ケース5 旧友㉚


 

「中村……こいつにお前が殺すほどの価値はない。今ならまだ間に合う。手を引くんだ……!!」

 

「お前に何が分かる……俺は死んで、こいつの所業の全てをまざまざと見た……!! この男が今までにどれほどの事をしてきたか……俺が報いを受けさせる!!」

 

 

 中村は開ききった瞳孔で、じっとりと暗い視線を卜部に投げかけて言う。

 

 咽返るような血の匂いが卜部とかなめに纏わりつき、かなめは思わず鼻と口を手で覆った。

 

 まるで血のようにぬめる重たい空気に息が詰まる。

 

 

 卜部は瘴気を払い除けるように左手の甲で空を横に薙いだ。

 

 すると血の匂いがすぅと薄らいだのをかなめは感じる。

 

 

 卜部は中村をじっと見つめると重々しく口を開いた。

 

 

「それは違う。お前は報いを受けさせたいんじゃない……」

 

「なんだと……?」

 

 中村はこめかみをピクリと歪めた。

 

 

「お前は藤三郎の犠牲者達を復讐の言い訳に使っているに過ぎない……お前の心の底にある本心は藤三郎への怒りと復讐心だ」

 

 卜部は話しながらずんずんと中村に近付いていく。無防備に、何も庇うこと無く、まっすぐに進む。

 

 そしてとうとう中村の目の前に立つと、卜部は中村を睨みつけて言い放った。

 

 

「犠牲者をお前の利己心のために利用するなよ……!!」

 

 

 怒りに震える中村の皮膚がみちみちと音を立てて裂けた。

 

 自身の口唇を噛み切り咀嚼しどす黒い血が顎から滴り落ちる。

 

 滴った黒い血は床に触れると音を立てて燃えた。

 

 

「なんて事はない……お前もそこにいる父親と同じだ。自分のために他人の不幸を利用する利己的な、人間だ……!!」

 

 

 中村は悲痛な呻き声をあげた。

 

 両手で顔を覆い皮膚に爪を食い込ませる。

 

 そして苦しそうに頭を振り回したかと思うと、自らの顔面の皮をばりばりと引き剥がし始めた。

 

 

 かなめは壮絶な光景を固唾を飲んで見つめていた。肩に力が入り身がすくむ。

 

 やがて皮膚の下から現れたモノにかなめは戦慄した。

 

 

 剥がれた皮膚の下には三つの顔が付いていた。

 

 真ん中には口と目を縫い付けられた今わの際の中村の顔があった。

 

 その左には穴だけになった眼孔から血の涙を流し苦悶に歪む顔が悲しみの呻きを上げている。

 

 右には唇と鼻を削がれ、牙を剥き出し、ぐるぐると目玉が動き回る怒りの形相がしゅーしゅーと蛇のような音を立てている。

 

 

 卜部は札を取り出して二本の指で挟むと経文を唱え始めた。

 

 それに呼応するかのように中村の皮下で何かが蠢く。

 

 それは胸と肩甲骨の辺りに集まると皮膚を突き破って表に這い出してきた。

 

 

 血と粘液で濡れた皮膚のない四本手。

 

 

 六本の腕と三つの顔を持った中村のその姿はまさしく阿修羅そのものだった。

 

 

「い、嫌だぁ……!! もうやめてくれ……!! あああああああああああ……!!」

 

 

「お父さん……!! お父さん……!! いい子にするから……!! 言う事聞くからぁああ嗚呼あ」

 

 

「憎い……憎い……赦すまじ……赦すまじ……」

 

 

 口々に叫ぶ中村の視線が卜部の持つ札に集まった。そのひと睨みで札は一瞬のうちに灰になって消えた。

 

 

 しかし卜部は怯むこと無く印を結んで中村を睨む。

 

 見えない力が中村の頭上からのしかかるのがかなめにもわかった。

 

 しかし中村は六本の腕で卜部を捕らえて爪を食い込ませていく。

 

 

「先生……!!」

 

 

「来るな!!」

 

 卜部がすかさず凄んだのでかなめはびくりと立ち止まった。

 

