第18話 見た目を信じるな

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新しく踏み出した先は、見渡す限りの田園地帯だった。ついさっきとはまた違う上下に篝はちょっと気持ち悪くなって身体をふらつかせ、息を吐いて少し落ち着こうとする。むしろ見える世界の時間の違いがそうさせるのか、身体の温度感覚も少しおかしいらしい。


きっと光の色が違いすぎるからだ、そうだ————黄昏時の黄金色が、真夏の蒼穹なのだから無理もない。この暑さだと防寒の頭うさぎあたまなんて、熱をこもらせて最悪だろう。

汗をうっすらかきはじめた篝に、ウィズは微笑みかける。


「大丈夫?寒くはない?」


そっちこそ大丈夫かと思ったが、ウィズのことだ、考えるだけ無駄だろう。篝は冗談言うなとカフスを開く。ポンチョはネジで止められたように脱げないので、せめて中身だけでも外に出さないとやっていけないはず————そう思って行動を終えると同時に、篝は袖を急いで伸ばした。


「寒い…………!?」


身体が間違っていないなら、氷点下の吹雪が吹き込んできたような感覚だった。服の開口部という開口部へ吹き込む不可視の氷を防ぐべく、篝は耳を折ってフードにしまって身体を縮こませる。どう見ても外は夏にしか見えなかった。なのにこの寒さは南極レベルに思えた。


吸い込まれるような昼の色が、どうしてこんなに?



「ほら言わんこっちゃない。本当についさっき言ったでしょ、見た目を信じるなって。本質と自分を信じるんだよ」


というかだからもっともこもこにしたかったのか。いやそうならそうだって先に言ってくれればいいでしょ……つーかなんで!なんで!


「見た目を信じるなって……そういうことなの!?」


なんて天邪鬼だ。一式のコーディネートがしたかったというのはそういうためでもあったのかと、彼女は下が夏用のハーフパンツであることを恨む。子供は風の子とかいうけどもうそんなのじゃないのに!ほんとうにもう!



なのにすたすたとウィズは歩いていく。あんまり変わらない服装なのになんで行けるの?と驚きながら、彼女に遅れないように走り出すと、篝は足を取られてスッ転んだ。そちらで感じるひざ下の感覚も、明らかに雪の温度。ちょっとしたアスファルトとコンクリートの側溝だが、見た目の水は流れているのに凍っていて、土に触れれば霜柱が砕けた。


きっと遠くで水の張った田もそうだろう。

靴先を撫でたのなら、透明さだけがゆるりとほどける。やわらかな水の感触。

滑る冬の都会の景色めいている。


「もう……!何もかも普通じゃないじゃない、ここ!」


意訳して待ってくれと伝えれば、ウィズは余計に振り返らない。しょうがないから何とか立ち上がろうとすると、確立していた足元が豆腐となって崩れた。嫌な予感がして押して確かめると、確実なアスファルトは脆いおがくずのよう。


どうにかしたくて力を込めると、篝はそのまま硬いはずの路盤にすら埋もれた。なのにそこから先の土は硬く締められていて、脚こそつくが重みでもちあがらない。悪質に出来上がっていて、なんとイラつく————というより、窒息する!上がらないと!


マズい状態なのに、かき分けて泳ごうとすればするほど体は落ちていく。柔らかすぎるトランポリンの感触で、高重力に抗えないようだ。


「ウィズ!……ウィズ!ウィズ!」


何とか声を出してみたが、しかしそれでも彼女は振り返らない。駄目だ、少しずつ息が…………。私の…………。



息が…………息が?



いや、まったくそんな感じがしない。


地下におぼれると思ったが、案外身体は楽に動かせて、落下も止まっている。よく考えてみれば呼吸も別に苦しくはなく、じゃあ上がれるんじゃないかと思ってみたら、本当にすんなりと戻ることができた。



そうか、当たり前のことか。



見た通りじゃないということを、ようやっと腑に落として篝は呼吸。

何もかもが普通でなく反転しているのなら、概念でしかない呼吸を心配する必要もない。主人公が毎度息を吸って吐くと示さないのと同じように、当たり前のことは当たり前でしかない。


省略しても問題ない行動は、そうあると既に分かっているからいらないことなのだ。だからそうだと自分で決められるなら、そのありようにだって抗える————!


「あ、上がってこれたんだ。なら初歩は大丈夫だ」


頭だけだしてあたりを見回しているところでウィズが戻ってきて、重そうに篝を引き上げた。側溝の方に乗っけられたが、今度はちゃんと足場が固まっていて、彼女はアスファルトを払えるくらいに落ち着ける。

本当だったらそこも崩れるのだろう。


「以外につかみは速いんだね。前の人は安定しないで二週間暴れまわったのに、嬉しいもんだ」


「少しは悪びれてくれないかな……」


「僕は悪くないからね、僕は一切」


スポンと大根でも扱うように道路へと引っこ抜かれた彼女は、また教えてくれないんだろうと諦めながら、ウィズに言う。そして今度は潜り込まないぞと、コンクリートの上だけを歩く。


「でもせめて、この先何をするのかだけは教えてほしいかな」


最後にガムめいてへばりついた土を剥がして、不貞腐れてみせた。



「そりゃ、ソフィアを探す以外ないでしょ?ほかにある?」



ウィズが首をかしげる。本当にわからないという様子だ。

その目的はわかっている。その方法をどうするのか、というのが聞きたいのだ。訳も分からないまま足元すらおぼつかない異常に放り込まれているのに、そのしない理由はあるか?目的地へ行くために、何に乗るか聞かない人間はないだろう?


「そうなんだけど……そうだけど、それ以上に何かあるじゃない、例えばどこそこに行くとか、何かを拾って見つけるとか。どうやって何をするか、そう言うのが知りたいってだけなのよ?」


まあ当たり前だが、ウィズは言わない。


「それは僕の役目じゃないよ。君が気づくしかないんだ」


だから篝は見えない雪をポンチョの中から叩き落としながら、ウィズの手を引いて立ち止まって手を引くのだ。



「せめてコンパスとか、磁石とか……そういう向きを知れるものくらいあってもいいじゃない。そういうのがあるとかないとか、せめてそれだけでも教えてくれてもいいじゃない!」



「それなら大丈夫。すべての道は進むか戻るかの二つだ。なら戻って違うのなら進めばいいし、最終手段はここにいること。じゃあ何をするべきかは、一つだけでしょう?」



まあ当然、返事はロクでもない。

「ああ、うん…………」

聞いた自分が馬鹿だったと、篝は顔に手を当てた。


楽観的なのか、哲学をこねくり回しているのか、ただ煙に巻きたいだけなのか。あえて言うなら、頭を構築するコードの書式そのものが違うらしい。

気づかなければいけないのはわかったが、手掛かりすらないとは。


篝は脱げないかなとポンチョをつかみ、シャツに接着されたようなへばりつきにぎぎぎと声を漏らす。

それを見てしょうがないなとウィズはつぶやき、指を鳴らした。小さな光が宿り、篝の元で衛星めいて回り出してそれは彼女の胸元へ飛び込む。カツンと硬い音を立てれば、何に向かったのかは明らかだった。篝は時計を取り出した。


ジャケットの胸ポケットにしまっていたそれは、代わりにシャツの胸ポケットへ移動されていて、姿も元からかけ離れて、装飾のない銀に赤の文字盤に。ついでに時針分針秒針に加えて、赤青の針が一本増えていた。


「それくらいしか、今の僕にはやれないからさ。それでなんとかしてよ、色々ね」


初めてのヒントを、彼女は握りしめる。



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