探偵は……するっ!

菜尾

探偵は……するっ!

 俺は早朝の空を見上げ、大きく伸びをした。あー、気分がいい。空は快晴、過ごしやすさ抜群。少し暑くなりそうだけど、風が吹けば気分も爽快。いつもより早起きをしたから少し眠いけど、明るい陽射しが俺を励ましてくれる。今日は最高の尾行日和だ。


 俺は今、ある女子を尾行している。学校の最寄り駅から出てきた彼女と適度な距離を取りながら歩く。俺の尾行が周囲に気づかれないように。そんなものはお手の物だ。俺は高校生探偵だからな。





 昨日の放課後、同じクラスの水谷みずたにさんから相談を持ちかけられた。


「登校中、通り過ぎる人たちが私の顔を見てぎょっとするの」


 断っておくけど、水谷さんは人が見てぎょっとするような顔ではない。


「それはいつから?」


「二週間ぐらい前から」


 二週間か。結構長いな。ということは、頭に葉っぱが付いていたとか、顔に虫が張り付いていた、なんていう線は消えるな。


「それは登校中だけ? 下校時は?」


「登校中だけ。土日とか、遊びに出かける時は全然ない。学校の中でも皆、普通だし」


 それは妙だな。人の何かがそんな一定の条件下で、ぎょっとする何かになるなんてことがあるだろうか?


「だから早乙女さおとめ君。私を尾行して、原因を突き止めてほしいの。お願い」


 頼まれては仕方がない。俺は高校生探偵だからな。特に今回は、水谷さんの依頼だ。クラスメイトの依頼くらい、無償で引き受けるよ。


 そうして俺は、登校中の水谷さんを尾行することにしたのだった。




 水谷さんは、吹奏楽部に所属している。吹奏楽部は文化部に属するけど、その実態はほとんど体育会系。朝練、昼連、夜連と、時間の許す限り練習に励むストイックなクラブだ。部員は皆、七時には登校して朝連を始めるらしい。例に洩れず、水谷さんも七時には練習を始められるように登校するのだそうだが――。


 水谷さんは家から電車で通学している。家から家の最寄り駅までは徒歩、最寄り駅から各駅電車に乗って五つ目の駅にあたる高校の最寄り駅で下車する。そこからまた徒歩で学校に向かうのだそうだが――。


 水谷さんが通行人にぎょっとされるのは、学校の最寄り駅から校門までの間だけらしい。つまり、家から学校の最寄り駅までの道のりで、ぎょっとされることはないのだそうだ。


 ますますおかしな話になってきた。家から電車を降りるまでは何ともないのに、電車から降りて通学路を歩けば、ぎょっとされるのだから。一体、水谷さんが電車に乗っている間に、何が起こるのだろうか。




 昨日、俺は事前調査を行った。


「水谷さん、電車の中で化粧とかする?」


「ううん。私、日焼け止めしかしてないよ。日焼け止めも家でつけるし」


 そうだな。目元にアイラインやマスカラをしている形跡はない。


「なら、朝ご飯を食べたりは?」


「しない。揺れる中で食べるの落ち着かないし、行儀悪いもん」


 水谷さんはそう答えた。嘘はついていないと思う。水谷さんは真面目で礼儀正しい人だから。


 思ったとおり、と言うべきか。水谷さんは、ガタガタに歪んだアイラインをひいて歩いていたり、頬に米粒を付けて歩いているわけではないということだ。(そもそも、二週間毎日米粒付けて歩いている方がどうかしている。)




 なら、水谷さんの何が人をぎょっとさせるんだ?


 不思議な点はもう一つある。学校に着けば、ぎょっとされなくなるということだ。通学路を歩けばぎょっとされるのに、校門をくぐればぎょっとされなくなるらしい。そんなことがあるだろうか?


