第9話

 放課後。今日も雨だ。

 クラスの男子が、カブトムシの幼虫をもってきて、教室の後ろにあるロッカーの上で育てている。育てているといっても、霧吹きで土をしめらすくらいしか、世話することがないのだけれど。

 女子の多くは、イモ虫気持ち悪いといってカブトムシの幼虫をロッカーの上に置くことに反対した。でも、わたしは生き物を観察するいい機会だと思って、内心賛成していた。

 掃除が終わって、教室からほとんど人がいなくなった。わたしは、最近よくするように透明な円筒状の容器にはいったカブトムシの幼虫を眺める。幼虫の部屋は円筒の容器の側面に接しているから、部屋の中が丸見えだ。ものがないから、散らかっているということはない。

 幼虫は丸まって、お尻に顔をつけるようにしている。

「そんなに近づいて、気持ち悪くない?」

 チラッと声のほうに顔を向ける。愛音ちゃんだということはわかっていた。

「うん、こうやって見てるだけなら。もっと近づいて、顔とかじっくり見たら気持ち悪いかもしれないけど」

「うへー。そういう風にいわれただけでも、鳥肌がたつ」

「ほら、お腹のところなら大丈夫だよ」

「その基準が、わたしにはわからない」

 容器に指をつけて、お腹を指す。

「お腹のところ、横方向にシワがあるの。で、ここに点があるでしょう?たぶんここで呼吸してるんだ。皮膚は透明で、お腹の中身が見えてるんだよ。よくみると、中でツブツブみたいのが脈動してるの。こういうの見ると、生きてるんだなーって感心しちゃうんだ」

「わたしは美結ちゃんのその感覚に感心しちゃう」

「じゃあ、もっと鳥肌ものの話する?東南アジアの国の人たちで、カブトムシの幼虫をた」

 愛音ちゃんが、わたしの口を押えた。愛音ちゃんは頭を振っている。わたしは話を続けないという意味で、目を一度つむった。愛音ちゃんがゆっくりわたしの口を解放する。

 わたしはなおも、短い足とか、堅そうな毛とかを観察する。

「お前らって部活やってんの?」

 坂本がまだ教室にいた。いつもは放課後になるとすぐに部活に向かう。

「いまごろ?もう三箇月くらいたってるよ」

 愛音ちゃんは腰に手を当てる。

「お前ら部活はいってないかと思ってたんだけど。まだ残ってるから、もしかして何かやってるのかなと」

「今日は坂本ゆっくりなんだね」

 わたしはロッカーに背をつけてもたれる。

「今日は日直だったから。掃除終って日誌をだしてきたんだ。いつもは部活で、授業終ったらすぐ教室出なくちゃいけないんだけど。ノンビリしてると先輩にドヤされるんだよ」

「わたしはね、茶華道部だよ?愛音ちゃんも一緒」

「サカドウ部?なに部だよ、それ」

「茶華道っていってんでしょ」

 愛音ちゃんはツッコミが速い。

「茶道と華道、お華ね。両方やる部なんだー」

 わたしはノンビリしている。愛音ちゃんが胸を張る。

「へー。毎日お茶飲んで、花生けてんのか」

「ちがうよ。週に一回お稽古で、お茶の次はお華で、その次お茶っていうふうに、隔週でやってるんだよ。

 坂本もはいる?週に一回だけお稽古の日に参加すれば大丈夫だよ」

 いつもサオリ先輩とオシャベリしたり宿題やったりしていることは省略した。

「いや、おれはサッカーやってるし」

「そう。部員三人だから、増えたらうれしいんだけど」

「香澄ちゃんは?」

 香澄ちゃん、なぜかまだ教室に残っていた。

「え、わたしはバドミントン部だよ」

 香澄ちゃんも教室のうしろへやってくる。

「毎日練習あるの?」

 運動部のことは愛音ちゃん。運動神経だけはいい。

「うん、毎日練習するよ」

「そっか、体育館だから雨関係ないしね」

「すごいね、バドミントンなんて。わたし絶対シャトルに追いつけないよ」

 わたしは、コートの端にシャトルを打ち込まれて返せなかった選手のフリをした。

「うん、美結ちゃんには無理。バドミントンのシャトルがラケットをはなれたときの速さが、打つスポーツの中で一番速いんだよね」

「そういわれてるね。わたしヘタクソだから、ぜんぜんだよ?」

「中学からはじめたの?」

「そう」

「じゃ、これからなんじゃない?」

「そうだよ、香澄ちゃんがバシバシ打ってるところ見たい」

 わたしにだけ見えるラケットで、素振りする。

「うん、練習してバシバシだね」

「バシバシだよー」

 愛音ちゃんと香澄ちゃんとわたしの三人で、バドミントンのシャドー素振りをしながらオシャベリした。坂本は、ヤベッといってあわてて教室を出て行った。先輩にドヤされるのかもしれない。

 カブトムシの幼虫は、このあといつのまにか蛹になっていた。蛹になるところを観察しそこなって残念だ。このときのお腹の脈動が、蛹になるための準備だったのかもしれない。


 毎日雨が降って、気分も晴れない。部活は天気関係ないから、お稽古も普段のオシャベリ活動も支障はない。でも、気分は晴れない。

 今日は、家庭科室でのオシャベリ活動をお休みして、愛音ちゃんの家に遊びに行くことになった。愛音ちゃんのイトコがやってくると聞いたからだ。

 帰宅時間は雨がやんでいた。一部空が青いくらいだ。わたしはあまりの期待で、ひさしぶりに足取りも軽く感じた。愛音ちゃんと二人で家に寄って、わたしは荷物をおいて着替えをした。ぐずぐずせずに、すぐに愛音ちゃんの家に向けて出発する。

 愛音ちゃんの家の玄関ドアのまえにくると、中から泣き声が漏れ聞こえてきた。顔を見合わせる。きっとわたしの目はらんらんと輝いていたに違いない。一週間ぶりに獲物を仕留めたお母さんライオンのように。

 愛音ちゃんの家のリビングに、泣き声の主はいた。

「美結ちゃん、いらっしゃい。いいところに来てくれた。この子をあずかって」

 まだ首がすわらない赤ちゃんを愛音ちゃんのお母さんが抱っこしていた。わたしは、その場で愛音ちゃんのお母さんに抱っこの仕方を教わって、赤ちゃんを慎重に抱っこした。重たい。

「よしよし」

 わたしは、重たくて首がぷらんぷらんする赤ちゃんを、抱っこした人がよくやるようにゆすってみた。赤ちゃんは手と足をバラバラにジタバタさせる。この赤ちゃんが愛音ちゃんのイトコだ。

「愛音ちゃん、こんな感じ?」

「うん。このお姉ちゃん誰?って顔したけど。いいよ、美結ちゃん」

 全身に共鳴させるようにすごい勢いで泣いていた赤ちゃんは、しばらくしたら大人しくなった。赤ちゃんがじーっとわたしの顔を見つづける。クリクリの目がかわいい。

「愛音ちゃん、赤ちゃんかわいいね。顔とか手とかぷっくぷくだよ。指とかちっちゃくてかわいい。握ったり開いたりするんだよ」

「うん、そうだね」

 うちにも赤ちゃんほしい。

「おなかにはいってたのが、でてきてこうなったんだね。すごいね。十年ちょっとしたら、わたしたちみたいになるんだ」

「そりゃそうだよ、美結ちゃん」

「不思議じゃない?」

「いや、わたしたちだって、こんなんだったんだよ」

「それでも、やっぱりわたしは不思議だなー」

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