとしてくる。貴女とは遠い昔で知り合いだったんだよって」


 確かな証拠を示せと言われても、それは不可能に近いだろう。それを調べるまでの工程が面倒くさすぎる。


 だが、仮に違ったとしても。確証がなかったとしても。この心臓を信じてみるのはアリなのかもしれない。


 随分と昔になるが、こんな話を聞いたことがある。


「臓器には記憶が宿る」


 臓器の持ち主がかつて好んで食べていた物を、元は嫌っていた受け取り主が食べるようになることもある。性格がドナー主に似ることもあるらしい。肌の色が変わることすらもあるそうだ。


 嘘のような本当の話。信じるか信じないかは貴方次第。今回女の子が話してくれたことも同じだろう。


 ついさっき、女の子を見たことで突然現れた謎の映像も、実は臓器が持っていた記憶の断片だとしたら辻褄が合う。


――懐かしい鼓動音を聞き取り、目覚めた心臓が記憶の断片を僕に見せた


 飛躍しすぎだとは自分でも思う。虫が良すぎるとも、チョロいとも。ご都合主義的な考えだとも。


 でも、良い。


「ひとまずは信じます。貴女の言葉」


 この心臓に従おう。激しく鼓動する、借り物の心臓に。

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