第14話

 月曜日、今日はめずらしく坂本より早く登校していた。いつもは愛音ちゃんとわたしより坂本のほうが早く登校してくる。せっかく一番に香澄ちゃんとデートしたことを自慢してやろうと思ったのに。

 香澄ちゃんは先に登校していた。

「おはよう」

 坂本が挨拶しながら教室に入ってきた。元気がないような気がした。

「今日はわたしたちより遅かったね」

「うん、ちょっとね」

 なにかあったのかもしれないけど、話してくるまでこちらからは聞かない。

 ホームルームがすぐにはじまった。自慢話をするチャンスはなかった。あまりそういう雰囲気でもないか。

 四時間目、もう半分終わって昼休みが近く、お腹すいたなんていう声が聞こえてきたころ、担任教師が教室のドアを静かに開けた。坂本を廊下に呼び出す。なにごとだろうか。授業は上の空で聞く。

 すぐに坂本は戻ってきたけれど、帰り支度をはじめて、そのまま教室をでていってしまった。本当になにごとだろうか。

 昼休み、給食で担任教師がやってきたときに、坂本の早退についてクラス全員に話した。坂本のおじいちゃんが亡くなったのだそうだ。家族でおじいちゃんの家に行くから早退したのだった。坂本は何日か忌引きすることになると言った。

 そのあとは午後いっぱい、みんなソワソワしているように感じた。わたしも、なんだか落ち着かない気持ちだった。


 家に帰ると、お母さんはダイニングでおやつを食べていた。

「クラスにね、坂本っていう男子がいて、わたしの前の席なの」

「うん、なにかいたずらしたいの?」

「そうじゃなくて。今日、早退したんだ。おじいちゃんが亡くなったんだって」

「そう。気の毒だね」

「気の毒?こういう感じは、気の毒だと思ってるってことなのかな」

 この気持ちはなんだろうかと思って落ち着かないような気がしていた。

「わたしは美結じゃないからわからないよ。その子と、坂本くんと親しくしていたら、坂本くんの感じてる気持ちと似た気持ちになってるかもしれない。ずっと一緒に学校生活してるから」

「自分のおじいちゃんが死んじゃったような気持ちになってるってこと?」

「そうかもしれない、ということ」

 どうだろう。そうなのだろうか。よくわからなかった。

 お母さんが席を立って、テーブルをまわってわたしの席へやってきた。わたしがすわっている横に立って、肩に手をおく。お腹にわたしの頭を引き寄せる。わたしは目をつむる。お母さんのぬくもりだ。気持ちがやわらいでゆく。

 しばらくそうしていたら、お母さんのお腹がぎゅるるるるると、わたしの耳元でなった。食べたおやつが移動したみたいだった。元気に生きているお母さんとわたしは笑った。


 数日して、坂本が学校に復帰した。お葬式まで終わったとのことだった。

 坂本のおじいちゃんは、しばらくまえから入院していた。それが、先週末から具合が悪くなった。一時は心臓マッサージや電気ショックが必要になったそうだ。昼間は病院に見舞いに行って、夜はおばあちゃん一人になってしまった家に泊った。

 もし坂本を誘っていたとしても、一緒に映画を観に行けるような状況ではなかったのだ。

 日曜になって少し落ち着いたから、夜遅くに坂本の家族は帰ってきた。それで月曜日の朝は元気がなかったようだ。

 月曜日になって病状が急変して、おじいちゃんはそのまま亡くなった。坂本は、亡くなるかもしれないと思っていたと言った。心臓マッサージと電気ショックは、死ぬほど苦しそうだったとも。

 坂本は元気がない様子で、たんたんと話した。

 わたしのおじいちゃんもおばあちゃんも健在だ。でも、人は死ぬ。いづれは、みんな死ぬ。どんな気持ちになるのだろうか。お父さんやお母さんも死んでしまうのだ。なんだか急に不安になってくる。

 わたしもいつかは死ぬときがくる。自分が死ぬというのはどんな気持ちになるのだろうか。坂本のおじいちゃんはどんな気持ちで亡くなったのだろうか。病気だったから苦しかったかもしれない。坂本のおばあちゃんは、いまどうしているだろうか。泣いているだろうか。

 このあとしばらくの間、なんとはなしに自分や家族が死ぬということについて考えては不安になることがあった。坂本が早退した日に感じた、どこか落ち着かない気持ちとは違って、はっきり死に対する不安といえる感情だった。


