Caliber.2
「腕の傷は」
背が大きく開いたドレスを靡かせ、女は私に尋ねる。ここは私の部屋で、彼女は右腕の包帯を取り替えてくれた。
「まだ痛む」
「鎮痛剤を打つ?」
「モルヒネ系は危険だ。判断力が鈍る」
「そう」
この女と私は、港の廃車の影で出会った。つい1時間前のことだ。ドレスについた血は相変わらずで、外傷がないところを見るとそれは返り血のようだった。
「シャワーを浴びてこい。部屋を汚されては堪らない」
「着替えはあるの?」
「ユニセックスタイプのシャツなら」
「それで良いわ」
シャワールームへ向かう女を呼び止める。大切なことを忘れていた。
「名前は?」
彼女は薄笑いを浮かべる。
「ソフィア(ロシアの一般的な女性名)よ」
「...そうかい」
流れる水音を聴きながら、私はトカレフを分解する。錆びのついたスライドを外し、バレルを抜いてビニール袋の中に放る。フレームからはグリップパネルを取り、マガジンキャッチボタンを抜いて新聞紙に包む。それもビニール袋に入れ、ダクトテープで口を縛る。
これを下水道にでも捨てれば、麻薬密売組織の奴らも見つけられないだろう。
私はビニール袋をベッドに置き、デスクの引き出しを開ける。そこにはシグ・ザウエルP228自動拳銃が、9ミリパラベラム弾のホルダーと共に置かれていた。
この銃は、ジノーヴィ・ファミリーの‘‘兄弟’’から誕生日に贈られたものだ。家族代々受け継いできたトカレフは捨てねばならないが、代わりにシグを使えば問題はない。9ミリパラベラムは世界標準の拳銃用弾薬であり、規模の衰退も甚だしいロシアン・マフィアであろうとも入手は容易だ。
一度シグを分解し、部品を一つずつ点検する。せっかくの新たな仕事道具が、初っ端から壊れていては意味がない。
「似合わない銃ね」
背後に、白いシャツを着たソフィアが立っていた。すっかり血は洗い流され、濡れた髪が艶かしげに輝いている。
「銃はなんでも良い。使えればな」
「そうね、私もよ」
彼女は鞄を開き、黒光りする物体を取り出す。殺傷力向上のために刃を捻った、ツイストダガーという刃物だ。
「みんな嫌うみたいだけれど、私はこれが好き」
「フン...良いセンスだ」
「そう?嬉しいわ」
私たちはベッドに腰掛け、それぞれのスマートフォンを操作する。彼女はどんな画面を見ているのか分からないが、指の動きは忙しない。
私はファミリーからのメールを見ていた。どうやら、新興組織による襲撃は同時多発的に起こったらしい。ファミリーのメンバーが、4人同時に殺された。
「そういえば、あなたの名前だけど...」
「知っているんじゃないのか」
「ファーストネームだけなら」
「あぁ、私はタルコフスキー。ボリス・タルコフスキーだ」
「へぇ...小説も映画も好きなのね」
「バレたか」
「良いのよ。ソフィアの名前もニセモノだから」
「思った通りだ」
「本当?できた偽名と思ったのに」
「私の元妻と同じ名前だ」
「....悪い名前を使っちゃったわ」
「良いんだ。忘れることにしたよ」
私はソフィアを見る。彼女はずっとこちらを見つめていたようで、互いの視線が絡み合う。
「君が現れたからね」
「キザな人」
「よく言われるよ」
シグのスライドを引いて、初弾を薬室に叩き込む。まくっていたワイシャツの袖を直し、ズボンにシグを挟む。すると、脇に置いていたスマートフォンが振動した。メールの受信だ。文面を開くと、差出人欄には‘‘兄弟’’とだけ書いてある。
〈ボリス、親父が緊急会合を開く。今すぐ事務所に来い〉
短い本文だけだった。私は腰を上げ、ポールにかけてあったジャケットを羽織る。ソフィアがそれに気づき、「どこに行くの?」と尋ねる。
「緊急会合だ」
それだけ答え、デスク上に置かれた車のキーを取る。
「私も行くわ」
「ダメだ」
「どうして」
「君の正体を知らない。事務所の場所まで教えるわけにはいかない」
「信用してないの?」
「当然だ。あの麻薬密売組織のスパイかもしれないだろう」
「麻薬密売組織って...レイヴン・シンジケートのこと?」
「あぁそう...なんだって」
「レイヴン・シンジケートよ。あなたを狙っていた」
「奴ら、そんな名前なのか」
「知らなかったのね」
「そうだ。名前など
「私はレイヴン・シンジケートには関わっていないわ」
「誓うか」
「私はフリーの殺し屋よ。‘‘アグラーヤ’’の通り名の」
「‘‘アグラーヤ’’...友人が話していたな。君がそうなのか」
私はソフィアの瞳を覗く。嘘をついているようには思えない。そして、ツイストダガーが何よりの証拠だろう。規模の拡大を目指す組織なら、わざわざ目立つ凶器を携行させはしないはずだ。
「...信じよう。車を回す」
私はドアを出て、自家用車の待つガレージへと降りる。
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