第36話 割れ鍋に綴じ蓋

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 その答えは、腕輪が展開を終えることによってわかってしまった。


 いくらかぎこちなく篝の腕から離れたそれは、ちょっとした甲殻類。篝の指を抱いてリングから糸を引き出すと、膨らんで硬質なままに拡大。人が数人入ることのできるポッドとなる。

 コンとノックすればハッチが開いて、外からは考えられない広さの住居があった。人を10人はおさめても生活にはなるだろう。


「だからあなたが必要なのよ。私だけじゃなく、ナチュレをも持っているあなたが。あなたを拡張する概念が」


 ソフィアは篝をその中へ案内した。それはどう見ても穴より大きく、入るというのならそのあたりをどうするのか、という話なのだけれど、それは最初から彼女も考えていたのだろう。

 アーティアを入れてハッチを閉じてみれば、行くべき穴が拡張しているように見えた————いや、こちらが縮小しているのか、さっき見えた風花が非常に大きく見える。


「……こっちが小さくなってる…………?」


 思ったままを出すと、彼女は肯定して答えるのであった。


「空間が歪んでいるだけだから、厳密にはそうじゃないのだけれどね。圧縮に圧縮を重ねて、事実上のゼロがあの先の無限。今ではリジェクトされたかもしれないけれど、情報を中性子星で圧縮するような理屈よ。それがどこまでも限りないだけ」


 人が形を留めているか、そうじゃないかなどは完全に除外するもので、存在や情報のみを取り出すほどにまで、圧縮する。論理抽出とでも言おうか。そういう物らしい。だから篝は考える。


「……待ってよ。それって、原子とか分子とか……そういう構成要素が成り立たないところまで圧縮されてしまわないの?」


「だからそのリングがあなたにつながるのよ」


 そしてソフィアは篝の手を取った。


「船をあなたの一部にすれば、その中身は影響から逃れられる。というより、もともとあなたは最後まで圧縮されないわ————あなたたちカケラは、私の根源とは違いながら同一性を持つ。もちろん私もそうだけれど、私は私じゃない部分を乗り越えることはできない。トートロジーめいているけれどね」


「これが私って?」


 自分の数倍、体積なら数十倍はあるものが、全部自分だということにする?どうも理屈はわからない。そんな適当なことを言ったって。篝は馬鹿にするような、呆れるような表情をする。


「私はこんなに大きくない。私はこんなに硬くない。私はこんなに、強くはない。擬人化でもする気?」


 私はこんなものに感情移入できないし、する気もない。人間に与えられた機能であるのだけれど、でもそれができるからといって、することがそうであるとも、思わない。


「でも、そうなるのよ。人間って、不思議なものだからね」


 けれどそれは簡単な理屈なのだ。


「そうね、一日ぶっつづけで書き物をした時を思うといいわ。その時のペン先は、もはやあなたの思うとおりにしか動けない、肉の延長。熟練工が感じるのとも同じものよ、自分はいくらでも拡張できる、というのはね」


 世界の終息がポッドに近づき、わずかに穴の方へ追いやられたので、ソフィアは篝が追い出されないように、キッチリと扉のロックをかける。人外の力でもなければこじ開けられないくらい、ガッチリと、壊れそうなくらいに。


「……大丈夫なの?」


 窓があったので外を見てみると、同時に突入した氷塊が、一瞬でゴミのように消えてしまった。

 珍しくもないことではあるが、恐怖を感じる篝に少女は、珍しく母性というものを露わにする。胸に抱きしめ、頭を撫でる。


「最悪でも、私とあなただけは」


 大丈夫なのは二人だけ。ならばアーティアは?

 そんなことを篝は考えたが、考えただけで言葉にはしないことにした。きっと彼も大丈夫だ。私が大丈夫で、ソフィアが大丈夫なら。


 珍しく彼女は、希望的観測をもって息づいていた。


「私に任せなさい。だてに年は取っていないわ」


 私よりも、見た目は年下のくせに。篝はそう笑った。



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 少女たちの行く先は、新緑と黄昏の間に見えるときもあれば、完全な蒼穹に支配されることもある。可視光と紫外線もしくは赤外線の間を乱雑に飛び回り、かつ有害であるその視界は、ごくまれに小さく弾け、膨らんでいる。

