第8話 こうして望んだだけで
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篝は食事を終えてすぐ、ソフィアの部屋の戸をノックした。どこにいるかは教えられてはいなかったけれど、不思議とそこに彼女がいるのだとわかった。
月光の雰囲気が静かに置かれていたからだ。
篝は小さく息を吸う。
自分の意志で終われないのなら、誰かの意思で終わろう。ただ待つだけになるけれど、それでも私にできないこと、選べないことだ。
そう、私には————篝には、選ぶことのできない、自分で命を終わらせること。自分の終わり方を、決断すること。
すぐにソフィアは、カチャリとドアを開けた。
顔を見ただけで、彼女は篝が何を考えているのかを理解していた。
「……行っても、いい」
だからたった一つの勇気を振り絞ったのを、少女は抱いて受け入れてくれる。
「そう。よく決めたわ」
ぽさりと、布に紛れた人の肌。
あくまで慈しみを基調にしているから表すことはないが、心臓からは嬉しさが伝わっている————しっとりと、彼女の意思は包んでくれる。
けれど、欲しいのはそれじゃなくて。
しばらくの間そうしていると、ソフィアは「着替えるから」と扉を閉めようとした。けれど、篝は放そうとしない。またしばらく、篝が心音を数えて、生きているんだ、と呟く。
「……どうしたの?」
わかっているよと、柔らかく頭が撫でられる。急なことにびくりとする篝が、手が動くたびに落ち着いていき、胸に手を当て吐き出すように、僅かに涙が沈んでいく。分かってもいない癖に。
決めてもなお、引かないつもりになってもなお、やはり篝は怖かった。失敗の恐怖が、剣山の上に転がるようだった。
「…………ごめん」
もう少しだけそうしたかったが、迷惑だろうと離れる。
「いいのよ」
ソフィアの方から抱きしめて、彼女は背中をぽんと叩き、静かになってから彼女は着替えに部屋に入った。姿が見えなくなってから、篝は駄目なんだなとへたり込んだ。
言えなかった。
最後の最後で、自分は勇気を出しきれなかった。すべて終わったときに殺してくれと伝えるって決めたのに、どうして私はいつもこうなんだ。
顔に手を当て、こぼれない涙を受ける様にして、少女は息を吐き続ける。金床を押しつぶせそうな重さの空気は、吐き出すたびに鋭く尖って脹れる。結晶し続けるそれは、空元気で取り出せないほどに大きい。
でも、抱えるしか、ない。
無理やりに立ち上がって、彼女は平静を装って、僅かに聞こえる衣擦れが、止むまでに顔を整えようとする。ドアの向こうから、壁なんてないように声が響いてくる。
「篝。一つだけ、言っておくわ」
この申し出は、ソフィアにとっては意外なことだった。だから、伝えねばならないのだと少女は思っている。なぜならば。
「私は、あなたがこうして望んだことだけで、十分よ」
同類を、ソフィアは何度だって見てきた。生きることをどうしてもやめられなかった男、死んでいるのに肉体が止まらない女、右半分を無くして生きる物体、生と死を好き勝手に行き来する、本当の意味でのヴァンパイア。ありとあらゆる生命が、1500年の長さにはあった。
その中で篝に最も似ていたのは、800年前の令嬢だった。その少女は決められた日常の中で逼塞して、自分の物でない命を、家の為の身体を、これ以上ないほどに嫌っていた。だからソフィアとの旅に出た。だから少女は、すぐに連れ戻された。
「あなたがどうあろうと、どうしようと、私は失望も幻滅もしない。たった100年命が伸びようと、そんなことは問題じゃない。一番重要なのは、あなたがどうあるか」
見た目には特に何もなく、ふわりふわりと無を願う少女だったと記憶していた————良くも悪くも、行動する勇気だけはあれど、実際にいなくなる決断はしない。どこかに失敗したい気持ちを置いて居るだけだった。とある舞踏会で出会って、しばらくの交流ののち、ソフィアは彼女の死を知った。
彼女の父の失態を、命をもって償わされたからだった。
「決断したことを、私は尊敬する」
だからソフィアは、12年ののちに令嬢の日記を譲り受けた。たった一つだけ遺言を彼女に書き残していたと、遠くの国から手紙をよこされたからだった。
そして読んだとき、久方ぶりに当時の少女は涙した。
何もない私でも、たった一つ生きていた意味があった。
でも嫌だな、死にたくない。ソフィアと、もっと話をしたかった。
たったそれだけを書けるようになったのに。そう思わずには、いられなかったからだ。
不思議なことに、かつて世界樹の末端を見に宿したものは多くが自ら命を絶っており、薄くか濃くかの程度はあれど、いなくなることに望みを持っていた。
けれど次代へ続くものは皆、勇気だけがなかった。だから生きて続いていて、何度か彼らとともに旅に出たのだ。彼らを続けるために。答えの死を、見つけないために。
けれど、彼女に取って死とは答えではなかった。だから。
しゅるりしゅるりとリボンを結び、小さく結び目を纏めてソフィアは、ドアに重みがないと確かめて、ゆっくり引き開ける。
「湿っぽいのは、これまでにしましょう。幾らでも、終わったなら泣けるから」
彼女はあえて、篝の顔を見なかった。
「…………そうだね」
優しさというのは、こういうことを指すのだろうか。篝は横に並び、小さく頷いた。
だからこそ、絶対に私は、彼女を裏切りたくはない。かけられた優しさには、同じかそれ以上で返さなければ。
「さて、これからどうするか会議と行きましょうか。本当はさっき休憩してからしようと思ったのだけれど、ちょっと余計な邪魔が入りそうだったから————場所を変えようかとも思っているの」
ソフィアの服装は、やはりドレス様であったけれど、しかし裏地などからして、アウトドアをするための物だった。草むらだのを気にするタチではなさそうだが、しかしそんな風に行かねばならないとは、何をするつもりなのだろうか。
「場所を?どこに?」
「もうちょっと、ゴタゴタの少なさそうな場所。良くも悪くも、あなたの知り合いは広いらしいから」
「広い?せいぜいちゃんと心配してくれるのは————」
篝の言葉を切って、ソフィアは西の方へ身を向けて、翼を出して少女を包む。
「あなたが思うより、気にしてくれる人は多いわ。じゃなきゃ」
いきなり何をするつもりなんだ。そう思った時に、急激な熱風が、部屋ごと二人を吹き飛ばした。
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