第23話
わたしが病院だと思っていた建物は、わたしが作られた研究所だった。だからまあ、わたしにとっては病院みたいなものだ。
研究所をお母さんの運転する車で出る。横に長い四階建ての建物だった。
お父さんは家を出ると毎日この建物に通勤していたのだ。市役所の近くだから前を通ったこともあるし、なにかの研究所があるということも知っていた。まさか自分がここで作られたアンドロイドだったとは思っていなかったけれど。
わたしはお母さんに頼んで、愛音ちゃんの家に寄ってもらった。
愛音ちゃんのお母さんは、わたしがアンドロイドだということを知っている。でも、そんなことは口にしない。
「愛音は自分の部屋にいるから、いってあげてね」
わたしはうなづいて勝手知ったる我が家のごとく、二階の愛音ちゃんの部屋のドアまできた。
「わたし」
ノックしてドアの向こうの愛音ちゃんに声をかけても反応がない。ノブを下に押すと、ドアが開く。カギがかかっていなかった。ドアを薄くあける。
「愛音ちゃん、はいるよ」
室内は暗い。カーテンが閉めっぱなしだった。エアコンの音だけがする。ディーナは眠っているのかな。
愛音ちゃんはベッドの中だ。毛布をすこしめくって、わたしもベッドにはいる。愛音ちゃんは背中を向けていた。
「愛音ちゃん」
わたしは愛音ちゃんの背中に手の平をつけた。気持ちが手を通じて伝わったらいいと思った。そうやってしか伝わらないこともある。けれど、話さないとわからないこともいっぱいあるのだ。
「わたしはなんともなかったよ。大丈夫。大丈夫だよ」
「美結ちゃんごめんなさい。わたしなにもできなかった。女の子だと思って油断するから、男なんて簡単にやっつけられると思ってた。でも、ちがった。
強いつもりになって油断してたのは、わたしのほうだった。大人の男にはかなわなかった。簡単に身動きを封じられて、もがいてももがいても無駄だった。
美結ちゃんを守らなくちゃいけなかったのに、自分が服をはぎとられて体中なでまわされて、舌で舐められて、汚くて死ぬほど嫌でたまらなくて。すぐに美結ちゃんのこと忘れてた。
嫌だ助けてって思ってた。逃げたいって思ってた。怖かった。弱虫になってた。
わたしが自分らしくいられたのは、自分が強いって思ってたからなんだってわかった。
自分が強いって思えなくなったら、なにもできなくなっちゃった」
愛音ちゃんを後ろから抱きしめる。
「わたしもだよ、愛音ちゃん。わたしも怖かった。
でも、それはわたしが弱虫だからじゃないと思う。だれだって怖いって思うはずだよ。怖いって思って、何も考えられなくなる。他人のことを心配する余裕なんてあるわけない。それでいいんだよ。
愛音ちゃんが襲われてるのに、わたしを助けてほしいなんて思わない。
こうして、二人で話ができることをうれしいって思うよ。
わたしね、あのとき殺したいって思ったの」
愛音ちゃんの背中がピクンと反応する。
「あの男の人たちみんな殺してやるって。愛音ちゃんは、今あの人たちのこと殺したいと思ってたりする?
でもね、わたしが殺してやるって思ったときね、力がはいらなくなっちゃったんだ。意識も遠くなって、なにもできなくなっちゃった。悪いことはできないんだよ。
そのあと愛音ちゃんを思ったよ。愛音ちゃんのところに行きたいって。そうしたら、愛音ちゃんがわたしに力をくれた。わたしは正気にもどれたの。
愛音ちゃんはね、強いんだよ。腕力だけが強さじゃないでしょう?