 このあいだ中間試験が終わってほっとしたばかりなのに、もう期末試験の心配をしなければならない。試験前のリフレッシュのお出かけも終わってしまった。あとは試験勉強をはじめるだけだ。

 部活の時間、いつも通りあつまって勉強したり、オシャベリしたりする。

「あー、もうダメ。中学に入って急に勉強がむづかしくなって、嫌になっちゃう」

 愛音ちゃんがシャープペンをペシッと机に押さえつけるように置く。手を机の上にすべらせて腕を伸ばしながらノートの上に突っ伏した。

「むづかしくなったのかな。テストのやり方が変わっただけじゃない?」

「社会のテスト」

 こちらを向いた愛音ちゃんの顔はニヤニヤしていた。

「むづかしかったんじゃないもん。覚えられなかっただけだもん」

「社会が嫌いにならない?」

「別に嫌いじゃないよ。歴史とか面白いと思う。覚えられないけど」

「えらいなー、美結ちゃん」

「好きこそものの上手なれっていうでしょう?好きってわけじゃなくても、嫌いにならなければ、そのうちなんとかなるだろうだよ」

「美結ちゃんの社会の点数が悪いのはいいんだけど、なんで勉強しなくちゃいけないのかなー。小学校で終わりでいい気がしない?」

「わたしはもっと勉強したいかな。生物とか」

「美結ちゃんは、動物のお医者さんになりたいからでしょー?」

「愛音ちゃんはないの?」

「小学生になりたい」

「じゃあ、小学校の先生は?」

「先生じゃなくて、小学生になりたい」

 わたしはサオリ先輩を見る。助けを求めて。

「え、わたし?」

 察してくれたみたいだ。

「わたしには、まだわからないかな。なぜ勉強が大切なのか、将来なにになりたいか」

 愛音ちゃんもサオリ先輩が話し始めたから起きあがった。

「それでも勉強頑張れるんですか?」

 愛音ちゃんの心の叫びだ。

「うーん、頑張らないで頑張る感じ?」

「サオリ先輩、わかりません」

「そうねー。頑張るぞと思わないで、普通に勉強してみるかみたいな。わからないかな」

 ちょっと困った顔で微笑む。

「なぜ勉強が大切かということなのだけれど。大人の中には、学校の勉強なんて役に立たないという人もいるみたい。でも、そういうことを言う大人って、途中で勉強をやめちゃった人たちなんだよ。

 たとえば、そうねぇ。愛音ちゃんと美結ちゃんは一次方程式ってならった?まだか。そのうちやるはずだけど。二年生になるとね、今度は連立方程式っていうのを習うの。それで、誰かが一次方程式なんて役に立たないって言ったとするでしょう?でも、それって連立方程式を解こうとしたら必ず使うの。ということは、一次方程式が役に立たないというのは、単にその人がそのあと連立方程式まで勉強していないってことなんだよ。

 そういうふうに考えると、わたしは学校の勉強が役に立たないという人がいても、勉強しなくていいやとは思わない。一次方程式しか勉強していない、連立方程式を知らない人が、一次方程式を役に立たないと言っているだけだと思う」

 三年生のサオリ先輩のいうことは、わたしたちとはぜんぜんちがう。

「わたしたちが勉強していることって、ずーっと昔の人が研究してわかったことでしょう?」

「そりゃあまあ」

「大人ならみんなが知ってる、わかってる。当り前のこと。人類文明の真ん中あたりにいるというイメージかなと思うのね」

「はあ」

「これから高校に行くと、ちょっと昔の人が発見したことになって、大学でも勉強すれば、もっと最近発見されたことを勉強する。同じことを勉強した人は減ってゆく。それは文明のはじめの真ん中あたりから冒険していって端の方まで到達するってことなんじゃないかなって」

「勉強しなくていいなんて言ってる人は、冒険してないってことなんですね」

「そう、遠くまで冒険するには勉強しておかなくちゃいけないってことがわからない。最初の町からでていないから、遠くまで冒険することの価値もわからない。わたしたちと一緒ってことかな。大人なのにね」

「うーん」

「だからね、いま誰も知らないこと、誰にもわかっていないことを研究する人になったら、勉強の大切さがわかるのかもしれない。もっとずーっと遠くの端のほうから、いまわたしたちがいる最初の町を眺めるの。でも、そこまで行くにはいーっぱい勉強しないといけないのだけれど」

「やっぱり勉強しないとダメなのかー」

「わたし、なんとなくサオリ先輩の話わかる気がした」

「そう、よかった」

 へへーと、二人で笑いあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る