第31話 嘘話は嫌いなのよ
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「Nfuvgn!Zngn nfuvgn ar!」
ロボットの子供がボールを跳ねさせながら、そう叫んだ。それはつかもうとしたのをコロンと落とし、追いかけた先で捕まえると同時に。篝にぶつかって、小さく謝る。いいよと微笑んだなら、子供のようにランプが光る。
本当によくできた機械は、本当は意思がないのに自我を持っていると錯覚するという。中国語がわからなくても、英語で書いた指示書の通りに文章を返す人間さえいれば、対話が成立する。プロトコルで動く情報を、人は意識と誤る。
今の彼女の想いは、言葉が無くても伝わったのだろう————けれどこれは本当に、意識というものがあったからなのだろうか。
嬉しさを感じる篝は、走っていくそれを見て思う。
哲学的に生きているということは、誰からも確かめようがない。ここはソフィアの作った世界だ、ソフィアの中の世界だ。ならばそう作られてもおかしくはない。
ならばその始まりは?その根源は?
勝手に生まれたのだろうか。それとも彼女がそう作ったのだろうか。そうだとしたら、そのプロトコルはどこで学んだのだろうか。彼女はどうやって、それを————。
そんなところでソフィアが明らかに進行方向を変えるので、篝は一度思考を止めて手を引かれた。併設の遊歩道を進みたいらしい————ガラスでできた植物の植わった庭を囲むようにできており、少し進めば小さな川もどき。やはりこれも直線的で金属的だが、十分に自然を模している。
「ヨキコドモハ、カエルジカンダゾ」
その中を歩くアーティアと同型の機械が、年老いた声で語り掛けた。声から言って男だろうが、それはアーティアよりずいぶん新しく見えた。
「大丈夫、私がついておりますから」
考えることを一次的に止めたのか、それとも終わったのか、ソフィアはいつものようにまともな表情をして、彼に手を振った。
「オジョウ。アンタガイルナラ、アンシンダ」
機械はそう呼ぶようにプログラムされているのか、すり減った動き方をして礼をしていた。
彼女はこの世界の機械をそう作ったのだろうか。なら、彼らは彼女にとっては生きていないことになるのだろうか————けれど自分から見れば、あれは生きていると思える。そこはどう違うのだ?それは、何をもって生きていると?
「それで、このお散歩はどうするの?」
ちょいとその結論に困ったので、篝はまあいいやと息を吐いた。答えなんてわかるわけがないのだ、なら今はいい。
夕暮れは夜に入れ替わっていた。街灯で街が満ちて、部屋の灯りが暖かく各々の居場所を照らしている。
もうしばらくすれば完全に星の時間になるだろう。
「そうね……軽食でもどう?パンケーキくらいなら奢られるわよ」
だからソフィアがたそがれた言葉を吐くのだ。
「ここいらの人、機械でしょ?人間用の食事、あるの?」
篝はそれに、適当をつなげる。
「あら、無かったらどうやって私が暮らしていたと思うの?…………それに、機械といっても彼らはオートマタですもの。命こそないだけで、彼らにはなんだってあるわ。知性だって、肉体だって、それこそ自己の再構成だって。なんせ私であって私でない者たちなのだから、私ができると望めばできる」
「……気ままねぇ。じゃあそれはどこにあるのさ」
「さあ。私にもわからないわ。なら、わかるわけがない」
それはそれとして、急がなければ店は閉まるわとソフィアは続けた。それもそうね、急ぎましょうかと篝が答えるが、ソフィアは走る様子もない。気分だけで急ぐのよ、という感じだった。
「道はわからないんだけど、多分あっちであってるんだよね?」
また馬鹿をするのかしらん。篝はちょいと走ろうかねえと、行く先を示す。
人通り?の多い活気のある場所。マシンの並ぶ機圧の高い、気圧の低い街。
「ええ、そっちで————」
けれど篝が示した方向は、悲鳴と爆発によって真っ赤に彩られた。
断裂する張り詰めた音が、別の破壊音と連続して続いていた。叫ぶように聞こえてくるのは、金属を甲高く切断する音。そして歯車だけが無慈悲に走って行くのを見れば、恐怖するのは当然。
何かが、いや誰かが殺された。そう考えるには、十分だった。
ソフィアは会話をすぐに切り上げて、戦闘モードとなる。円陣が腰に回り、光を纏って力を握る。
「オート・マタ……増やしに増やしたものだ。ローゼンはどうだった?君をどのくらい追い詰めた?」
