第42話

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 彼がナチュレ・アナ・バイライトという名前に出会ったのは、遠い昔の先祖を辿っていく途中で、まだ彼が成長を止める前のことだった。




 瑠璃色の髪をした翠の眼の乙女。


 神の祝福を受けた彼女は、様々な奇跡を人にもたらしたとされ、不治の病を手で触れただけで治したり、竜巻を祈りでつむじ風程度に戻したり、様々の奇跡を見せる。


 そんな数冊は本ができるほどの奇跡の記録を聞いたとき、まるで神の使いだと、幼きカティノ・ブライトは思った。

 それは千数百年前の自分の先祖がそれであるという誇りでもあった。

 ゆえに年相応にファンタジアを好んだ彼は、当然ながら知に走った。


 彼女のことをもっと知りたい。その一心で蔵のありとあらゆる蔵書をひっくり返すようになるまでは、あまり時間は、かからなかった。




 ちょうどいいことに、彼が生まれたブライト家は古きより続く家であった。

 それは1400年前に戦争で逃げてから、改築すれど当時と変わらない屋敷。ゆえにゲルマンの大移動ですらものともしなかったそれには、目を通すだけで1日を過ごせるほどの書架が並んでいた————そして彼は、ざっと50ほどの羊皮紙とパピルスを相手にして、ナチュレの姿を探すようになっていた。


 見知らぬ文字の形、文法などを、どうにかして手に入れた学術で読み解いてまで、彼はそれを探した。ほんのわずかの描写ですら、神託に触れた巫女のように喜んだ————そしてそれらが補助なしで読めるようになったころに、彼は心酔するからこそ、疑問を抱くようになっていた。


 それは削られた跡があったからだった。

 それもインクの劣化がかなり進んでいることから、かなり古い時代に行われている改ざん————羊皮紙でやるならともかく、パピルスにまでそんなことをするのはおかしいような改ざん————書き直しなんかせず、作り直して書き直した方が10倍は楽な改ざん。


 彼はなぜそんなことを?と疑問を抱き、それを調べた。

 どれも丁寧なことに、原型の残らぬように注意が払われていた。


 子供に思いつくような方法では、どうやっても下にかかれたものを突き止められないように、深く深く削り取られている。その上で修復が見事で、まるで魔法でも使われたかのように美しい。

 父を通して大学に修復を依頼してみても、結果は読み取り不能と突き返されたと言われるほどだった————ではこれを行ったのは誰?


 少年はその問題を抱えたまま、3年静かに過ごした。子供ができることはたかが知れていた。けれど彼が10歳になったとき、大きくその事態は動いた。



 彼の父が言ってきたのだ。


「ナチュレ・アナ・バイライト。知っているだろう?」


 さんざっぱら調べに調べた名前。知らないとは言えなかった。言えるはずがなかった。それについて知れるのならば、命をかけてもいいと、彼はその時すでに決めていたのだ。


「もちろん」


 そう答えると父親は彼を蔵へと連れ出し、魔女の針の形した鍵を二つ取り出した。見慣れた金庫に一つ差し込んで、ダイヤルで開錠。続いて残った鍵を、今しがた開いた扉の閂を引き抜いた穴に差し込むと、扉の中の方が開くのだ。


 一見してわからないような隠し方。


 薄い空間にギリギリ入る古い本があり、きっとそのために設計されたのだろうとカティノは見た。こんなことをするくらいに重要なモノ。ではなんなのだ?


 彼の考えをよそに、父は本を開き何かを詠唱する。歌のようだったそれが終わると、本は風にあおられたかのようにすさまじい速度でページがめくれ、炎に包まれた活字によって、文章が形作られていった。

 それはやはり、修復に使われた技術のように、魔法としか言いようがなかった。


「だが彼女には、隠しておかねばならない双子の姉がいた。その名前はソフィア・アイラ・バイライト。真っ白い髪をした、呪われた魔女で、ナチュレの力を奪おうとした悪魔だ」


 そしてその文字列は声となって、語り掛けてくるのだった。


 魔法は実在する。彼はシンプルに理解した。


 その上で触れてごらんと言われたので、カティノはそれに触れた。きっとそれは古代のビデオレコーダーとでもいうべきものだったようで、映像が彼の眼に直接飛び込んでくる。


 やってきたのは、古いどこかの森。


 空を煮詰めたような色をした少女が立っていて、彼はそれがナチュレだと気づく。想像するしかなかった彼女を目の当たりにした彼は、このために生きていたのだと喜びで心を満たしていた。

 何かを憂う目をした彼女は、脇にやってきたシカを撫で、呟く。


「どうして君は、こんなに穢れてまで…………?」


 誰がやったのだろうと、息を吐く。 重油のような汚れを右手で祓うと、少女は立ち上がる。心当たりを、少年に向ける。


「大地の夜?罪の雫?それとも…………ソフィア?」


 その中にあった人名を聞くとシカは、走り出していなくなった。その声がトリガーだったように思われ、少女は振り返る。後ろにはどろりとした先のものの塊があって、それはどす黒い光を宿した目で、彼女を睨む。


 ギロリと刺し貫くような光。

 びくりとして、少年は本から手を離した。

 憑りつかれるのではないかと怖くなるような、蛇のような呪いの塊と思われたからだった。



「見えたか。だが恐れるな。恐れるのは終わった後にすることだ。では何を終わらせるべきか?それが我が家たった一つの秘密だ」


 だがその手を握り、父親はもう一度少年に追体験させるのだった。

 それは当然、この映像を作った主の意向だった。悪を生み出したものが望む結末であった。引き継ぐべきと判断した、どこから生まれたかもわからない空虚な復讐であった。


「終わらぬ呪いを生んだアイツを赦してはならない。千年もの長きにわたって奴は、始祖の命で作った呪いで生きながらえてきた」


 少年はそれを引き継いで、映像を見続けることを覚悟するのだった。

 尊敬できる相手を、永遠に辱め続けるだろう相手を、正しく目に焼き付けるために。それが嘘であろうと、後世によって歪められた像であろうと、彼は正しいことであると信じて、怒りのままに目を開き続ける。


 許すものか。ソフィア・アイラ・バイライト。


 少年のままの彼は、怒りを燃やす。

 いつまでもこれを忘れたくないと、自分に呪いをかけてまで。



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