悪を憎んで許さない。愛音ちゃんは強いんだよ。
愛音ちゃんのことが大好きなわたしに力をくれる。愛音ちゃんは強いんだよ。
腕力で男に負けたからって、くじけないで。ううん、愛音ちゃんがそんなことでくじけるはずないよ。
愛音ちゃん、自分の弱さを知ってる人は一番強いんだっていうじゃない。弱さを克服するんだよ。ほら」
わたしは体をはなして、愛音ちゃんにこちらを向かせた。愛音ちゃんは顔を見せてくれない。かまわず愛音ちゃんの頭を胸に抱く。
手を背中にまわしてさすった。愛音ちゃんは、お腹の中の赤ちゃんのように丸まって泣いた。
ハンバーガー、ポテト、ウーロン茶を載せたプラスチックのトレーを両手でもって、階段をあがってゆく。
窓際の四人がけの席に、香澄ちゃんと坂本が向かい合わせてすわっていた。
「香澄ちゃん、坂本、おまたせ」
ファストフード店でふたりと待ち合わせしていた。わたしが最後のひとりだった。わたしがいなくても、香澄ちゃんは坂本と話ができるようになったみたいだ。大きな犠牲を払った花火大会のおかげだといいけど。
わたしは、香澄ちゃんのとなりにすわった。
今日は、わたしたちが遭遇した怖ろしいあの事件について、ふたりに話すつもりだ。なぜわたしたちが待ち合わせの場所へ行けなかったのか、心配をかけたふたりには知らせなければならない。
あえてはぐれて香澄ちゃんと坂本をふたりきりにした企みについては話さない。愛音ちゃんとも話し合ってそう決めた。その話をするためには、香澄ちゃんが坂本のことを好きであるという、わたしたちの推測についても話さなければならなくなる。香澄ちゃんにとって、それはよいことではないと思ったからだ。
ふたりとはぐれたあと、会場までたどりつくことはあきらめて、見晴らしのよいところを探そうとして人けのない路地にはいりこみ、三人組の男に神社の境内のすみに連れ込まれたこと。服をはぎとられ、体をなでまわされ、舌でなめられたこと。股間を直接触られたこと。そのときの嫌悪感、無力感。これらのことについて、わたしは話した。
もちろん、男たちの企みは失敗し警察に逮捕されたこと、裁判にかけられて刑務所に入れられるだろうことも話した。それに、愛音ちゃんがわたしを守ってくれて、そのせいでケガを負ったために自宅療養中であることも。
ここは、事実とちがう。愛音ちゃんも、わたしが守ったということを知らないはずだ。愛音ちゃんには、警察が来て助けてくれたのだと説明されている。では、なぜ警察がやってきたのか。わたしが防犯ブザーをもっていて、それを作動させることにより警察に位置情報が送られたのだということになっている。あながち間違いとはいえない。
お父さんの話を聞いているときは気づかなかったけれど、わたしが殺意を抱いたこと。結局、そのおかげで愛音ちゃんを守り、犯人たちを逮捕できたということなると思う。殺意を抱いたことも、悪いこととばかりいいきれない。
いや、そんなの嘘だ。アンドロイドの研究をして、緊急事態に対応するための仕組みをわたしに組み込んでくれた人たちのおかげだ。殺意を抱いたって、ひとつもいいことなんてない。
愛音ちゃんはしばらく家にこもるつもりだ。その説明のために愛音ちゃんがケガをしたことにする必要もあって、ふたりへの説明は実際とはちがうものとなった。愛音ちゃんも承知している。
おぞましい事件の話を聞かされるのは、ふたりにとっては本望ではなかったかもしれない。でも、わたしは話したかった。話をするまで、そのことばかりを考えて頭が破裂しそうな気がしていた。
「ごめんね。こんな話、聞きたくなかったでしょう?」
「ううん。話してくれてよかったよ。だって、話してくれなかったら、美結ちゃんと愛音ちゃんが苦しんでることに気づかなかったかも知れない。ふたりが何に苦しめられてるのかわからなかったと思う。つらかったでしょう?話をするのも。ありがとう、わたしに話してくれて」
香澄ちゃんが、わたしの手を取って握りしめてくれた。
「なんといっていいかわからないけど。男の中には、卑劣なやつがいて、でも、そうじゃない男もいっぱいいるんだ。いまは男に対して怒りとか、恐怖とか、嫌悪とかあるかもしれないけど、そればかりじゃなくて、機会があればそういうのを見直すっていうか、もっといい印象をもってもらいたい。なにいってるかわからないけど」
「ううん、いい人にあったらいい人だなって思えるように、きっとなる」
愛音ちゃんには、一度見失ってしまった自分を立てなおすのにリハビリが必要だった。
強いと思っていた意思は、腕力で負けない相手に対して強気でいられるというだけだった。ほんとうは弱虫だったと思ってしまった。強いものにも自分の意思を貫くんだという自信をとりもどすことが必要だった。
愛音ちゃんは、いままで見た映画やアニメをすべて見直すといいだした。膨大な量だ。夏休みがすべて潰れてしまう。わたしは反対しなかった。愛音ちゃんが決めたことだから。
愛音ちゃんが家にこもるといったのは、このためだ。それでも、たまには外に出て息抜きも必要だ。わたしは夏休みの間、ことあるごとに愛音ちゃんを近所に連れ出すようにした。
わたしにも、わたしのやるべきことができた。
わたしはアンドロイドについて勉強することにした。自分について知りたいと思った。
はじめに夏休みの宿題にとりかかった。とにかく進められるだけ進めることにした。一日のほとんどの時間を勉強と読書についやした。
一足飛びにアンドロイドの勉強ができるわけがない。中学、高校とステップを踏んでいかなければならない。できるだけ早く進めようとだけ思った。期末前にしたサオリ先輩との話を思い出す。遠くまで冒険するには途中の勉強も大切なのだ。
息抜きが必要なのは、わたしも同じで、愛音ちゃんと出かけることは、わたしにとっても大事だった。
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