天才と謳われる美大生(16歳)
「はあ……」
今日も灰色の世界は流れる。
つまらない教授が展開するつまらない講義。味のしない食事。のっぺりとした顔にしか見えない同期の人間。
つまらない。つまらない。
色彩がしっかりと見えるのは、大自然ぐらいなものだ。
私――心愛――は、天才画家として持て囃されてきた。
天才だと勝手に思ってる人に流される形で、飛び級で名門美術大学に入学。毎日毎日つまらない講義を受ける日々を過ごしている。
私は絵を描くのが好きだった。物心がついた時には、既に沢山の絵を紙に描いていたぐらいだ。
何で絵を描くのが好きなのかは分からない。でも、好きに理由なんて必要ない。
そう考えたのが小学生低学年の頃。もうその頃になると、両親や親戚は私を天才だの神童だの持ち上げるようになっていた。
確かに同じ小学生と比べれば、私の絵はずば抜けて上手だった。啓発ポスターや催し物の絵は全て何かしらの賞を取っていたし、図工の先生はことあるごとに「敵わない」と言っていた。
でも、そんなのどうでも良かった。私はただ、思うように絵を描いてただけなのだから。
賞なんて興味ない。上手だねと褒められても特段嬉しくない。褒め言葉は聞き飽きた。評価されたいとも思ってない。
私が欲しいのは、私自身が納得いく絵を描く。それだけだ。
まあ、今日この日まで納得がいった絵を描けたことはないのだが……。
「講義中に描いた絵も違う。今日は良い線行ってるんだけど、なんか違うんだよなぁ……」
何かが足りない。だが、何が足りていないのかサッパリだ。
私は小さい頃から、とある人物画をずっと描こうとしている。
絵の内容は、ピアノを微笑みながら弾いている少年。しかしこの絵、何故か顔だの表情だの背景だのが全く上手く描けないのである。
何となくネットにある絵を模写した顔にしてみたこともあるが、その時は吐き気を催すぐらい酷い出来だった。
そこまで執着してこの絵を描く理由も今のところハッキリしない。ただ、1つだけ「こうだろう」と思える理由がある。
話は少し逸れるが、私はまだ5歳ぐらいの頃に重い心臓病を発症し、一時生死の境目を彷徨った。
治る見込みは立たず、私に残されたのは心臓移植ただ1つだった。当時、両親は苦渋の決断を下して心臓移植を認めたらしいのだが、移植の成功率がイマイチ低くてヒヤヒヤしていたらしい。
だが、今こうして生きてる通り手術は成功。私は一般生活に戻れることになった。
そう、一般生活には戻れた。戻れたのは良いのだが、1つだけ問題ができたのである。
それは、「私ではない誰かの記憶」を夢で見る回数が激増したことだ。
おそらくは心臓の持ち主なのだろう。性別は女の子で、年齢は心臓移植した当時の私よりちょっと上。彼女は常に病院のベッドで過ごしていたらしく、暇で暇で仕方がなかったので毎日絵を描いていた。
そんな女の子と唯一仲が良い男の子がいた。その男の子もまた病気持ちだったらしく、彼女と同じように病院住まいだったようだ。その子はある日を境に女の子と毎日楽しそうに過ごしていた。
その男の子が得意としてたのがピアノ演奏。女の子は彼が弾くピアノが好きだったらしく、男の子が何か曲を弾く度に年相応の笑みを浮かべていた。
……と、まあこれ以上話すと長くなるので一旦ここまでにしよう。
この記憶の断片に関して言いたいことはかなりあるが、要点を1つに絞って言うとすればこうだ。
「私もまた、女の子と同じく男の子のピアノ演奏に惚れた」
初めて演奏を耳にした時、心が震えた。灰色の世界に彩りが戻ったのである。
以降、私はこの演奏を何とかして絵に表現すべく奮闘しているのだ。
「ふう、今日はここにしようかな」
大学の講義が終わると、私は毎日様々な場所に足を運んでいる。
近場の喫茶店の時もあれば、遠出して海浜公園まで行って描くこともある。一昨日なんかは波打ち際にキャンパスを広げて絵を描いた。
そんな私が本日選んだ場所は、我が家から少し離れた位置にある公民館の近くの小さな公園だ。
密かな桜の名所と言われるこの公園。初めて来たのだが、何だか今日は良い絵が描ける。そんな気がする。
もう何冊目か分からないスケッチブックを後ろから開き、下敷きを挟んでショルダーバックから筆箱を取り出した。
「へえ、満開じゃん桜。桜の名所ってのは本当だったんだ」
ハラハラと桜の花びらがスケッチブックの上に舞い降りる。中々に乙な光景だ。
大自然の美しさに後押しされる形で私は筆を進める。普段よりもノリが良い私の手先と、何故か高まった集中力のおかげもあり、みるみる間にピアノを弾く少年を作り上げていく。
ふと気が付けば、日は随分と傾いていた。
燃えるような夕焼けが徐々に藍色の夜空へと移り変わっていく。そんな光景を、私は手を休めるついでに眺める。
と、その時だった。
「……うん? これ、ピアノ?」
染み渡るようなピアノの音色が私の耳に届き始めたのである。
音の出どころは公民館方面。あの辺りに住んでる人が、ピアノの練習でもしているのだろうか。
それにしても聞こえてくるピアノの音色。随分と心をざわつかせる。
この音色は、私が夢で聞いたあの演奏のものと良く似ているのだ。
「いや、そんなまさか」
あり得ない。そう思った。しかし、現実は覆らない。
もっと上手なピアニストの演奏はあるはずなのに、それよりも心の奥底を揺さぶるような音色。夢で見たあの演奏でも感じた、頬が熱くなる不思議な音色。
それが聞こえてくる。近くから。
いやいや、そんな小説や漫画みたいな奇跡あってたまるか。そう思い直して私は絵に戻った。
無心で絵を仕上げていく。
何故だか普段よりも絵の出来と進みが良い。何でだ……?
「ふぅ。後は目を何とか描くだけか」
あっという間に絵は仕上がり直前まで行ってしまった。
目を描けば、ひとまずは完成である。随分と今日は上手く行ってる。普段なら目元や背景絵で躓くのだが、今日に限ってそれがない。これまでここまでの出来で描けたことがないので、心なしか口角が上がっている気がする。
月も上がり始め、もう夜も近い。ちゃちゃっと目を描いて完成させ、家に帰れば丁度いい時間になるだろう。
「ちょっと休憩を……んっ?」
不意に視線を感じて顔を上げた。
目の前には、月と桜を背に立っている男の人が居たのだ。
見た目は個性があまり見当たらない人である。月に桜という強力なアイテムがありながら、特段カッコいいとか美しいとかは感じない。
だが、何だろう。
胸の奥がドキドキする、この感覚は。
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