第三章

第28話 あの樹のどこかに

 ————



「着いたわ。そろそろ降りてもらえると嬉しいのだけれど」


 ソフィアは足踏みと微風を生むことををやめ、篝に聞かせた。


 けれどそんなことに気づいている篝は、動く気などさらさらなかった————様々にかき乱されたままの状態で、どこに行くのもままならない。ついでに言えば、人に見せられるような見た目でもない。どこにも行けないと彼女は拗ねたようにしていた。


「……着いたって、ダイブする場所に?」


 だから無理に引き出せた言葉は、ちゃんとそうは聞こえなかった。


 何かの独り言だと思われた彼女は、無理に下ろされると、「そこに行くための準備をするの。本当に決めるまではまだ長いもの、しばらくは忘れていなさい」と言われて、動くこともできずにへたり込むだけだった。


 どうすることも、動くことも、今の彼女にはひどく億劫で恐ろしいことだと、思えていた。


 ガタリ、ガチャリ。ソフィアは何か建物の中に入り、誰かと話し始めたようだった。声だけがうつむく彼女に響き、その誰かは親しい相手なのだとは、いつもより低い声で篝に届く。


「……え、……がか……で、私の…………」


 そして一区切りつくと、扉を開けて二人ほどやってくる。その姿を見ることもしないでやはりうつむく彼女は、その声に心配されているのがうざったくて、けれどそれに向けていらないといいたくて、顔を上げるしかなくなっていた。


 そしてそうするとハンカチが一つ、石英質の歩道にぽつんと置かれている。近くにはそれを置いたであろう人間も、ゆるりと一人立っている。


「おはよう。少し長かったわね」


 彼女は篝のことを気にしないようにして、柱に手をついて背を向けてくれていた。

 篝の中に噴き出した感情があるのが見ていられなかったのだろう。ひとまず涙ををぬぐって、少女はあたりを見まわす。


 いつの間にか空に見ていた工場の群れの中にあり、ドスドス歩く機械巨人と、それに合わせて作られた、3メートルほどのシャッター扉。それにしては道のつくりはそこまで広くなく、艶消しの銀色を継ぎ目なく絞り出した壁に、さび止めの赤一色の屋根。デザインはそれほど凝っているわけではないが、最低限で最大の機能を持たせようとするのが、直線的なのに流麗な世界。


 それほど時間が経ったのか? それほどソフィアは歩いたのか?

 それほど、自分は引き返せなくなったのか…………?


 時計を取り出すと、青の空なら正午だろう日の向きであったけれど、午後の9時だった。やはり進んでしまったという考えは正しくて、戻れないのも同じそうだった。だからレトロな姿がやってきたのなら、それは胸の奥にガチリとはまるようなのである。


「アア、キミガ……『かがり』カ」


 右方のシャッターが開いて出てきたのは、丸いのに角ばった体の機械だった。


「そう。当代のカケラよ」


 ソフィアはそれに向け、こっちよと声で示す。彼は腹の蛇腹を曲げてペコリと礼をしてから、帽子を取ったような振る舞いをして続ける。まるで紳士な機械合成の低い音が、おなかのそこから響いてくる。


「シュウリガマダデメガミエナクテナ。コエデキクカギリ、ワカイオジョウサンラシイガ……ハジメマシテ。ワタシハアーティア」


 彼?の声は、かなり無理やりに発音しているらしい。


 あなたも歳なのだから、私が代わってもいいのよとソフィアは彼を心配する。

 だがそれに向けて、彼は今度は流麗に返事をするのである。


「Vvabfn fbcuvn.Jngnfuv un glbxhfrgh xnabwb gb unanfuv jb fuvgnvaqn.」


 それは日本語でも英語でもない、意味不明の言葉だった。


「だからって、今更発音をラーニングなんて」


 ソフィアには理解できて、彼女は気にせず普通に続ける。


「Fuvavlhxh zbab un fhfhzrah zbab.Fber tn jngnfuv ab wveba qnxnenan.」

「……やっぱり面倒な人。でも、だから頼りになるんだけれど」

「Fber un xvzv zb qnebh.Inacver lb.」

「私はそう名乗ってはないのだけれどねぇ……」


 一体何を言っているのだろうか。二人の会話を聞いていると、いつの間にか感情も収まって、ひとまず何かを振舞えるようになり、篝はハンカチはもういらないとたたみながら立ち上がる。

