第7話 どうすればいいか
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日は沈みきり、月はないので空は暗かった。日の名残りが雲に宿るけれど、それもすぐにいなくなるだろう。紫の風が、黄昏を洗い流して消えていく。
少し外を散歩するだけのつもりが、思ったよりも長くいてしまった。
篝は今の自分を示すような景色に、沈んだ気分の中に、見つけるものがあるのかと思って部屋へと歩いてゆく。
あんな話なんて、聞かなければよかった。
結局死ぬことすらも、自分一人では決定できない。
カケラとやらを殺して奪わないのだから、生きていることに必要があるのだろう。だから自由意思でついてきてくれと頼む。それほどまでに重要だから、逃したくないから。私の意思は関係がない。ただ生きていないと意味がない、だから生かしている。
「そんなに大事なんだ。自分の時間なんて、ずっと零時で止まっていて欲しいものなのに……」
それがどうしても篝にはわからなかった。あの魔法があるなら、いくらでも好きに眠って起きて、死んで生きてができるだろう。持ちすぎるゆえの虚無を知ることはあれど、たくさんあるならそれなりに失えばヒトのままでいられる。滅べないことこそ苦しけれど、クリプトビオシスとなって眠ることもできただろう。
なのにソフィアは、どうして自分の時間を動かしたいんだ?
極論は自分と同じように死にたいだけだが、篝は負、彼女は正。近くて最も遠いから、受け入れたくないのかもしれない。けれど、それでも私にはわからないのだ。どうして彼女は、終わるとわかっていて終わりたい?
いくら考え歩いてみても、それを理解することなどできやしなかった。
だからほんのわずかの荷がある寝室へ、篝は足を向ける。
ため息を吐きながら部屋の扉を開けると、スミスさんによってか、掃除と荷の準備が行われていた。
身を清めるためのタオルやシャンプー、カトラリー、多目的のカッター、ハサミ。書き物道具など、どれも使いこまれたようだったが、しかし新品のように美しい。
着替えも用意されているようで、壁に埋め込まれたクローゼットを開けたのならば、ワードローブは群青と白に木と銀。動きやすいようにパンツルックで、ジャケットは全体的に広い。運動できるものだ————その下の箪笥には、今日を過ごすときのためのパジャマ。
今の服は中間で、七分丈にシャツと軽い羽織。これも用意されたもので、そのまま寝てもいいものだった。
「そんなに、私が」
篝は呟き、時計を手に取り、ベッドに転がった。
首を吊る紐、時計、昨日着た服と下着。かばんはどこかに行っちゃったから、私が自分の物だと言い張れるのは、もうそれだけしかない。学校に友達、家に両親。置いてくることは簡単だけれど、持ってくることはこんなにも難しい。
壊すことが簡単なのも、きっと同じだろう。
存在させることは何よりも難しいし、生み出すには人間ですら十月十日、続けるには何トンもの生活物資。そんなものだから、生物は本来、勝手に続いていくようにデザインされているはずだ。無意識に、生き延びる様に設計されているはずなのだ。
なのにどうして、私はこうなってしまったのだろう。
また少女は質問を作る。
気が狂うにも狂えない、長生きというには忌々しい生き方をするソフィアが、どこか篝には羨ましくて、同時に妬ましいのかもしれないな、私。
なにを産むでもなく、何を作るでもなく、何を学ぶでも、何を鍛えるでもない、ただ生きているから生きているだけの、空っぽな自分。それが嫌いなのだろうか?中途半端に倫理があるから、道を外れることもできないことが嫌なのか?
何かを作らないのならば生きていく価値がないこの世界で、ずっと生きている意味がないと繰り返して、私はいつまで傷ついて居ればいい?
時計がちょうど午後8時を伝えた。
気分的には朝だから全く眠くないし、今から外に動くこともできる。このペースなら、眠くなるのは午前の8時だろう。少女は広がる髪をまとめてのばし、息を吐く。
きっとすぐに、どうするかを選ばなければならなくなる。
針が進むのだけを経過の頼りにして、篝は数分を完全な無になって過ごした。考えていないわけではないが、それは文字ではない。
すべきか、せざるべきか。それだけが問題だ。前にすすむべきか、ここで朽ちるべきか。それが、いま答えるべき問題なのだ。
生きることに、生きていることに価値はない。
なら私は、どんな風にその必要を産めばいい。どうやって、生きているべきだと肯定してもらえばいい。何もない私が、どうやってそこにあればいい。
良くも悪くも、私は月かそれ以下の衛星だ。自ら光を発することはない。そして目に映るのは、誰も知らない夜の中だけだ。私は結局、どこにでもいる『その他大勢」の一人。誰かを宿すこともなく、何かを育むこともない。
今日の日は、私が居なくても何ら変わりなく回ったのだ。
「こういうとき、君ならどういうんだろうね」
胎児のように身体を丸める。ずっと一緒にいる、否定だけの自分に頼む。気まぐれなそれは、どこまでも正しく、殴ってくれる。
「こういうとき…………私は、どう受け止めれば、よかったんだろう。ねえ。教えてよ」
だから、何も言ってはくれないのだ。
望むままに傷をつけ、苦しめるだけ苦しめて、私は私がもがくのを、どこか遠くで冷静に眺めている。自分のことなのに、自分には関係ないよ、とワインでも片手に。
滲んだ液体をごまかして、
ソフィアは私以上に苦しんでいる。
なら、私が何かを助けられるのならば、しなくてはならないはず。だからしなくてはならない。
けれど、そうしたくない。
助けることが怖いわけではなくて、自分がソフィアの求めることをできないことが、一番怖い。自分の無能のせいで、誰かの期待を裏切ってしまいたくない。ソフィアをぬか喜びさせたうえで、私のせいでまた生き延びさせたくない。
力にはなりたい。けれど、想いだけでは何にもならないんだ。私には何もない。何もできない。どうもできない。だから、何もしたくない、動けない。どうすればいいんだ。
「どうすればいいかは、単純なのに。ただここにいたいか、助けたいかを選んで、降りるかいるか、それだけでいいのに」
篝は、そうつぶやいた。それは彼女自身には聞こえなかったが、しかし内心の誰かには、それで十分だった。
むくりと少女は、クローゼットからシャツを取った。服を脱ぎ捨て袖を通し、取るべき食事の意味は、ひとまず確実となった。
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