第8話

 中間試験が終わるとすぐに季節は梅雨にはいって、よく雨が降るようになった。

 わたしは、天気が悪いと体が重くなる気がして、雨の日はできるだけ動かないようにしている。

「雨だねー」

 愛音ちゃんがいつもどおり、わたしの席にやってきた。

「そうだね、毎日雨だね」

「うん。だから、毎日雨だねって美結ちゃんにいってる」

「うん。わたしも愛音ちゃんが雨だねって言うのを毎日聞いてる」

「こんな会話もつまらないね。雨のせいだね。ぽつぽつぽつぽつうるさいよね」

「愛音ちゃん、大丈夫?」

「なにが?」

「サビ」

「サビ?」

「うん。体がサビちゃうんじゃないの?ロボットの愛音ちゃん」

「いいサビ止めつかってるから大丈夫だよ。ほら」

 愛音ちゃんはロボットっぽい動きで笑いを誘う。途中で動きづらそうに止まったりする。

「サビサビじゃなーい!」

「てへっ」

 さすがの愛音ちゃんも恥ずかしかったみたい。すぐにやめてしまった。もっとひとつのネタでひっぱってもよさそうだったのに。

「わたしたちって、あまり女の子らしい会話しないよね」

「あらー?そうかしら」

「女の子は、髪が湿気ではねちゃうとか話すんだよー」

「わたしの髪、雨の日はクセではねちゃうのー」

 愛音ちゃんが自分の髪をなでながら、なにかの役をはじめた。実際の愛音ちゃんの髪はさらさらのストレートで、はねているなんてことはない。

「わたしもー。毎朝鏡の前で、ドライヤもって髪と格闘しているの」

 どんな展開になるのかわからないけれど、ノってみた。

「このあとどうなるの?」

「え?愛音ちゃんノープランなの?」

「だって、美結ちゃんが髪の話題をふってきたんだよ?」

「ふってないふってない。女の子はそういう話をするんだよって教えてあげただけだよ」

「なんだー、オチないのか」

「女の子の会話をしようとしたんだから、別にお笑い芸人じゃないんだし、オチはなくてもいいんだけどね」

「うそ。美結ちゃんは笑いにキビシイから、オチがないと怒り出すかと思ってた」

「なんでやねーん。えーかげんにしなさーい」

 愛音ちゃんが笑い出した。わたしも笑った。わたしたちに女の子の会話はむづかしすぎたみたいだ。


 梅雨といったら、カエル、カタツムリ、アジサイだ。光が弱く、淡い色の世界というイメージがある。

 愛音ちゃんの傘の色は、あわいピンク。わたしはブルー。一緒に買った傘だ。学校の行き帰り、ふたりで並んで傘をさして歩く。自分たちではわからないけれど、遠くから見たらきっとキレイなはずだ。

 美術の時間はたいてい作業がはじまると勝手にオシャベリしながら課題を進めることになる。そういう時間がほとんどだ。わたしは課題の絵に絵の具で色を塗っていた。

「なんというか、パッと見はキレイなんだけど、意味わからない絵だな」

 となりの席の坂本がわたしの絵をのぞきこんでいた。色塗り作業は最終段階にきている。わたしの絵は、アジサイの葉の上でカエルとカタツムリが頬を寄せ合っていて、その横にアジサイの花、バックはお寺。上の方には虹と、大粒の雨が一粒ある。すきまに愛音ちゃんとわたしの傘を丸く描いて押し込めた。梅雨のイメージ総出演だ。いまはメインの登場人物たちが塗り終って、曇り空を灰色がかった水色で塗りつぶしたら完成のつもりだ。

「意味なんてないよ。ドント・シンク、フィール!だよ」

 どうやら、だれにでも通じる慣用句ではないみたいだ。坂本はポカンとアホ面をしている。

「あたっ」

 わたしのセリフが愛音ちゃんを呼び寄せたようだ。愛音ちゃんが坂本の頭をひっぱたいた。

「愛音ちゃん」

「美結ちゃん、それを使うときは躊躇してはダメ。頭をペシっとやらないと完成しないんだよ」

「でも、愛音ちゃんにしか通じないみたいだよ、今の。ねえ、坂本知らないんでしょう?」

「知らない。なんなんだよ」

 ペシっと、また愛音ちゃんが坂本の頭をひっぱたいた。

「考えるな、感じろ!」

 坂本は頭をなでている。

「聞いたことはある気がする」

「もう一度叩いたら思い出すかも」

 愛音ちゃんの言葉で、坂本が頭を避難させた。

 愛音ちゃんは、両親からマンガやアニメの英才教育を受けたように、古い映画にも通じている。

 愛音ちゃんの家もわたしのうちと同じで新聞をとっていないし、テレビも受信していない。夜、食事が終わると後片付けを手伝って、それが終わるとたいてい映画とかコンサートを見る。愛音ちゃんの家には大量のソフトがあって、ライブラリ状態なのだ。古い映画のソフトは安く手に入るのだとか。わたしが見たいと思って愛音ちゃんに聞くと、たいていの映画は借りられる。わたしも愛音ちゃん経由で感化されて、普通の中学生が知らないようなネタを仕込まれている。

