Tales of Grasshopper

立花零

Boris

Caliber.1

 トカレフ自動拳銃の銃把じゅうはを握りしめる度、上腕の擦過傷がひどく痛む。既に止血はした。赤く染まる包帯と、厚い雪化粧をした地面を交互に見やり、鮮やかな色彩の差にほのかな酔いを感じた。

 廃車の陰に隠れながら、私は追手の数を数える。最初にいたのは五人。そのうち二人を撃ち殺したが、それも二時間も前の話だ。既に増援が到着しているだろう。

 彼らは全員が同じスーツを着ていて、同じグロック17自動拳銃を装備していた。その銃口には消音器サプレッサーが装着されており、深い闇が広がる夜間で銃撃の脅威を増幅させていた。

 遠くから足音が迫ってきている。トカレフのマガジンを抜き、残弾を確認する。予備マガジンはもとよりない。残り四発。敵を殺しきるには、十分とは言い難い。私に残された選択肢は、残弾一発を用いて自決するか、投降して敵に捕まるかだ。

 敵は新興の麻薬密売組織だ。このサンクトペテルブルクで、二年ほど前から活動を始めた。彼らにとって、古くからこの街で活動するのマフィア〈ジノーヴィ・ファミリー〉の一員である私は、目の上のたん瘤といったところだろう。

 私はスーツの内側から、金のロケットペンダントを取り出す。それを開くと、中には元妻の写真が収められていた。

 彼女はどうしているだろうか。マフィアの妻であることを嫌がり、子供も作らず家を出て行った女は......まさか死んだとは言わないだろうな。あの世に行ってまで嫌味を言われ続けるのは御免だ。

 ロケットを引きちぎり、廃車の下に放る。もうすぐ私は死ぬのだ。この女のことなど、忘れるがいいだろう。

 足音がさらに近づいてくる。終わりの時間が近づいてきた。私はトカレフを持ち上げ、下顎にピタリと銃口を密着させる。引き金に親指をかけると、つぶった目頭が熱くなるのを感じた。心では死ぬ覚悟ができていても、体が命乞いをしている。不条理な二律背反に笑みがこぼれたとき、私は右方向に気配を感じた。

 思わず目を見開き、トカレフを向ける。照準器越しに人の姿を捉え、自殺のために使わんとしていた殺意を向ける。

 気配の正体は、追手の一人ではなかった。黒いドレスの若い女が、頭から血を被って立っている。雪景色によく似合う肌を晒し、女は海を見つめていた。

「こんばんは」

 彼女の唇が震え、澄んだ声の挨拶が聞こえた。その姿に呆然とし、腕から自然に力が抜ける。地べたに落ちたトカレフが、小気味のいい金属音を響かせた。

「お会いできて嬉しいわ、ボリス」

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