 それを音で察して、アーティアは恐る恐る手を伸ばす。


 箱をひもでつなぎ合わせたような、大きく大きくごつい産業機械めいた手。けれどぴとりと肌に触れたなら柔らかく引き戻されるし、感じた感触は見た目に反して柔らかい。そして人間のそれ以上に肉々しくて、あたたかくもある。

 少し許せる気がして、篝はその指を握った。


 そうしてくれてうれしいと、アーティアはまるで父のように問いかけてくれた。

 本当の父には、そんな優しさ感じたこともなかったのに。


「キミハ……そふぃあカラ、ドレクライキイテイルンダイ?」


「……根源を探さなければならない、ということは」


「ナラバキソハイイ、トイウコトダネ?」


「はい。あの樹のどこかにいる、根源を探すとかなんとか」


「オオマカニ、キイタトイウワケカ。デハソコマデノ『みき』ノタビニツイテハドウダイ?」


 そのほかについては? そこから先については?

 色々を続けようとすると、彼はノイズを吐き出し、喉を押さえた。


「あーあー。だから無理して発音しなくてもいいのに……翻訳くらいしてあげるわよ? 最後くらいまでは、伝えるからさ」


 こうなりうるとわかっていたらしく、ソフィアはどうしようもない人だと息を吐いた。長い間柄らしい。


「キミハカクシスギルノダヨ。ツタエルトキハツタエルベキダ」


 枯れかけた声でわざわざ篝の言葉で言うので、これは言うべきソフィアの悪癖であると、彼は思っているのだろう。その分を超えると限界なので、彼は自分の言葉に戻りかける。


「Xnxhfuv fhtveh xbgb anagr……」

 

 彼に合わせた言葉にして、ソフィアは篝にわからないようにする。

 自分で分かっているからなのか、それを言われるのが嫌だったからなのか。どこか彼女も、見た目相応の物があるのだろうか。アーティアは呆れる。


「ソウイウトコロダロウニ」


「……そんなことより、フィッティングが先よ。これからしばらくずっとともにいるのだから、少しでも合わせなくては」


「ハナシノカエカタバカリウマクナッテ」


 まあいい、それならそれで繋いでくれと、彼の言葉は続いた。きっとついてきてくれということと受け取って、篝が従うと、彼のランプの目が和らぐ。


 ————


 ずしんずしん、彼の家へと入っていくと、中は大きく無地なだけで、人と同じをしている内装だった。ただし基調は違わず直線。コンクリートむき出しめいた、不思議だけれど地に足の着いた、まっとうな家。

 けれどその上でただ一つ違うのは、箱のような形をした物体が鎮座していて、それは三角形を丁寧に面取りし続けたような、不思議な物体があることだった。それは表面に微小な煉瓦状の物体が並べられていて、それによってできた形状を削ってできた、としか表せなかった。


 それはついさっき漏れ聞こえた、『フィッティング』の対象だろうか?


「スコシザツゼントシスギテイルガ、ユルシテホシイ」


 篝が頭の中につぶやくと、むしろ整頓しすぎている部屋で真四角の椅子をアーティアがすすめてくれる。そして彼はその物体に回り込んでひざを折り、一杯のコーヒーを差し出してくれる。


「かがり。コレを」

 

 淹れたてのホカホカ。それを飲んで落ち着いてくれとも続けて、彼は物体から何かを取り出し、まるでタブレット端末のように操作をするのであった。


「コレハキミヲマモルタメノドウグデネ、ソノタメニハスコシチョウセイガイルンダ…………」


 環境情報を大きな指で器用に入力をしてから、腕を変形させて接続。それから細いアームを肘から出して、ケーブルでつながった腕輪を差し出す。篝に受け取らせると、彼はそれをどうすればいいか身振りで示し、


「スコシチカラガヌケルカモシレナイガ、モウヨルダ。アサマデヤスメバダイジョウブ」


 と告げてからまたせき込んだ。


 大丈夫か? 篝は顔を覗き込むが、大丈夫だと砂のように唸り、何かを続ける。物体が継ぎ目に青白くラインを描き、立ち上がるように形を変えて腕をはやす。どことなく阿修羅めいて、あとは君がはめるだけだと示してくる。


 信用していいのかがチラリと頭によぎったが、ソフィアよりはマシかと篝は動いた。


「NHGBSVG ERNQL.FLF BAYVAR/QR/SHXNV.」


 確かに少し抜けていく熱を感じて、ちょいと機械が光って話した。

 


 ————

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