第16話
愛音ちゃんとの試験勉強は、あまりはかどらない。ふたりとも、いい点を取ろうという意欲があまりないのだ。結果、期末も中間とかわり映えしなかった。残念ながら、社会もしかり。
理科だけは、一味違うよろこびがあった。なんと、学年一位だったのだ。同じ点数で学年一位の人がもう一人いたのだけれど。
理科のテスト範囲が生物中心だったのがよかった。わたしは生物が好きで、学校の勉強以外でも生物分野の話題に出会うと必ずチェックする。テスト範囲の内容は以前から知っていたのだ。あらたに勉強しなければならない範囲がせまかったから有利だった。
テストの結果がどうであろうと、テストが終わったという事実が大事だ。あとは夏休みになるのを待つだけだ。
昨日、ネットで天気予報をチェックしたら、梅雨が明けたと書いてあった。夏は暑いけれど、雨がつづくよりマシだ。
放課後、家庭科室にはいるとムッとした。今日は家庭科室が使われなかったのだ。熱気がこもっている。
愛音ちゃんは日直で、日誌を職員室に出しに行っている。わたしは教室の窓をすべて全開にし、ドアも開け放った。廊下の窓が開く音がした。廊下に出ると、サオリ先輩が窓を開けてくれていた。
「梅雨があけたそうね。さっそく暑くて困ってしまう」
「わたしは暑いの強いんです。やっと梅雨があけた。すぐ夏休みだーって気分です」
「そう、美結ちゃんらしい」
サオリ先輩はエアコンのスイッチをいれる。
「そうですか?愛音ちゃんのほうがらしいですよ?」
「ふたりとも」
「愛音ちゃんと一緒かー」
「仲良しなくせに」
机のいつもの位置についた。宿題をはじめる準備もできた。軽快に走る足音が近づいてきたと思ったら、愛音ちゃんが教室後方に飛び込んできた。
「美結ちゃん!あ、サオリ先輩も!タイヘンタイヘン」
「なんでぇ、八兵衛。騒がしい」
「親分、てぇへん」
「おめぇのてぇへんは聞き飽きたぜぇ」
愛音ちゃんとわたしはサオリ先輩の顔を見る。笑っていた。ふたりでニヤリ。
「でも、美結ちゃん!間違ってるよ」
愛音ちゃんからダメ出し。うまくできたと思ったのだけど。
「え、どこが?」
「てぇへんなのは、八五郎だよ。銭形だよ?」
「あれ?八兵衛は?」
「それは水戸黄門。うっかり八兵衛でしょう?」
「あぁ、うっかり八兵衛だ。八五郎っていうんだ、てぇへんの人は。わたしうっかりのひとが、てぇへんだっていうんだと思ってた」
「ぜんぜんちがうよ、重要なところだよ?ここ」
「そっかー。うっかりが八兵衛はよく覚えてるよ?てぇへんは八五郎か。両方八兵衛にしてくれると楽なんだけどなー」
「そういう問題じゃないから」
「それで、なにがてぇへんなの?」
「あ、そうそう。親分、てぇへん」
「なにがあったんでぇ八五郎」
そこからはいらないと愛音ちゃんはいけないらしい。
「マユミ先生が学校やめちゃうんだって」
「うそ、なんで?」
「白馬の王子さまだよ、美結ちゃん、親分」
「王子さまに連れて行かれちゃうの?八」
「あら、おめでたいじゃない」
サオリ先輩は顔の前で手を合わせている。マンガやアニメじゃなく、こんな仕草を現実にする人がいるなんて。しかも自然な感じで。現実は小説より奇なり。
「わたし、やめませんよ?学校」
「あ、マユミ先生」
マユミ先生は、開け放った前方のドアに手をついて立っていた。
「まったく、おマセさんは耳が早いのね。しかも不正確だし」
「先生、やめないで」
「だからやめないっていってるでしょ。それとも、本当はやめてほしいわけ?」
「マユミ先生のお茶、大好きです」
「ああ、お茶がね」
マユミ先生が愛音ちゃんのこめかみを、こぶしでグリグリやる。
「おー、効くー」
「マユミ先生、結婚されるんですか?」
サオリ先輩が軌道修正してくれる。マユミ先生は愛音ちゃんを解放して、教壇のほうにまわる。エアコンの前に手をかざして風の温度を確認した。そのまま窓閉めにかかる。
「恥ずかしながら」
「まだしてなかったんですね」
