Caliber.7

 昨日と同じ場所で、昨日と同じ顔の前に立つ。

 しかし、言われたことは真逆だった。

「昨日話した検挙作戦だが......。残念ながら、中止になった」

「...は?」

「上層部の判断だよ。従うしかない」

 目の前から色が消えた。上司のニヤケ顔が目につく。今すぐ腰のカイデックス・ホルスターからヤリギン拳銃を抜きたい気分だ。

「俺はどうしろと」

「今日からしばらく非番だ。期限は決まっていない」

 無期限非番とは謹慎と同等だ。たとえ自分に非がなくとも。

「失礼します」

 足元がふらつく。視界が怒りに震え、無力感が脳内を埋める。庁舎を出ると

鋭い冷気が頬を撫で付けた。

 もう家に帰ってしまおうか。エマとレイラは出かけているかもしれない。ふと昨日の会話を思い出す。作戦そのものがなくなったと知れば、彼女はどんな顔をするだろうか。広場を横切ると、遊んでいる子供たちが見えた。真冬だというのに薄手で、古いサッカーボールを追いかけている。‘‘いつもの光景’’だった。

「アナトリー・オズノフさんですね」

 背後から声がした。黒いトレンチコートを着た中肉中背の男が立っており、サングラスに覆われた瞳はまっすぐこちらを見据えている。どこかで見たような顔つきだ。

「......誰だ」

「少しお話しませんか。レイヴン・シンジケートのことでも」

 悪寒がした。

「なぜそれを!?」

「ここは場所が悪い。歩きながら話しましょうや」

 彼は霜を踏みつけながら歩き出す。俺は最大限警戒しながら、彼の背を追った。


「刑事さん、奴らだけでなくジノーヴィ・ファミリーも追っているでしょう」

「あんたは同業者なのか、それとも奴らの仲間か!」

「落ち着いてください。私も刑事さんと同じ立場ですよ。レイヴン・シンジケートを追っている」

「警察なのか、身分証を見せろ」

「失礼、私は警察じゃないんですよ。まぁ、賞金稼ぎだとでも思ってくださればいいです」

「なら、ストアの事件は知っているよな!?」

「両勢力の抗争でしょう。痛ましい事件だ」

「俺たちは、レイヴン・シンジケートへの検挙作戦を立てていたんだ。しかし今朝、上層部がそれを撤回した......」

「特殊部隊の投入予定は」

「もちろんあった。相手は新興とはいえ、常に自動拳銃オートマチックで武装した犯罪組織だ。詳細な計画まであったんだが」

「不自然ですね。大規模作戦なら、できる限りの時間をかけて計画を組まれたはずだ。それを大きな理由もなく、突然立案側がキャンセルするとは」

「訳が分からん......家族になんと話せばいいか」

「ご家族が?」

「妻と娘がな」

「それは大変だ。失望させるわけにはいかないでしょう」

「だが、どうしようもないな。上司の命令に逆らったところで、それこそ職を失いかねない」

「......方法はまだある、かも」

「なんだと」

「単刀直入に聞きましょう。警察の上層部が、レイヴン・シンジケートとつながっている可能性は」

「まぁ、ないとは言い切れんが」

「検挙作戦の中止が、レイヴン・シンジケートとの内通者によって画策されたものだとすれば」

「いや......。流石に考えすぎじゃないのか」

「そうでしょうか」

 男は足を止め、微笑みながらサングラスを外す。

 そこにあったのは、昨夜見たジノーヴィ・ファミリーの構成員。ボリス・タルコフスキーの顔だった。

「貴様......!」

「ご存知でしたか、話が早い」

「逮捕する」

「馬鹿げたことを仰る」

「ストアでの事件の被疑者だろう」

「そうでしたかね」

「とぼけるな!」

 俺はコートの裾を跳ね上げ、ホルスターに収まるヤリギン拳銃の銃把を握る。

「やめておいた方がいい」

 ボリスはコートのポケットに手を突っ込んだまま......いや、ポケットの中身をこちらに向けたまま、しかめるような笑顔で言葉を繋いだ。

「あなたが銃を抜くのと、私が引き金を引くの、どちらが早いでしょうか」

「......手を放す。待ってくれ」

「いいでしょう」

