邪祓師の腹痛さん

ケース５ 旧友㉓

　部屋にいた死者達も小鬼も姿を消して、窒息しそうな静寂が残された。

　やがて静けさの中、扉の向こうからひたひたと足音が聞こえてくる。

　足音は扉の前で立ち止まった。

　こん。こん。

　いきなり響いたノックの音にかなめと藤三郎はからだをびくりと震わせた。

「ボス……李偉です……」

「返事をするな」

　卜部が短くつぶやくと藤三郎は黙って頷いた。

「ホホホ頬……ほほほほ……本郷です。おおおおおおやかかたたた」

「扉を開けてください」

　無機質な機械音声のような声にかなめは背筋が冷たくなった。あきらかに人外の、それも途轍もない悪意を持ったモノが扉の向こうに立っている。

　かなめがちらりと卜部に目をやると、卜部は扉から目線を切らずに地面に血文字で何かを書いていた。

「卜部。そんな時間稼ぎは無駄だ」

　扉の向こうから見透かすような声が聞こえた。

「ここを開けてくれ。そんな奴、命をかけて守るような相手じゃない」

　それは確かに中村の声だった。穏やかにさえ聞こえる。

　しかし卜部はその声を無視して血文字の羅列を必死で綴っていく。

「開けてはくれませんかぁああ……？　ここは寒くて暗いです……暗いよぉ。寒い……暗いよぉ……お父さん……くらいよぉおおぉぉおを？！？」

「開けてくださらないならあ亞ぁあ……お前の内蔵を挽き、引き引き気……引き摺り出しますよぉをおヲ？」

　地の底から響くような粘つく重たい声が聞こえた後、扉の向こうから太鼓の音が聞こえ始めた。

　どん……どん……どんどん……

　どん……どん……どんどん……

　どん……どん……どんどん……

　シンと静まり返り、音が止んだ。

「消えたか……？」

　藤三郎がつぶやいた。

　すると藤三郎の両の肩にぽんと手が置かれる感触がした。

「ただいま父さん」

　振り向くと両目を抉られた中村が歯のない口をぱっくりと開いて藤三郎に笑いかけていた。

「うわぁぁぁっっぁぁああああ！！」

　藤三郎は絶叫して逃げ出そうと飛び出したがその襟元を卜部が掴んで引きずり戻した。

「この結界から絶対に出るな……」

　振り向くとそこに中村の姿は無かった。

「い、今のは……！？」

「お前に説明する義理はない！！　死にたくなければただ俺の言う通りにしろ！！」

　卜部が藤三郎の胸ぐらを掴んで叫んだ直後、カチャリと扉のノブが回る音がした。

「ありあとう。うあべ（卜部）。お陰で邪魔なこうお（香炉）が割えてここに入うことが出来あ……」

　扉が開くとそこには中村が立っていた。

　中村は全身裸で皮膚は血の気が引いて真っ白になっていた。

　身体のいたる所に大きなひび割れがあり、ひびの内側には赤黒い肉が見えていた。

　腐ったどす黒い血は乾くこと無く、白い肌をべったりと濡らし、異臭を放っている。

　抉られた目は赤い刺繍糸で縫われ、顎は裂かれ、歯は一本たりとも残っていなかった。

　本来性器が在るはずの場所には丸く削がれた痕があり、真っ赤な肉の中に白い骨が露出している。

　その姿に卜部は唇を噛み締めた。やがて口角から一筋の血が流れる。

　卜部はゆっくりと足元で震える藤三郎に視線を移した。

　その目は憎しみと殺意でいっぱいだった。

　かなめは咄嗟に卜部の裾を掴んだ。

　卜部は深呼吸して中村に視線を戻す。

「かつえつ（滑舌）が悪うくてすまんな……」

　中村そう言って笑うと口を大きく開けて舌を突き出した。

　舌には真ん中辺りで切断された痕があった。そしてそれを青い刺繍糸で不格好に継ぎ合わせているのが解った。

「こいうに恐怖を与えうたえに、治さなかったんだ……だがもういい……」

　中村は歯のない口で舌をぶちぶちと噛み切った。

　かなめは口元をばっと押さえて吐き気を必死で飲み込んだ。

　音のない部屋に自身の舌を咀嚼する音がくちゃくちゃとこだまする。

　ごくりと飲み込む音がした。

　おそるおそる目を上げると歯と舌が元に戻った中村が満面の笑みで怯える藤三郎を見つめていた。