窓閉めにとりかかっていた愛音ちゃんが睨まれる。
「だって、マユミ先生ほどの素敵な女性、世間の男の人が放っておくとは思えません」
手振りまでつけていて、尻尾がちらちら見えている。
「夏休みの間に新婚旅行しようと思ってね。いまがチャンスというわけで結婚することにしたの」
窓とドアはすぐに閉めおわって、みんな定位置にもどる。
「王子さまは?どんなひとなんですか」
どんな話が聞けるか、ワクワクする。
「ぜんぜん王子さまって感じじゃないの。どちらかというと馬のほう」
「白馬だ」
「うーん。そうね、もとは白馬なのだけれど、いまは農耕馬?」
「農耕馬?」
「そう。大学の合同サークルで、お茶のね、そこで知り合って。わたしとは別の大学で、頭はいいのだけれど、やることがバカで困っちゃう人なの」
人のおノロケを聞くのははじめてだ。
「せっかく新卒で大きい会社にはいったのに、やっぱり気に入らないってすぐやめちゃって」
「もったいない」
「でしょう?他人から見たらもったいないのにね。バカなの。
それで、今度はちいさい会社でエンジニアをはじめたんだけど、そうしたら忙しくて生活がめちゃくちゃ。白馬から農耕馬になっちゃった。わたしが生活をみてあげないとそのうち死んじゃうって思って、プロポーズを受け入れちゃった」
「ごちそうさまでした」
三人で手を合わせてお辞儀した。
「そういうんじゃないんだってばー。もう」
「じゃあ、結婚するけど、寿退職しないんですね」
サオリ先輩は大切なことを聞いてくれる。
「しない。二学期もいっしょに部活しましょう」
「よかったー」
「愛音ちゃんが、マユミ先生やめちゃうっていったんだよー?」
「だって、職員室でさ、マユミ先生結婚して夏休みにはいなくなっちゃうって聞いたから」
「夏休みにいないだけだったんだね」
「新婚旅行は、どこにいくんですか?」
「ヨーロッパに一週間」
「ヨーロッパ」
わたしたちは声をそろえた。思い思いにロマンチックなヨーロッパの街並みをゆく王子さまと自分を思い描いたかどうかは知らない。
「ヨーロッパというと、紅茶ですか」
「そうなのかな、ヨーロッパ詳しいわけではないからわからないの」
マユミ先生が頬に手を当てる。
「ヨーロッパって、いっぱい町がありますけど、どのあたりに行くんですか」
「いいことを聞いてくれました。もう、そのことで、結婚前から夫婦げんかみたいになってしまって」
「あらー、お熱いこと」
愛音ちゃんは、ほとんどおばさんだ。
「わたしは、パリとその周辺くらいでゆっくりしたいといったのだけれど、農耕馬がね」
「農耕馬で通しちゃんだ」
きっと照れているのだ。
「そ、農耕馬がね、遺跡をいっぱい見て回りたいっていって、毎日移動してギリシャとかトルコとかエジプトとかっていうの。頭がいいのも考え物でしょう?」
「遺跡いいじゃないですか」
「美結ちゃん、社会苦手なくせに」
「期末はあと少しで平均というところまでガンバったもん」
「あと少しね」
「新婚旅行で移動ばかりは嫌ですよね。歴史のロマンより、見た目ロマンチックっていうのが、女性には大切というか」
「そう。サオリちゃん、いいこと言った。そうなの。農耕馬は歴史のロマンを語るの。まったくわからない。石の柱が倒れていたって、それがなんだっていうの?ナントカ様式の教会でステンドグラスからの光が石造りの床に落とす模様のほうが断然ロマンチックでしょう?」
ナントカ様式って、わたしみたい。マユミ先生も社会苦手なのかもしれない。
「それで、どうしたんです?」
「農耕馬に折れさせて、パリ。わたしの完全勝利」
「よかったじゃないですか」
「でもね、なんだかわたしが大人げないみたいで、いまはちょっと反省してるの」
「いや、ぜんぜんです。マユミ先生が正しいと思います」
「ありがとう、美結ちゃん」
マユミ先生は、準備室にはいっていった。
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