 俺は水谷さんを監視しながらも、周囲に気を配って歩いた。都心が遠いせいか、六時台でもほどほどに人の行き来はある。学生は少ないけど、サラリーマンと思われる人たちが駅に向かっていた。


 一人のサラリーマンが、水谷さんを見るなりぎょっとした。本当だ、ぎょっとしている。『皆がぎょっとするのは、水谷さんの思い込み』という線はすぐ消えた。すぐ消してしまえるほどに分かりやすく、そのサラリーマンはぎょっとしてくれたのだった。


 水谷さんの前から、また別のサラリーマンがやってきた。さっきのサラリーマンと同様、やはりぎょっとする。その顔に水谷さんの肩もビクッと揺れた。驚かれて驚いたんだろうな。


 前から来る人、来る人、老若男女問わず水谷さんを見てぎょっとした。その顔が通り過ぎるたびに、水谷さんの背が小さくなっていっているような気がした。


 こんな視線を浴びながら、毎日学校に行くのはつらいだろう。だんだん水谷さんが可哀想になってきた。




 人がまばらになったころ、俺は一人の男が水谷さんの後ろを歩いていることに気がついた。男は水谷さんと一定の距離を保ちながら歩いているけど、前から人が来れば途端に水谷さんとの距離を縮める。『人がいなくなれば距離を縮め、人が来れば距離を取る。』なら分かるんだ。良からぬ思惑で水谷さんに近づいているのだろうって想像がつくから。でも、何で奴はその逆をするんだろう。


 奴は誰なんだ。同じ学校の制服を着ているから、同じ学校の奴なんだろうけど。水谷さんの知り合いか? なら声をかけるだろうし、奴の目的が分からないな。




 俺はスマホで水谷さんにゆっくり歩くよう指示し、先回りをした。歩道橋の上で待機する。俺が歩道橋に上がったのは、水谷さんが歩道橋を上がってくるのを待つためじゃない。道沿いに前から歩いてくる水谷さんを、高みから映像に収めるためだ。そうすれば、後ろの男子生徒の顔も押さえられる。俺はスマホを構えた。


 水谷さんが歩いてきた。ズームして、顔がしっかりと分かるようにピントを合わせる。俺は録画ボタンを押した。


 歩いてくる水谷さん。少し離れて後ろを歩く男子生徒。


(あれは……)


 ちょうど良いところに、水谷さんとは反対の方向に向かって歩くサラリーマンが映り込んだ。サラリーマンが水谷さんとすれ違う十五歩くらい手前で、男子生徒は滑るように水谷さんの背に近づく。例に洩れず、サラリーマンは水谷さんを見るなりぎょっとし、見たものを消し去らんばかりに俯いて、先を急いだ。


「なぁんだ、そういうことか」


 俺は呆気に取られてしまった。


 謎は解けた。案外簡単なことだったな。俺は録画をやめ、先を急いで校門で水谷さんを待つことにした。




 校門前に人はいなかった。まだ七時前だし、自転車で来る生徒は裏口から入る。それもあってのことだろう。


「おはよう」


「早乙女君、おはよう」


 挨拶を交わす。水谷さんの目が既に、『分かったの?』と尋ねていた。


「分かったよ。原因が」


「何だったの?」


 俺はスッと水谷さんに人差し指を向け、声を放った。


「犯人は、おまえだ!」


「え、私?」


 慌てる水谷さんに、俺は頭を左右に振る。俺の指先は水谷さんの肩を抜け、その後ろ三メートル先にいる男子生徒を指していた。俺の放った声も届いたのだろう。男子生徒は目を丸め、『俺?』と言わんばかりに、自分自身を指さした。


岩見いわみ君?」


 振り返るなり、水谷さんが声を上げた。一方の岩見は目を丸めたまま、呆然としている。何のことか分かっていないんだろうな。でも説明するなんてまどろっこしい。


「これ見て」


 俺は岩見を呼び寄せ、二人にスマホを見せた。先程撮った映像を再生する。


「何これぇ」


 動画を観るなり、水谷さんがプッと吹き出した。岩見の顔は赤く染まる。小さな呻き声のようなものが聞こえたけど、言葉らしいものは何一つ上げられないようだった。


 水谷さんが面白がるので、俺はもう一度、動画を再生した。


 動画には、水谷さんが映っていた。水谷さんは特におかしな点もなく歩いている。


 その後ろを、岩見が二、三メートルほど離れて歩いていた。岩見の動きにもおかしな点はない。


 サラリーマンが水谷さんに向かってやってきた。サラリーマンが水谷さんに近づく。サラリーマンが近づいたのは、単に水谷さんの傍を通り過ぎて、自身の行き先を目指すからにほかならない。


