ケース5 旧友㉕
よろけたかなめは卜部の方を見た。時は間延びしたようにゆっくりと進んでいたが声は出せない。
卜部の焦った表情が見える。
そして自分に向かって伸ばされた卜部の手が見える。
かなめもすぐに手を伸ばしたが突如湧き出た暗い靄に全身を包まれてかなめの手は空を切った。
靄の中から白い腕が何本も伸びてきてかなめの身体を掴み、さらに深い闇の奥へと引きずり込んでいく。
「そこにいろ!!」
卜部は藤三郎を怒鳴りつけるとかなめが消えた場所で九字を切った。
中村を睨むと微笑みながら手を振っているのが見えた。
卜部は藤三郎と中村を残して漆黒の靄の中に消えた。
「馬鹿者……!! 戻れ!! 儂を守れ……!!」
藤三郎の叫びは虚しく部屋の壁に吸い込まれて、卜部からの応答はない。
「無駄だよ父さん。せっかく親子二人きりなんだ……何か言うことがあるだろう……?」
中村は卜部の書いた血文字に指先で触れた。するとずぶずぶと音を立てて指先が溶ける。
「貴様のような出来損ない、息子でもなんでもないわ……!!」
藤三郎は怯えながら結界の中心に移動して唾を飛ばしながら罵声を浴びせる。しかしその顔は恐怖に引きつり絶望の色が拭えない。
中村はその顔を見て満足気に微笑むと暖炉の方へゆったりと歩きめた。
藤三郎は息を呑んだ。
中村の首はその場で固定されたように微動だにしない。
しかし身体は首をねじ切るように捻りながら暖炉へと向かう。やがて中村の首がボキボキと音を立て伸び始めた。
中村のひび割れだらけの身体は恐ろしい音を立てて首を伸ばしながら暖炉へと向かう。
暖炉の前に立つと脇に置かれた灰掻きを手に取った。
自分の胴体が灰掻きを摑むのを見て中村はニィと口を開いた。
「俺はそこに入ることは出来ない……」
伸びた首が結界の周りをぐるりと囲む。
「だが……これならどうだ?」
藤三郎の眼前で中村の頭部が笑う。それに合わせて長い首で繋がった胴体が灰掻きをちらつかせた。
中村の残酷な笑みに藤三郎はひぃと情けない声を上げた。
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気が付くとかなめはどこかの台所に立っていた。
よく手入れされたシンクは清潔で、可愛らしい形をしたピンクのスポンジが置かれている。
水切りに三つ並べられた揃いのマグカップを見ると鼻の奥にツンと懐かしさが込み上げた。
吸い寄せられるようにマグカップを手に取ると天井から小気味よい足音が聞こえてくる。
どうやら二階があるらしい。
マグカップを両手で大事に抱えて振り向くと焦げ茶色のテーブルと揃いの椅子。ビーズののれんの向こうからはテレビの声が聞こえてきた。
九回の裏……ツーアウト満塁……
なぜか心臓がありえないほど大きな音を立てていた。
満を持してバッターは佐々木……チームを逆転に導くことができるのか……
トッ……トッ……トッ……トッ……トッ……
階段を降りてくる音が聞こえ、ビーズの向こうに人影が見えた。
「ママ!! いいところに来たね!!」
声を聞いてドクンと心臓が跳ねる。
ストライーーーーク……
「きゃー緊張する……!! パパの隣に行っちゃお!!」
「ママ……ずるいよ……」
かなめはぽつりとつぶやくと、自分の口から出た言葉に戦慄する。
「ママ!! ずるいよ!! わたしだけ一人じゃん!!」
ストライーーーーク……
「おおおお!! 泣いても笑っても次で最後だぞ!!」
「ずるくありませーん!! かなめもパパみたいな素敵な彼氏をつくってくださーい」
気が付くとかなめの頬には涙が幾重にも流れていた。
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