第3話
はじめてのお茶のお稽古の日。
放課後、家庭科室にまだサオリ先輩はきていない。いつも通り愛音ちゃんと並んですわる。
「わたし、足しびれすぎて立ち上がろうとしたら倒れちゃうかも。美結ちゃんが下敷きになってね」
「えー、そしたらよけるー」
「冷たいよ、美結ちゃん。美結ちゃんが倒れるときは、わたしを下敷きにしていいから」
「わたし倒れないもん。しびれてきたらすぐに諦めて足くずしちゃう」
「美結ちゃんの弱虫。正座という強大な敵をまえに戦わずして屈してしまうというの?」
愛音ちゃんの声が演劇がかっている。演劇部があれば、愛音ちゃんをぜひ入部させたかった。
「愛音ちゃん、わたしには無理だよ。とても勝ち目がないもの。だって、わたし正座したことがないのだからっ!」
仕方ない、つきあってあげる。
「ううん、そんなことない。美結ちゃんなら、きっと大丈夫。わたしがついているわっ」
「愛音ちゃん」
「美結ちゃん」
二人は手を取り合う。
「死ぬときは一緒よ」
「美結ちゃん一人を死なせはしないわっ!」
二人抱き合うの図。
「ふたりは、観客がなくてもその調子なのね」
サオリ先輩だった。愛音ちゃんとわたしは、よくこんな風にバカなコントを繰り広げている。サオリ先輩のまえでも構わずにやってしまうから、すでにお馴染みなのだ。
「サオリ先輩、いつの間にっ」
「愛音ちゃん、それはもういいから!」
「今日はお茶のお稽古の日です。場所は校長室のとなりの和室です。移動するから荷物をもってね」
サオリ先輩はさすがにわたしたちのバカに付き合ってはくれない。
しずしずと三人廊下を進み、階段をあがり、渡り廊下を通って、目の前は校長室となりの和室のドア。
ドアをガラガラと開けると、狭いスペースがあって、その先に襖がある。サオリ先輩が上履きを脱いで上がり框にあがり、横にある背の低い下駄箱に上履きをしまう。わたしたちもならって、上履きを脱ぐ。
「はい、これ」
サオリ先輩が白い和紙を渡してくれる。
「懐紙というもの。お稽古で使うから、ポケットに入れておいて?」
何に使うものかわからなかったけれど、上着のポケットにいれる。
サオリ先輩が膝をついて襖をあける。先輩に開けてもらって気が引けたけれど、サオリ先輩が和室にはいって今度は閉めるために待機してくれているようだから、愛音ちゃんとつづいてわたしも和室の畳にあがった。襖にも開け方、閉め方があるようだ。
黒くて丸い釜?から静かに湯気がたって、そのそばに女性がすわっていた。きっとお茶の先生だ。マユミ先生も先にきていた。まごまごしているあいだにサオリ先輩が部屋の奥、お茶の先生の正面に正座してすわった。わたしたちもサオリ先輩の左に並ぶ。マユミ先生は、わたしたち二人のさらに左に移動してすわった。
「新入部員の方たちね」
お茶の先生は笑顔がやさしそうだ。
「はい、愛音ちゃんと美結ちゃんです。お茶ははじめてだそうです」
わたしたちは、よくわからないながら畳に手をついてお辞儀する。
「あらあら、そう堅苦しくしなくてもいいんですよ。わたしは二週に一度、一緒にお茶を飲んだり、お菓子を食べたりしにくるおばさんです。名前は高城晴子です。
今日ははじめだから、むづかしいことはなしね。姿勢と、とにかくお抹茶を飲んでもらいましょう」
「はい」
むづかしいことはなしとお茶の先生がいうから安心してしまったのだけれど、姿勢ひとつとってもただ正座していればいいというものではなかった。気をつけなければならないポイントがたくさんあって、そんなことに気をとられすぎて体が硬直してしまう。
薄茶というのをお茶の先生が点ててくれてみんなで飲んだ。愛音ちゃんの動きがロボットみたいでおかしくて、みんなでクスクス笑いながらのお稽古となってしまった。
サオリ先輩に渡された懐紙は、お点前をいただいたあとに茶碗の口をつけた部分を手で拭い、さらにその手を拭うときに使うものだった。なにか布のようなもので茶碗を拭いてしまえばいい気がするのだけど、こすれるのがダメとか理由があるのだろう。
わたしとしては、「けっこうなお点前で」という有名なセリフをお茶の席でいえたことが、今回のお稽古の一番の収穫だった。
愛音ちゃんに宣言した通り、わたしはお茶を飲んだあと足をくずしてしまった。愛音ちゃんは名誉挽回のつもりで正座を頑張っていたのだけれど、そのせいで立ち上がれなくなくなるほど足がしびれてしまい、しばらく寝ころんで回復を待つハメにあいなった。そんな姿の愛音ちゃんは、岩場で休むアザラシみたいだった。
薄茶には落雁がよくお菓子として供されるということで、今回はピンクとグリーンの落雁が用意されていた。口どけがサラリとして、しつこくない甘みがお茶によくあっておいしかった。
抹茶には、薄茶のほかに濃茶というのがあって、作法が薄茶と濃茶でちがうのだそうだ。しかも、お菓子もちがう。薄茶には落雁のような干菓子が供されることが多く、濃茶には練切や饅頭ということが多い。
食いしん坊の愛音ちゃんにはお菓子が落雁だけというのは物足りない。帰りにうちによっておやつを食べて行った。お母さんが毎日おやつを食べるから、愛音ちゃんが帰りに寄ってお母さんの相手をすることが、小学校時代からよくあるのだ。そんなとき、わたしはオシャベリに付き合うだけにしている。
お華とお茶を一度づつお稽古した。茶華道部も本格的に活動開始だ。
わたしは小学校のころ部活にはいっていなかったから、授業のあと部活へいくのが新鮮だった。しかも、苦しかったりつらかったりするようなキツイ練習はない。週一回のお華かお茶の稽古の日以外は、サオリ先輩と三人で宿題を片付けたりオシャベリをしたりして楽しく放課後を過ごした。マユミ先生も、暇があるとわたしたちに混ざってオシャベリしてくれた。
部活のあと、サオリ先輩はわたしたちと別れ、運動部の友達と待ち合わせて一緒に帰って行った。出身の小学校がちがうから、帰りの方向もちがう。わたしたちは学校の行きも帰りもふたりだった。
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