第15話 たった一人の女王様
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ウィズの声が急に聞こえはじめたので、篝は気が付いてあたりを見回した。彼が扉を開いたところで立ち止まっていたようで、その先にあるのはテーブルと椅子が二つだけ。けれど今感じたものは嘘なんかじゃなく手にこびりついていて、篝は腹立たしくその場に立つ。
そしてこらえきれずにダンとこぶしを叩きつけ、彼女は怒りをあらわにする。
「…………もう二度と、同じことはしないでよ」
それは自分を書き換えられているような感じだった。自分が自分でなくなるのは、もう二度とごめんだというくらいに、自分を構成しているものがいなくなっていく嫌悪で胸が震えていた。
自分が自分でなくなるのは確かに、嫌だった自分がいなくなることだから死と近しいだろう。けれどそれは死そのものと決定的に違う。私は安息に滅びたいんだ、別の自分にすらもなりたくはないんだ————だから、もうあれは二度としないで。
「次同じことをしたら、もう二度と口聞かないんだから」
そう篝は吐き捨てた。
無にありたいと望むだけで、無に還るのを望むわけではない。心を無くしたいだけで、私を無くしたいわけじゃない。むしろ私というものはそこに、ずっとあり続けてほしい。生きることの苦しみを消し去ったうえで、何もなくていいから存在はしていたい。それが篝が思う、死ぬと言うことなのかもしれなかった。
「悪いことしたね。でもこれなら、ここは大丈夫。これはテストみたいなものさ」
だから悪気なく笑っているウィズに、篝は信用を一切置けずに返事した。
「テスト?」
「そう、テスト。ちょっとしたこれからやらなくちゃいけないことのための、一次試験ってところ————君は合格したんだ、それは喜んでくれ」
ウィズはスカートから手品のように紙束を取り出すと、篝は従って着席し、彼はケーキと紅茶を置いて微笑む。これでチャラにしてくれということだ。
「それとも、ただのお茶会にするかい?この豆本ケーキで」
ソフィアを最後まで忘れないでいられるかを試してみたかったのだろうが、こんなことをするなんて。
断りたかったが、しかしあくまで善意ではあるだろう。これに抗えなければ、あの機械の群れにでもされてしまうのかもしれない。気づけなければ追い出されたかもしれないし、別の誰かに生かされていたかもしれない。
そう思えば仕方なかったのかと、彼女は無理やりに矛を収めた。
ソフィアのように、優雅にでもふるまうべきなのだ。余裕のあるように、自分が自分でずっとあるように。
「望んでもフォークもペンもないじゃないの」
篝は軽く息を吐いて、青い緩やかなカーブに腰かけた。湯気からは心地よい香りが分離して、くるむよう。
「自動筆記に任せればいい。フォークはそこにある」
ウィズからデフォルメされた王のヤゴのフォークが滑らせて渡される。それを受け取って、篝が問いかける。
「それで、ここからは何の話をするの?今のところ、状況というものが全く見えないのだけれど」
「そりゃあもちろんこの世界さ。そして今はここにいない、君のたった一人の女王様のこともね」
少女は何も言わず、豆本を開くように切り分ける。
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