 ゆっくりと銃把から掌を引き剝がし、腰のあたりで小さく両手を上げる。

「話とはなんだ」

「ごく簡単なことですよ。私たちに協力してほしい。ただそれだけです」

 冷汗が吹き出す。

 犯罪組織に手を貸せというのか。俺が刑事であると知りながら、この男は。

「外堀を埋めておきたいのですよ。レイヴン・シンジケートへ行動アクションを起こした時、警察からの横槍が入るのか否か」

「俺が知るはずないだろう」

「今はそれで結構。しかし、これから先のことが重要です。警察内部への内通者がいれば、私たちはレイヴン・シンジケートをどうにもできない。なにせ私たちは、今や弱小組織の代名詞なのですから」

「はっ、それでも犯罪組織だろうが」

「それなら聞こえは良いのですが......いえ、良くありませんね。しかし、どうでしょう。保有していた火器のほとんど全てを売り払うような組織が、警察の一部を含めた新興組織と渡り合えますか」

「......自動小銃アフトマートくらいは持っているだろう」

「ありましたかね......あぁ、個人でフェドロフM1916を持っている‘‘兄弟ブラート’’ならいましたかね」

 絶句する。それほど資金難なのか。そもそも、そこまで酷い金事情なら、どうして家族ごっこを続けるのか。

「中古の自動拳銃オートマチックを一人一つ持つので精一杯。方やレイヴン・シンジケートは、最新のポリマーフレーム自動拳銃オートマチックに、アメリカから買ったオスプレイ・サプレッサー。勝ち目はありませんね」

「......俺に何をしろと」

「警察内部でレイヴン・シンジケートと通じている者を探し出し、私たちに教えて頂きたい。レイヴン・シンジケートへの攻勢前に、その人物らを押さえて置ければ、警察からの介入を防げる」

「己の属する組織に、スパイ行為を働けと」

「まぁ、そう捉えて頂いても」

 冗談じゃない。この男は、自分の言っていることが分かっているのか。

 しかしこのまま、仮に内通者がいるとすれば、警察の腐敗を見過ごすことになる。それが正しいことであるはずはない。

 答えを探をさがすため、脳の血流が増えている。俺はいったい何分間、こうして立ちすくんだままなのだろうか。

「答えはこの場で。どちらに転んでもいいのですが......」

 ボリスがスマートフォンを取り出す。その画面には、なにやら高い場所からの映像が映っていた。

「これは」

「よくご覧なさい」

 数人が高台から見下ろしているのは、赤子を抱えた白いコートの女。映っている場所は、自宅からほど近い公園だった。散歩の途中の親子だろう。

「可愛らしいご息女だ」

 これ以上ないほど恐ろしい言葉が、小さく耳朶を打つ。

 冷汗の量がさらに増える。遠巻きであるため顔はよく見えないが、間違いなく妻と娘......エマとレイラだった。

「お前の仲間が撮っているのか?」

「えぇ、ライブ映像ですよ」

 すると、画面から金属の音が響いた。それは間違いなく、自動拳銃オートマチックのスライドを引き、初弾を薬室内へ送り込んだ音だった。撮影者が鳴らしたのだろう。

「何をする気だっ!」

「落ち着いて。答えによって、この映像の結果は変わる。ただそれだけです」

「脅迫だ!」

「そうかもしれませんね。しかし、俺は今言いましたよ。答えによって、結果は変わるんです」

「......」

「賢明なご判断を」

 内臓の全てが痛む。刑事としての矜持か、それとも子妻か。喉まで出ている答えが、あとほんの少しを通らない。息が詰まる。

「......協力する」

「分かりました」

 その場にへたり込んでしまう。ボリスは画面の向こうに銃を下ろすよう指示し、俺を見下ろした。

「賢明です。それでは、また」

 黒いトレンチコートをはためかせ、ボリスは足音を立てずに去っていく。殺気を纏うその背中は、まさしく悪魔のそれだった。

 できれば、もう二度と会いたくないのだが。

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