「ねえ、愛音ちゃん。ブレードランナー、愛音ちゃんの家にあるでしょう。つぎあれ貸して」

「うん、いいよー。じゃあ、ボックスセットのやつね。五種類のバージョン全部入ってるから」

「どういうこと?」

「えっとね。公開前に試写したときのバージョン、アメリカ公開バージョン、アメリカ以外公開バージョン、ディレクターズ・カット、ファイナル・カットだよ?」

 指をおりながら、愛音ちゃんはすらすら答える。

「ファイナル・カット?それが一番あたらしいんでしょ?それだけ見たんじゃダメなの?」

「ダメダメ、うちのお父さんとかお母さんとか、子供のころに何回も映画館にいってビデオを何回も見てる人は、アメリカ以外公開バージョンで話をするし、もっとマニアな人は、どのバージョンがどうとか話し出すから、とりあえず全部見ないと」

「愛音ちゃん、わたし素人。マニアな人と話す機会もないから」

「じゃあ、仕方ない。アメリカ以外公開バージョンと、ファイナルカット・バージョンを見れば許してあげる」

「許してくれるんだ」

 愛音ちゃんはスパルタなのだ。

「ちなみに、続編もあるよ。こっちはね、三十年くらいたってから作ったからまだ新しいの」

「そう、でもとりあえずブレードランナーで」

「なんでブレードランナー見る気になったの?」

「うん。原作を読んだんだー」

「美結ちゃんはいつも原作からはいるよね。読書家だからなー」

「愛音ちゃんの家と同じだよ。お父さんとお母さんが本ばっかり読んでるから」

「同じだね」

 でも、小説は多くは読まないらしく、家にあるのはノンフィクションというジャンルと専門書がほとんどだ。ノンフィクションはお父さんに勧められて読むことがある。専門書は、わたしにはまだ無理らしい。

「じゃあ、小説をわたしが借りる」

「うん、交換で」

「小説はエッチなの?」

「えー、エッチなところは、ほんのちょっとあるかな。ほとんど推理とドンパチだよ」

「ふーん。面白そうだね」

「タイトルが、アンドロイドは電気羊の夢を見るかなんだけど、ブレードランナーって。映画ではぜんぜん違うタイトルになっちゃったんだね」

「映画化のときに内容をいっぱい変えちゃったのかな」

「そうかもしれないね。こんなのわしの作品の映画としてみとめーんとか」

 わたしは美術室の机を手で軽くたたいた。

「そうかもー」

「あの」

 ずっと話に混ざれなかった坂本が割り込んできた。

「さっきの考えるなっていうのは?」

「あー、燃えよドラゴンね。見たい?貸すけど」

「うん。見たい」

「はーい」

 机の反対側の女子が手をあげて、さらに割り込んできた。

「わたしにも。坂本の次に貸してほしい」

 愛音ちゃんは軽く同意した。愛音ちゃんは、誰とでも気やすく話ができる。わたしより交際範囲が広い。わたしは人づきあいが苦手で、愛音ちゃんとサオリ先輩としか口をきかないという日もあるくらいだ。いや、最近は坂本がよく話しかけてくるから、坂本も仲間にいれておこう。でも、そんな感じだ。

 いま会話にはいってきた子は香澄ちゃん。最近三人で話していると混ざってきてくれる。わたしより大人しい雰囲気の女の子だ。

「香澄ちゃんもブルース・リー好きなの?わたしね、ブルース・リー観たあとは自分がブルース・リーになった気分になっちゃって、蹴りとか型とかやりたくなっちゃうんだー」

 あちょー、とかいって、映画を観なくてもブルース・リーになってしまう愛音ちゃん。

「ううん、わたしは」

「香澄ちゃんは、そんなことないよー」

 愛音ちゃんがわたしを見つめる。

「ん?わたしは乱暴者だといいたいのかね?美結くん」

「いえ、教官。そんなことは一ナノメートルほども思っておりません」

 愛音ちゃんが後ろ手に腕を組んで回れ右する。

「ふむ、ならよいのだが。なかにはわたしのことを、意味もなく頭をポクッとやる暴力教官だと、陰で噂する不届者がいるようだな」

 愛音ちゃんがサッと振り返って坂本の頭をポクッとやって、また後ろを向く。わたしは、ぷっと吹き出してしまう。

「そんなことはありません、教官」

 教官に敬礼。

「美結くん、きみもそう思ってるのではないかね」

 愛音ちゃんが振り向く。わたしの顎を持ち上げて、目をのぞきこんでくる。

「そんなことはありません、教官」

 敬礼を続ける。

「はーい、そろそろ時間でーす。作業をやめて後片付けをはじめてくださーい」

 美術の先生が指示をだす声が聞こえた。

「ちっ、命拾いしたな」

 愛音ちゃんは先生の方を向いたまま、わたしの顎を解放する。わたしは顎をさする。

「じゃ、片付けよっか」

 愛音ちゃんは、教官のまま自分の席に帰って行った。映画ばかり見ているとああなってしまうのだろうか。こわい。

 わたしの絵は、あとすこしで曇り空が塗り終って完成という段階で足踏み状態だ。

 絵の具のバケツと筆を洗いに水道に向かう。坂本と香澄ちゃんが残されたけれど、ふたりが話をする様子はなかった。

 絵のタイトルは、フィールに決めた。

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