その変化があまりにも急で篝は追いつけなかったが、しかし目の前に敵だろう人間がいることはわかった。炎と電気で生まれる明滅したシルエットからは、そこまで背が高いようには見えなかった。あの男ではない。
なら誰だ。
「どうせお優しい君のことだ。生かしてはいるんだろう?」
一歩一歩確実に近づいてくる声は、まだ幼い。変声を迎えていないらしいが、しかしその重みはそんなものが出していい人生ではない。影は小さく、刃を振るう。
「だが姿は見えない。そこいらのサブ世界に放り込んだ、というわけだろう————まあ、それで抑え込まれるやつならば、僕はそれごと叩き切るけれど」
まだ生きている街灯の元に、影が確実に歩み寄る。二人の心拍が、決定的に上がっていく。N字に刃と持ち手がずれた剣、ローゼンと同様のコートをカットしてジャケットとし、張り付くような黒のインナー。右七分、左三分の白かったらしいジーンズ。
光が彼を照らせば、どこかソフィアめいた少年だった。
彼はソフィアに切っ先を向け、ジジジジとランプの残る機械の腹を踏み砕く。一瞬それが腕を伸ばし、ピンと張ったところで二度蹴り、マリオネットめいて沈黙。
そして同様に、サイレンと無声が、意識の中を支配するのだ。
二人は暗にどいていろと、篝に示している。
「君との関係も、これで人生の3割だ。いい加減に決着をつけさせてもらおうじゃないか」
鳴り響くようにオイルを払う。ソフィアがゆっくりと脚を広げる。互いに小さく呪文をつぶやく。
「悪いけれど、パンケーキはお預けになりそうね……」
胴を回る一対の熱の塊が、少年に握られると赤くなる。それは敵意を見に宿す。
「僕が知るだけで二百三十五人。彼女を喰らって何をせんと欲する?どれだけの命を吸って延びようと求める?」
少女に向けて、命を贖えと述べる。
「父に聞きなさい。もう土の下にすらいないけれど」
「そうさせてもらうよ。すべてが終わった後で!」
そして指の動きで熱を弾き飛ばす。えぐる角度の回転で空をひねり、腹部へむけて飛んでいく。それはソフィアに命中するかに見えたが、被弾部が瞬間的に複数の蝙蝠へと分解され、通り抜けるとすぐに固まる。
「下手な腹芸!」
そして後ろから攻撃しようと戻ってきたそれは、ヒールで蹴り飛ばされ軌道をそらされる。
「嘘話は嫌いなのよ」
手元に戻るまでに光弾を射出して、少年は駆け出す。剣の間合いに入ったならば、横へ薙ぎ払ってソフィアを跳び上がらせる。
確認してから彼は同じ軌道で残りの熱塊を放ってから、その間に飛ばされたのを回収。
対してソフィアはそのまま着地をせず、一度弾をばらまいてからわずかに滞空、いくらか加速をして、勢いのままに空を走った。
「……篝!」
ショーテルめいたブレードが二本取り出され、ソフィアは続きの言葉を言わずに投げる。一本はくの字に軌道が曲がり、紐でもあるように篝の手へ。もう一本はまっすぐに少年の方へ。
刃を受ける準備をして彼は左手を刀の峰に沿わせ、両足が滑って跡をつけるほどの反動を受け止める。そこへ少女が飛び込んで柄を握ると、ブレードを押し込む————けれどそれが力で止まったのなら、ソフィアは刃の曲がりに沿って逸らし、頭を狙う。
首を曲げ、熱球を一つ身代わりにし、彼はそれを紙一枚で防いだ。破損によって破裂四散するそれを、彼は指向性を持たせ目の前へ向ける。飛びのきつつ刃をぐるりと回して弾き、やるなと状況を見たのならば、僅かな接触時間で武器が蒸散していたのに気づいて篝に言う。
「逃げなさい。ネグラールのところに」
そしてバック宙返りと同時に壁を生やして、少年を進ませるものかとソフィアが防ぐのである————だがそれは熱の破裂で破壊され、瓦礫が篝の身体をかする。守り切れないと示される。
「……行きなさい!」
無理くり投げ渡されたブレードから、言葉によって熱が流れ込む。
そうだ、見ている場合ではない。急げ、逃げろ。そうぶるり従わぬ腿が押しつぶされて、篝の筋肉に命令されるのであった。かなり遅れて神経をたどったそれが発揮されれば、塞ぐようにまた、彼女は魔法を使う。
「生きなさい」そう聞こえたような気がしたのを、篝は放り捨てた。体ははいずってでも、崩れかけてでも、上下してでも、息を切らしてでも、加速を続けてくれる。
戻る先も、どうしてか覚えている。いや、頭の中には、流れ込んでいる。
彼女は機械の友人のところへ、姿を消していく。
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