第7話

 夜、アルナと遊ぶのが日課だ。

 アルナというのは、わたしがハムスターにつけた名前だ。ジャンガリアンハムスターという種類で、手にのる小ささ。性別はメス。アルナと姉妹の、ディーナというハムスターが愛音ちゃんの家にいる。ペットショップで一緒に買ったのだ。やっと慣れてきて、手にのせても逃げなくなった。手の上で餌を与えるようにしている。

 アルナを手にのせる。アルナの重さとぬくもりが伝わってくる。これが命だ。この小さな体の中で心臓が鼓動して血液が循環して、エネルギーを消費して、動いている。この小さい中にすべてがつまっている。精巧で高効率。人間がいまだ到達できない高み。生殖によって、生命は奇跡のような次世代の生命を生産するのだ。でも、そんなことはアルナとわたしの間には関係のないことだ。

「アルナー、聞いてよー。今日社会のテストが返ってきたんだけどね。ひどい点数だったの」

 アルナは後ろ足で立って、首をかしげる。

「まえの席の男の子がね、ひどい点数だったっていったんだけど、わたしよりちょっとだけいい点でね。バカにしたのー」

 アルナはギリシャの哲学者のように考え深げに目を閉じて、四本足で立った。ヒゲがひくひくしている。

「愛音ちゃんもね、一緒になってバカにしたんだよー」

 アルナを片手にのせて、あいた手で上からなでる。

「愛音ちゃんはディーナの飼い主ね。アルナはディーナにたまには会いたくなる?」

 手の中のアルナから反応はなかった。あまりなでていると眠ってしまって遊んでもらえないから、すこしだけにしておく。

「アルナは、平安京って知ってる?」

 アルナを床におろして、トイレットペーパーの芯をおもちゃとして近くに置く。

「知ってるわけないよね。わたしはね、知ってたよ?知ってたけど、何年にできたとか、誰がつくったとかは、覚えてないだけ」

 アルナは芯の中にはいって、反対側から出てきた。

「でも、今日おぼえたよ?」

 アルナはトイレットペーパーの芯を転がしはじめる。どんどん転がして、わたしからはなれて行ってしまう。膝立ちになってトイレットペーパーの芯を押える。アルナは押そうとする。芯をとりあげて、アルナの手前におく。今度はこちらに向かって押してくる。

「えっと、鳴くよで、ナナヒャクキュウジュウヨンでしょ?平安京で」

 アルナが押してくる芯を手で止める。また手をはなす。

「場所は、京都」

 芯を止める。また手をはなす。

「つくったのは、コーブじゃなくてカンム。なんか中国人みたいなんだよ。あの、三国志の関羽みたいな?名前じゃなくて顔がね」

 芯をとりあげて転がす。アルナが追いかけて行って、中に入った。

「どう?すごい?今日一日で覚えたんだよ」

 アルナが芯からでてきて、立ち上がる。舟をこぐような前足の動きをしながら、わたしになにか言う。

「アルナ、ありがとう。わたしからも」

 袋からアルナの餌をだして手渡す。アルナは夢中でムシャムシャする。ふっくらした頬を見ていると気分がなごむ。


 翌日には全教科の答案返却が終わった。わたしの結果は、社会はヒドかったけど、ほかは良かったか普通だったと思う。

 まえの席の坂本は答案が返されるたびに、わたしに戦いを挑んできた。たいていは返り討ちにしてやった。坂本の成績もわたしと似た傾向があって、社会以外はよかった。愛音ちゃんは、一緒に勉強していたはずなのに、どの教科もまんべんなくできていた。かならず平均はこえていた。あまり得意不得意がないようだった。女の子は、普通そういうものかもしれない。

「美結ちゃん、好きな科目しか勉強しなかったんじゃないの?わたしは全部の科目勉強したもん」

 愛音ちゃんのいうとおりだ。だって、テストの前の日に勉強するのだから、時間は限られている。その中で勉強するのだから、興味のある科目に絞って勉強するというのが人情というものだ。人情のわからない愛音ちゃんはロボットにちがいない。お茶室での愛音ちゃんを思い出しておかしくなってしまった。過去の傷を蒸し返してはかわいそうだから口にしなかったけれど。ニヤニヤしてごまかした。

 坂本とは、中間試験の答案返却をきっかけに、よく話すようになった。

 佐藤と坂本で、出席番号がとなり同士だから、理科室、音楽室、美術室で出席番号順の席になったときも、となりか前後の席だった。ムダ話をするくらい親しくなるまでは、そのことに気づいていなかったけれど。

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