第6話 これから先に臨むもの
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ぽたり、ぽたりと血を本に垂れていくと、ページが丸く膨らんでいく————血が膨らませているというよりは、本が飲み込んでいるようだった。まるで蜜を貯めるアリのよう。
「
ほんの少しの疑問点を作り上げると、ソフィアはそろそろかと手を上げた。
瑞々しいブドウのように膨れた本が、限界のままで形をとどめる。最低限の再現、彼女が口を開くと、それから音がミチミチ聞こえる。
「時の流れが妨げられれば、例えば同じ流れに回し続けられれば、それは一つの流れを繰り返す。この子は血をきっかけにして、急激な死から生まれ変わるように、閉じ込められてしまっている。いや、この子だけじゃないわ。かつて私の家にあったいくつかの品が、オーパーツだのアーティファクトだの言われて、変わらないままに世界に広がっているの」
それに「いいよ」と呟いたなら、パンとちいさくページが破裂し、ぐずぐずに腐って消滅するのだ————しかしすぐにバラバラと風で暴れるようにして羊皮紙がめくられていくと、それは甲高く新品の音を響かせながら、ひっくり返って閉じた。
ソフィアが開くと、中身は完全な新品に戻っていて、何も書かれていないまっさらな出来立てそのものになっている。さっき書いていた文章すらも、タイトルすらもなくなったまっさらに。
「もちろん、私もその一つ。そしてその原因は、わかるでしょう」
だからそう言われたなら、大まかにわかってしまうのであった。
「…………ソフィアの……お父さん?」
「そのとおり。私と世界樹とのつながりが断たれたのはお父様のせい。なんせナチュレの為に、私をどう使ってもいいって思っていたんだから————あの人は、彼女を生かすために、ありとあらゆる儀式をした。無病息災とか、不老長寿とか。そしてそのうちの一つで、私の世界樹は彼女に持っていかれた。そうしないとあの子は生きられないからって。昔の私は軽く承諾したけれど、その副作用はずっと、私をこのままに留めることとなったわ」
ソフィアが切り裂いた手は、最初から傷口などなかったかのような滑らかに戻っていた。血によって過去を繰り返すそれと同じように、無かったことになっているのだろうか。
「じゃあ、あなたはどれだけ……」
そう言いかけたところで、それはいらないと篝は思い直す。問題なのは、生きられるか、死ねるか。それだけだ。まかり間違っても、彼女と同じ道を行くことではない。
ちゃんと終われるのか?とだけを聞かねばならないはずだった。
「忘れたわ。400からは数えていないの。でも安心しなさい、あなたを同じようにするつもりはないわ。方法もわからないもの」
だから軽く読んで、ソフィアは肩をすくめた。
「私は、
なるほど。察した篝は割り込む。
「私、だった。そして死なれるとやっと見つけたのが水の泡になるから、私が死のうとするのを引き留めて、とりあえず客人扱いしたり丸め込もうとしたりで、生かそうと考えている————というところ、でしょう?」
なんとまあ、めんどくさい自殺ではないか。だから同類がどうなるか分かっていたのか。篝は馬鹿にしたように溜息を吐いた。
「その通り。ならここまで言えば、これから先に臨むものが何か、わかってくれるのよね?」
そりゃそうでしょうとソフィアもそうする。
「嫌だと言ったら?」
「ここはあなたの世界でもある。私とあなたの世界樹の、重なり合った中間点、とでも言いましょうか。そこで死ねるとは思わないことね」
当然だ、イニシアチブはあっちが握っているのだ。今の自分に何が出来よう。
ソフィアは壁に手をつくと、腕をめり込ませ、何かを探って引き抜いた。握られているのは復元する本と同じもので、『A Queen of Night』。今度はちゃんと、中を読める。
「協力してくれるわね?」
握らせると、少女は手を伸ばした。顔を覗き込む目の色は真摯に澄んでおり、ごまかしたり、拒否をしたりできそうにない。けれど篝には飲み込めるものではなく、いくらかの時間ためらうしかない。
握手をもって協力関係が成立するだろうが、それは見知らぬ誰かの為にいたずらに命を伸ばすだけの行為だ。ヒーローでもないのに、なぜそう選べるのだろう。
そりゃあ、不思議を見せられればそんなのがあるとは確認できるし、だからあの奇妙さがそれ由来なのだとも納得はできる。力の元がどこからなのか、という疑問から、何ぞがあると推察もできる。
だけれど、その何ぞが私の中にあり、しかも都合よく求めていた物、となるのは、篝には何か受け入れにくかった————確かにソフィアに嘘をつく理由はない。人を騙して愉しむ趣味でもあれば別だが、炎と夕焼けの混じった瞳は事実の色だ。
であるからこそ、少女は納得しない、したくない。
「少しだけ」
だから押し出すように、篝はつぶやいた。
「少しだけ、考えさせてくれない…………かな」
きっかけが必要だった。解決できるだけの時間か、納得できるだけの理屈。もしくは、刺さった痛みを滅ぼすカンフルがだ。
「そう。それもそうね」
ソフィアは肩をすくめ、どこからかトランプカードを取り出す。
「なら一つ、アンダーマイナーでも付き合ってもらえるかしら」
慣れた手つきでシャッフルして、互いに三枚、場に7枚を5つ作る。重たい話はここまで、これから先はただの遊び。
少し重たい話をしたわねと、やわこく抱き留めるようなことなのだろう。
「悪いけど、そういう気分じゃ…………ごめん」
だが札を取ることもせず、篝はフォリーを出た。
誰かの
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