第30話 おろかもの
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長いお説教が終わったのは、時計で二十分経過したころだった。
その間に太陽は三十度ほど傾いて、もう夕日の寸前にある。体感時間はその通りだったので、どうも感じたことこそが重要なのだと考えていると、ついにアーティアがソフィアを解放する。
「さて、ながくまたせたね……ほんとうにほんとうにもうしわけない。なんもかんもそふぃあがわるいんだ、ゆるしてくれ」
それはその通り。篝は同調する。
「ええ……彼女の人格的欠陥には、かなり苦しめられました」
その後ろでは珍しくしゅんとした真っ白な少女が、姿のままにだらりとしている。
ほんに長くコッテリと絞られたソフィアは、体色以上に白く燃え尽きたようになっていた。鶏肉めいて油が抜けきり、バサついたようになっていた。
「ボロクソにけなしてくれるわね…………これでもケタの違う年をしているのよ…………物忘れのひとつふたつくらい…………」
「それとせつめいをしないのはべつだろう。ニード・トゥ・ノウにでもかぶれた?」
「使わないなら、その時は知らない方がよいでしょう?余計な判断をすると遅れたりがあって面倒だからって」
「ギリギリ癖」
「わかっています!」
珍しいことに、今のソフィアは少女らしい。
「ならネグラール、私の代わりに説明してあげなさいよ」
「わたしはこれからちょうせいにはいるんだ、わすれただれかのかわりをやってあげるつもりもないからね」
「ケチ! おろかもの!」
「きみはまずしりのひとつでもふくべきじゃあないのかね?」
見たこともないほど雑に柔らかく、見た目相応に彼女は振舞っていた。
そうなるとアーティアは母か父親か、その両方かもしくは兄か姉かのように思えた。年上の立場から、彼女を導くもののように思えた。
だからソフィアの駄々を大人としての姿で打ち返すと、じゃあ自分もそうするしかないのねと、彼女はぐだりとした状態から篝の手を取って、キリリとして言うのであった。彼にそうされたのだから、しょうがないなという風に。
「……では篝、少し散歩でもしましょうか」
そして彼女は有無を言わせず篝を抱え上げる。
何かいろいろと喚く少女の反論なども聞こうとしないで、彼女は雑に立ちあがる。ガタリと椅子が、後ろに倒れる。
「ねるまえにはかえってくるんだよ」
そんな彼女に呆れるアーティアは、巨大な肩を上下して、シャッターを持ち上げて通るのを待ってくれた。ちいさくソフィアが礼をして手を振ると、いいからさっさと行きなとしめされ、とおりぬけると壁で彼の姿は隠される。
そしてすぐに、ガシャンと波打った金属が地面に当たる音。それも風の中に消えると、完全に静かにな街の中に二人は放り出されるのである————建物の影の光はきっと、すぐに黄昏れる。夕焼けをかこむようにビルディングが並び、高さに合わせた曲線があるのは、円筒を黄道で切ったからだろうか。
まだ真っ白い歩道、真っ黒い車道らしきもの。それらのコントラストは月下でも十分に見えそうで、そのうちまばゆきに篝は降ろされる。そしてソフィアの顔を見る。
明らかに不貞腐れている彼女へ、少女は微笑みかけた。彼女もどこまで行っても、ただの人間なんだと思えて、不思議に親近感がわいていた。
「で、どこを歩くって言うの?」
だから、まあ、いいんじゃないかと篝は手を取る。
大人になり切れないままの子供。そんなものでも、今はまだいいんじゃないか。
「……どこかよ。私に言われたって困るわ」
そんな雰囲気を感じ取って、ソフィアはむしろそうしてくれる。
百倍の年齢の人物にそうされるのが、どこか嬉しい。
「なら……話をしてよ。私に何をさせる気なのか、それで私がどうなるのか。いつも気取ってばかりだからさ」
自分のほうが年上になったようだった。いや、本来の彼女は見た目の通りなんだろう————それが無理に大人としてあらなければならなくなって、無理に読めないミステリアで埋めているんだ。
口をつぐむソフィアは、今まで見たことがないくらいに幼い。見た目相応で、自分だけがそれを見られるのだとみれば、親密の証か、ただ取り繕えないくらいだったか。でもどちらでもいいや。ちょいとの世間話、それから本音。
「どうして隠すの? ……ここには別に、あなたをどうこうしようって相手は……あのシラギクさんはまあ別だけど、いないみたいじゃない。そんなに隠すこと? それとも、私のことが大事だから、言わないでおこうってことなの?」
もうちょっとだけ来てもいいよと、篝はわざと距離を作った。
それでもソフィアは話さない。気品のみは身にまとうけれど、その上に殻を生成して貝になっているかのごとくだ。意識から外していた見とれる立ち姿なのに、本質はへたり込んで動けそうにない私のよう。
存外彼女は脆いのだろう。失敗一つするだけで、全てを間違えてしまった気分になる。どこか私と似ているのかもしれない。
そう思って、一歩だけ篝は先を歩いた。
だったら、先を歩いてくれる誰かには、ほんのちょっぴりだけ呟いてもいいと篝自身が思えていたからだった————だから。
「…………思うことは、ね」
変なことを彼女はつぶやくと、同じように歩いてくれる。
自分もした、動くことで無思考になろうとするもの。はじめは二人同じ速度、それから篝を追い抜く速度、それからすべてを、振り切ろうとする速度。
「伝えてしまえば、本質に戻ることはもう二度とない。伝えきることができるのは自分だけで、伝わるのは誰でもない」
ソフィアは自分の思っていることを口に出しながら、どこに行くともしれないように自分を決めていた。一番近いものは哲学だろうか。それともただ単純に、理解されないのが苦しいというだけなのだろうか。
「重ねることだけはできるけれど、重ねてわかるのは平均だけで、枠に入りもしないなら、どこにも存在していないゆえにわからない。そして枠はあくまで枠でしかない。その形を示しているわけじゃない。表せるものは、思っているものは、必ずしも伝わるわけじゃない。そして同じことを繰り返せば、きっと」
曲がり角に至り、二人は速度を合わせて左へ。アーティアのいたものと同様の家屋が多くあり、その一角が広がる。なんぞの公園らしく、夕暮れを背にして帰ってくる小型のロボットが見えた。
けれどもそれもソフィアは見ていなかった。
「枠はおさめるだけ。物を組み込んで作っただけ。量子にならないものを切り捨てて、出来上がるものは必ずしも同じじゃない。でも私は同じを繰り返すしかない。繰り返すしかできない。私の為にあるはずの世界も、画一であるのだから」
完全に自分の世界に入り込んでいるようだった。この世界はもともとは彼女によってあるのだと考えてみると、その中で入れ子状態となることができるのは不思議ではあったが、しかしそれは自分の問題ではない。
人のことは言えないのだし、人に何かを言うことも、できやしないのだから。
ゆえに篝はしばらく歩くのに従った。ぶつぶつと様々をつぶやいて、整理をつけるのがソフィアの癖というか、対処なのだろう。
「多分聞いてないけど、大丈夫だよ」
そう彼女に言ってみるが、もちろん聞こえるわけもなし。ふっと篝は小さく息を吹いて微笑し、それならそれで、自分でも落ち着く時間が生まれるというものと、明確に沈むのが遅くなり始めた太陽と時計を比較した。
まだ行けるところは無数にある。時間だって、しばらくはある。
少しだけ許してくれるなら、私も、少しだけ許せるんだから。
だからソフィアが言葉を連ねている間、篝は銀の街を見ていた。
その光はどこまでも、温かく差し込んでくれる。
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