 その時、岩見が水谷さんの背後にぴったりとくっついた。スススと流れるように華麗な足さばきで、水谷さんに近寄ったのだ。


 その瞬間、岩見は鬼瓦の様な形相でサラリーマンを睨みつけた。それでなくても岩見は大柄で、いかつい顔をしている。その岩見に睨みつけられたら、大抵の人間はぎょっとするだろう。いや、ぎょっとして当然だ。


 サラリーマンが足早に通り過ぎると、岩見はまた水面を滑るような後ろ歩きで水谷さんから離れた。その間、約十秒。忍者かよ。


「私、全然気づかなかった!」


 水谷さんが感嘆の声を上げた。気持ち悪がるどころか、素直に感動している。まあ、感動したくなるのも分かる。あんな見事な足さばき、なかなか見られるもんじゃない。世界的ダンサーレベルだ。目を輝かせる水谷さんに見上げられ、岩見の顔がまた赤らんだ。


「でも、どうしてあんなことしてたの?」


 そうだな。悪戯にしても、二週間ほぼ毎日というのは度が過ぎている。


「それは、……」


 岩見は言葉を詰まらせた。顔を赤らめたまま、ちらりと俺を見る。俺の顔に答えなんて書いてないだろ?


「その、前に、水谷さんが、……その……」


 岩見のたどたどしい台詞をまとめるとこうだ。


 二週間前、岩見は水谷さんが部活仲間と話しているのを立ち聞きしてしまった。


『今日、痴漢に遭ったの』


 青ざめて、涙目で友達にそう告げる水谷さん。垣間見たその顔が頭から離れず、それから岩見は毎日、水谷さんの登校に合わせ、同じ電車に乗るようになったのだそうだ。次、水谷さんが痴漢に遭うようなことがあれば、すぐ助けられるように。


 道中だって危ない。どんな奴がすれ違いざま、水谷さんに危害を加えるか分からない。その精神から、岩見は鬼瓦の形相で水谷さんを守っていたのだった。


「それで、あんな顔してたんだ」


 水谷さんが頬を緩ませた。


 これは俺の推測でしかないけど、岩見は電車の中でも鬼瓦みたいな顔をして、目を光らせていたんだろうな。すれ違う女性までもが驚いていたのは、一度鬼瓦になった顔がすぐに戻らなかったせいだろう。


「ありがとう、岩見君」


 水谷さんの明るい声に、岩見は無言で頭を左右に振った。顔はまだなお、赤らんだままだ。俺は水を差してやることにした。


「でも岩見、もうそんなことしなくていいと思うよ」


「何でだ?」


「その痴漢、五日前に掴まったから」


 これは別口で引き受けた依頼の調査で仕入れた情報だったんだけど、まさか水谷さんと関わりがあるとは思わなかった。情報は繋がっているんだ。情報収集は大切だな。


「その痴漢が水谷さんを襲った人と同一人物かは分からないけどね」


 一言、付け加えてはおく。ただ、その犯人が捕まってから、該当する区間の痴漢被害がなくなったそうだから、同一人物と見て間違いなさそうだということも主張させてもらった。


「そうなんだ、良かった」


 水谷さんが心底安堵する。良かった、これで怖い思いをしなくて済むだろうから。


 水谷さんが、俺と岩見ににっこり笑いかけた。


「二人とも、ありがとう。そうだ、お礼がしたいから、明日どうかな? 明日の放課後なら、クラブないし。駅前のアイスクリーム屋さんにでも行かない?」


「是非」


「あ、ああ、うん」


「じゃ、私急ぐから。二人とも、本当にありがとう」


 水谷さんは朝日に負けないくらいの笑顔を振りまき、部室へと駆けていった。




 その場には、俺と岩見が残された。


「岩見、水谷さんを守るために、わざわざこんな早起きしてたのか」


 俺がにやついた顔で見上げると、岩見は喉に何か詰まったような顔で空を見上げた。


「水谷さん、可愛いもんな」


 俺がからかうと、ますます岩見は苦しげな表情を露わにした。


「そうじゃない。俺だって、朝練があるんだよ!」


 岩見はそう吐き捨て、そそくさとその場を去ってしまった。まったく、嘘が下手だなあ。茶道部の朝練って何だよ。


「ははは」


 俺は堪らず笑い声を漏らした。岩見が水谷さんをね。あいつは不器用だけど、いい奴だ。強力なライバルの登場か。相手にとって不足はない。


「さて、俺は教室でもう一寝入りするか」


 これにて一件落着。今日はいい日になりそうだ。

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