第5話 私の呪いの根本

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 書かれていた筆記体が庭の粒子を吸い込んで漂い、円になって枝のように連なり連結する。少しずつ形が固まって透明になって、輪郭を明確に作る出してゆく。まるで氷河と雪の関係のようで、少し肌寒くなったのを、篝は感じた。


 それへ向けて、ソフィアはさえずるように語り掛ける。


「かつてとある国に貴族がおりました。貴族はとても広い土地を持ち、とても多くの農民を支配しています。その時の当主は少女の父親で、名君であると言われておりました」


 ゆっくりと光が結晶となり、薄い花弁と連なり、一枚一枚、重なり合って形を成す。ある一定の大きさとなるとそれは砕け散って、断片が各々の位置へ集まり、小さな地面と人になる。


 人は誰かの顔になり、土地は教会を生み出して、恋を作り、踊るように絡み合い、数が少しずつ増え、成長していった。とても幸せそうに、それらは一つの国を作り上げた。


 国はそれに応じてさんさんと日を浴びるように育った。民と国、両方が幸福に育っていた。少女は続けた。


「彼には愛しき妻がいました。美しく賢く、誰に対しても優しき女性。農民の出ではありましたが、しかし比べることのない素晴らしさに、彼は反対を押し切って結婚したのです。もちろんのことながら、領民は受け入れます。彼女の人となりが伝わり、貴族たちにも快く見られます。彼らの幸せは、永遠に続くようでした————なんと、美しいことなのでしょう」


 民の感動が作物にすら伝わり、広く大きく育つ様子になった。これ以上ないほどの喜びが遍くあまねくあって、満たされているのだろうとはっきりわかる————感情の炎が燃え盛るように結晶の色が暖かくなり、太陽めいてボルテージが上がっていく。それは一つのりんごめいて結実して、丸く落ちる。


「そしてある日、新しい喜びが生まれるのです————妊娠でした。だんだん大きくなっていく腹は、誰もが望む、発展の象徴とも思われるのでありました」


 それはきっと昔あったこと。きっと遠い昔に、ソフィアが受けたことなのだろう————肯定するように歓喜が沸騰して数が破裂し、光が完全な白となった。


 各々の喜びの色が、完全にまじりあった完璧な色、全部が存在する色。

 なのにどうしてだろう。それはもはや生きているとは思えない白に至ってしまうと、なぜか死んでしまっているようにしか、感じられない。生命の幸福で足りているのに。



「しかし幸福は交換で成り立っていたのです。男にとっての充足が、身分を捨てることになってでも妻を愛するという覚悟であったなら、妻にとっての充足は、誰かを喜ばせることでありました」



 そしてその光は、ゆっくりと赤に染まる。

 不自然な純白に至ったのが、間違いだったのだと語りながら。


「そして彼女は、それを見事にかなえました。珠のように美しい双子。雪のように純白な姉、射干玉のように光る妹。陰陽のようにそれぞれがそれぞれを補完しているように、二つで完全であるように思われました。娘たちの出生は、きっと誰もが喜ぶでしょう。そう思われた矢先のことでした」


 一気に文字列が離散していき、大地も人も、溶けて形を変えていく。続いて膝から崩れ落ちる男の姿、その前にいる眠るように目覚めない女性。



「妻はそれだけを残して旅立ちました。心臓が動いていても、目を開ける様子はありません。もちろんですが、それからすぐに男は狂いました。この時代にはよくあることではありましたが、自分だけはそうならない。彼は願っていました」



 死んだと理解することは、難しくなかった。


 何度も男は、妻を揺り続ける。起きてくれ、頼む、起きてくれ。そんな声が聞こえてくるようだった。涙すら流していた。

 大切な赤子を見せ、こうして生まれたんだよと、語りかけもした。それでも、妻が息を吹き返すことはなかった。何をしても、待っても、彼女は蘇らない。だから土の下に別れても、彼は彼女が死んだことを、絶対に認めようとしなかった。


 生きている。絶対に生きている。自分もそうなるだろう。誰だってそうなるだろう。受け入れることで、死んでしまうと思えるから。



「深く愛しすぎたゆえのはね返りは、彼を変えてしまいました。ただちょっと眠っているだけなんだ。身体が冷たくても、骨だけになっても、ただ目を覚ませないだけ。だから肉を与えてやろうと思い立ち、彼は娘を実験台にしました。ひどく妻に似ていて、生贄にすれば戻るかもとすがったからでした」



 最後に文字列は少女の形となり、巻きついて入り込んで、呪うように彼女の姿を固定して止まる。見た目はソフィアそのままで、けれど黒いのだから、彼女ではない。先に出た、妹なのだろうか。


「近かった妹は、儀式の実験台となりました。そしてそれは不思議なことに、彼にとっては成功したのです————妻が目を覚ました!そんな風な幻覚が、妹の姿を、妻の年を超えるまで付き従うこととなって、男はどうしようもなく、狂ってしまったのでした」


 それからはもう、目を覆いたくなるような惨状が繰り広げられた。

 人々は我先にと大地を喰らい、王はそんなことを気にせずに少女にありとあらゆる毒を薬を使い続ける。それが大地に堕ちるとさらに穢れて、なにも生えない世界に変わる。また民が苦しんで奪い合う。




 ソフィアが、今はこれまでだと本を閉じた。これ以上はまだ、記述しきれていないようで、説明をしてくれた結晶が、それ以後をもとめて剥がれる様に動き回り、粉砕されていなくなる。


「ちょっとしたお話よ。これはちょっとしたお話。何かあるなら————」


 この話は誰のことか、察せないほどに篝は馬鹿ではない。ソフィアの生まれと彼女の妹が何かをされたというのが彼女の言いたいことだ————けれどそれがどうして、こんな風の魔法めいたことが使えるのか、今の今まで生き延びているのかということの答えではない。


「……そこまでは分かった。でもあなたがなぜ私を連れてきたのかがわからない。私はそういうのに縁のない、普通の学生よ?あなたが魔法の時代の生まれのように、私も科学の時代の生まれ。あなたのようなことはできない。あなたができないことが、私にできるとも思わない…………まだ、何があるの?」


 だから篝は、一つ二つ推測を試みていた。


 この説明では、ソフィアと妹は、生まれから容姿の根本が同じなだけの、ただの子供である。どうこうされたのは妹だったが、そちらも別に、父にだけ幻覚を見せる、普通の子供らしいように思える。語り口がわかりにくいから、少し違うかもしれないが————その父が、この後に何かやらかしたに違いない。



「そう。そこよ。それが私の呪いの根本なのよ」



 求めていた答えだと言わんばかりに、ソフィアは閉じた本の上に手を広げ、唇を三日月にしてから、指でざっくりと切り裂く。


「その先がまだ書ききれていなかった話の大事なところなのよ」


 そして銀の肌で、ゆっくりと続きを描いていく。



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