ケース5 旧友⑰

 

 李偉の叫びで我に返った田中は咄嗟に首のロープを掴んで頚椎を守った。

 

 宙吊りになった田中は足をバタつかせて空を蹴る。

 

 行き場を失った血流が田中の顔をみるみる紅潮させていく。

 

 なぜ俺が……!?

 

 田中の声は言葉にならず、ただ唇が上下するだけだった。

 

 

 こめかみに血管を浮き上がらせ口角から泡を垂らしながら田中の意識は闇に消えた。

 

 

 

「田中!!」

 

 李偉は全速力で田中のもとへ走る。

 

 今ならまだ間に合う……!!

 

 

 そう思った時、倒れた脚立がずるずると闇の中に引きずられていくのが見えた。

 

 

「うおぉおおおおおおおお!!」

 

 李偉は叫び声を上げてさらに加速すると脚立の端を掴んで思い切り引っ張った。

 

 

「あーあ……」

 

 

 あの時の声だ……

 

 声はまたしても李偉の耳元で囁かれた。

 

 

 しかし今はそれどころではない。

 

 李偉は脚立を立てて田中を抱きかかえた。

 

 首を締め上げるロープを緩めるとナイフのセレーションで切断する。

 

 

「田中!! 戻ってこい!!」

 

 李偉は気道を確保して心臓マッサージを施した。

 

「田中!!」

 

 人工呼吸を覚悟したその時、田中はゴホォッと息を吹き返した。

 

 

「田中!! 気が付いたか!?」

 

 李偉の呼びかけに田中は虚ろな表情で頷いた。

 

「とにかく一旦部屋に戻るぞ!!」

 

 

 李偉は田中の肩を担いで部屋に向かおうと立ち上がった。

 

 

「やめろ……」

 

 

 李偉が声の方に視線をやると、そこには銃を構えた本郷が立っていた。

 

 

「本郷!! 田中が事故にあった!! すぐに部屋に運ぶ!!」

 

 睨みながら話す李偉に本郷は首を横に振った。

 

 

「そいつは信用ならん……裏切り者だ。自作自演で罠に嵌めるつもりだ」

 

 

「馬鹿な!! 一体何のためにそんなことを!!」

 

 

「本郷を撃て……」

 

 耳元で田中が囁いた。

 

「あいつの幽霊に俺は殺られそうになった……油断するな」

 

 田中は本郷に気づかれないように小声でなおも続けた。

 

 

 

「今もお前を惑わそうと何か吹き込んだだろ……? 李偉。そいつを寄越せ」

 

 本郷は銃口を二度小さく振って、田中を下ろすように指示を出す。 

 

 

 

 李偉の背中に冷たい汗が流れた。

 

 田中を下ろせば本郷はためらいなく田中を撃つだろう。

 

 しかしそうしなければ、本郷は俺を撃ってでも田中を始末しようとするだろう……

 

 

 腰に携えたトカレフを意識しながら李偉はなんとかこの状況を切り抜けられないかと頭を回転させた。

 

 あいつを殺せ……

 

 田中をわたせ…… 

 

 あいつを殺せ殺せ

 

 田中をわたせわたせ

 

 

 田中は耳元であいつを殺せと囁き続け、本郷は田中をわたせと言い続けている。

 

 

 アイツヲコロセアイツヲコロセアイツヲコロセ

 アイツヲコロセアイツヲコロセアイツヲコロセ

 アイツヲコロセアイツヲコロセアイツヲコロセ

 

 

 タナカヲワタセタナカヲワタセタナカヲワタセ

 タナカヲワタセタナカヲワタセタナカヲワタセ

 タナカヲワタセタナカヲワタセタナカヲワタセ

 

 

 やがて二人の声は機械音声のように抑揚を失くし、単調で目眩を起こしそうな呪詛と変わった。

 

 

 気が狂いそうになりながら李偉は声を絞り出す。

 

 

 

「頼む本郷……目を覚ましてくれ……」

 

 

 それを聞いた本郷は、撃鉄を起こし引き金に指を掛けた。

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