 それはかつて彼女が考えていた、死後の世界とそっくりだった。


 つまりそれは、完全な虚無。


 何も存在しないなら、完全に死んだ黒に染まっていると考えるべきで、そこは無であって烏有ではない。何かが生まれることもない。しかしそうであるべきの宇宙は、本来無であるのだ。


 ならば虚無から見た世界というのは、存外七色にあるものではないか、と思うようになった。無は有に転移するものであると。


 しかしそうだとするのなら、何も考えていないときの私はどこにあるのだろうか。


 眠っているとき、自我のないとき。

 我が我であると思うから我である、というのが哲学だろうが、我でないと思うことができるのも人間のはずだ。この世界でなら、そう定義できてしまうはずだ。


 眺めていた外の世界で、バブルがぱくりと口を開けた。それは目もないのに周りを認識すると、まだまともに形を残すポッドへ近づき、腹の中に入れようと試みる。けれど彼女たちに近づくにつれ、体積ゼロのフラクタル結晶となって崩れて消えた。

 命があるように見えて、全体としては何もなくて、ただそのままに死んでいく。生まれては消えるパラレルワールド、のようなものなのだろう。同様にいてもいなくても同じそれらを、篝は見る。


 話から推測するなら、ここは根源へ至る道か、もしくはその脇にある既知でないものとなる。あるいは現実性を吸い上げるための装置、世界を固定する楔の廃棄先。

 いや、そこいらの説明はなんだっていい。


 後ろの窓から強い光が差し込んできたので何かと見れば、入ってきた穴が急速に縮んでいくところだった。人為的に作られた不安定な存在が、存在の肯定を無くしきっていなくなったのだろうか。それとも私はゲートなんかじゃないと、生きる気力に満ちて閉じたのだろうか。


 前者だったなら————つまり死。少女がずっと求めていた物。

 そうだとすればなんと羨ましいことだが、しかし彼女は生きることそのものをアイデンティティとしていた————絶対に自害を願うことはない。まだ生まれたばかりでもあるのだし、それ以上に活力に満ちているなら、誰だってそうだ。


 ならどうしてだろう。これだけ言葉を連ねてみて、生きていることに絶望をしていたはずの自分が、どうしてか死にたくないと思っていることに気づくのだ。気づいてしまったのだ。

 死にたくないと思うようになっていた自分が、この不条理な世界で生きていたいという自分が、どこかにいる。


 いや、ずっといなくなりたいという感情自体は残っているのだ。手のひらの上に毒薬があれば、飲んでいたはずだと今でも自負はできる。理性的に考えて、今の自分には存在している理由がないのだし、ただ精神の奥をすり減らして壊れていくだけだろう未来も見えている。特に日常が楽しいわけでもない。

 それなのにどうして、今の自分には、今しがた消えていったあの不安定の魂をうらやましいとは思えなかったのだろうか。


 ぼんやりと窓の外に浮かぶ無を眺めていると、ソフィアが呟く。


「少し、悪いことをしたかしらね」


 珍しく、彼女は悼むような姿を見せた。


「死んではいないし、そうなることはないでしょうけれど、でもすぐに私の方がいなくなるかもしれないなんて」


「使い捨てるつもりだったように見えたけど?」


「それは元からそうよ。私の世界の住人は、基本的に全て私の為にいるわ————それはアーティアはもちろん、私だってそう。だからそれがどうなろうと私はいい。でも人間なんて理性ある感情の生物。表に出す理屈と感情が違っていても」


 同様に珍しく、切なさを表に出して、言葉が続く。


「そうするしかなかった、それしか方法がなかった。なんとでも言える。理屈付けられる。けどそれはそれとして、気には病む」


「だから人間は理性ある感情の生物、というわけね」


 それに篝も、珍しい理解を示してみせる。


「……自分勝手、って言うんじゃないの?」


 否定されるかと思っていたソフィアが、僅かに力を戻した。


「もちろん、それも正しいわ。でもそれは私だってそう。どこかの誰かに望まれているのに、自分勝手に命を捨てようとしていた愚か者が私。そして同じように、命を使い捨てようとしたのは?」


「私、というわけね。これでお互い様。完璧でパーペキ。それでおしまいにしましょう、この話は…………欠けまくりなのに、何が完璧なんだか、なんて言わないでね」


「割れ鍋に綴じ蓋でいいのよ。私たちは」


「…………そうね。それもいいかもね」



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