「大丈夫だ……そこにいろ……!!」

 

 

「中村……復讐して気が済んだらそれでお終いか……!? お前が本当に望んでいるモノは何かよく考えろ……!!」

 

 痛みに顔を歪めながら卜部が吠えた。

 

 

 中村は人外の言葉を叫び散らし、目を白黒させる。

 

 そしてなおも卜部を絞め殺そうと力を強めた。

 

 

 ミシミシと卜部の身体が悲鳴をあげる。卜部の顔がさらに苦痛で歪む。

 

 

 

「中村さん……!! わたしもあなたと一緒です……!! 大事な家族を殺されたあなたの悲しみが解ります……!!」

 

 思わず叫んだかなめの声が届いたのか、中村は一瞬首をかしげるような動きを見せた。

 

 

「亀!! そのまま続けろ!!」

 

 

「邪悪な鬼は死んだ家族に化けてわたしに復讐を迫りました……だけど、もし復讐していたら、わたしは大切な人と二度と会えなくなってました……!!」

 

「復讐したら!! 大切な人と二度と会えないんです!! それに……」

 

 

「あなたの奥さんと娘さんは復讐なんて望んでません……!! 絶対に……!!」

 

 

 かなめの頬を涙が伝う。声が震えうまく言葉を紡ぐことができない。

 

 しかしその叫びは中村に届いていた。

 

 

 

 中村は六本の腕を解き、自身の腕で卜部の両肩をがっしりと掴んだ。

 

 

 縫われた目から透明の涙が伝った。

 

 ぶちぶちと音を立てて瞼が開き、糸を引きちぎって中村は泣き叫んだ。

 

 

「だが……俺は……どうすればいい……!? こいつが悔い改めて改心したらどうする!? 神がこの男を赦したらどうする!? 俺はそんなこと耐えられない!! これだけの非道を働いておいて、こいつの魂に安息が訪れることなど……俺は断じて認めないぃいいい……!!」

 

 

 

「そんなことにはならない……!! 仮にこいつが改心したとしても、それから待ち受けるのは魂を引き裂く壮絶な後悔と苦しみだ……!!」

 

 卜部はポケットから一枚の紙を取り出して中村の目の前に突きつけた。

 

 

「お前は生前この男に縛られ続けて生きてきたんだ……死んだ後まで一緒に地獄に落ちてやる必要なんて無い……!!」

 

 

「それよりもお前には、行くべきところがあるはずだ……!!」

 

 

 それを見た中村は大粒の涙を流しながら地面に膝を付いた。異形の腕が灰になって消え失せ、傷だらけの中村だけが残った。

 

 中村は震える両手で大事そうに卜部の手から紙を受けとる。

 

 それは住職が卜部に手渡した、中村と家族の写真だった。

 

 声を上げて泣く中村の前に卜部は屈んで言う。

 

 

「お前の心の底にあるもう一つのモノも置いて、かみさんと娘の所に行ってやれ。あとは俺が引き受ける」

 

「もう一つのモノだと……?」

 

 中村はわからないと言った様子でつぶやいた。

 

 

「赦すことだ」

 

 卜部がきっぱりと言う。

 

 

「あいつを……赦せというのか……?」

 

 中村は震える声を絞り出した。

 

 

「違う。あいつを赦せとは言わん。お前が本当に赦せないのは、家族を守れなかった自分自身だ……

 

 

 中村はそれを聞くと力が抜けたようにうなだれた。

 

 俯いて肩を震わせ嗚咽を漏らす。

 

 

「本当は香炉が邪魔でここに入れなくてな……お前を利用しようとしたんだ。だが……」

 

 

「お前のところに行って正解だったよ……それに……」

 

 中村はかなめの方を見て優しく微笑んでから卜部に視線を戻して言った。

 

 

「良い助手を持ったな……大事にしろよ……」

 

 

 そう言い終わると同時に中村の身体に入った亀裂が音を立てて大きくなった。

 

 

「中村……!!」

 

 

 卜部は慌てて叫んだが、中村の身体は瞬く間に音を立てて崩れ去った。

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