ケース5 旧友⑯

 

 李偉は予期せぬ本郷の出現に言葉を失った。

 

 チラリと画面に目をやると、そこには田中と本郷の姿がしっかりと映し出されている。

 

 

 ばくん……ばくん……ばくん……

  

 

 心臓は李偉の意志と無関係に警報を打ち鳴らしている。

 

 しかし身体は微動だにすることができない。

 

 思考がまとまらない。

 

 

 俺は今どんな表情をしている……?

 

 

 ありえない状況に李偉の脳と身体と感情はバラバラになっていた。

 

 あるいはそんな錯覚に陥っていた。

 

 

 かろうじて自由に動すことができる目で李偉は画面の本郷と目の前に立ってこちらを見つめている本郷を交互に見やった。

 

 

「おい……どうした? 顔色が悪いぞ……?」

 

 本郷が怪訝な顔をしながらつぶやいた。

 

 

 その声を聞くやいなや唐突に李偉の身体に自由が戻った。

 

 

 

 李偉は大きく息を整えながら本郷を鋭い目で見つめた。

 

 

「田中が危ない……何かよくわからないモノが俺たちを狙ってる!!」

 

 

 それを聞いた途端に本郷の目付きが変わった。

 

 

「あいつは信用できない!! 卑劣な卑怯者だ!! 俺たちを狙ってるのはあいつだ!!」

 

 口から泡を飛ばしながら本郷は叫んだ。

 

 李偉はこちらの本郷が本物だと直感する。

 

 そうなると田中の所にいる本郷はいったい……?

 

 

 

「本郷……お前今までどこにいたんだ?」

 

 李偉は恐る恐る尋ねてみた。

 

 

 本郷は李偉にも疑いの眼差しを向けながらぼそりと答えた。

 

「藤三郎のところだ……田中が怪しいことを報告していた……」

 

 

 それを聞いた李偉は本郷を押しのけて田中のもとに走った。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 田中はぐらつく脚立の上で懐中電灯を掲げてひさしを調べていた。

 

 見るとやはりひさしに何かが擦れたような黒く煤けた箇所があった。

 

 

「おい!! デカブツ!! しっかり脚立を押さえてろ!!」

 

 

 不安定な足場は田中の神経をさらに逆立てる。

 

 しかし下で佇む本郷はニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべるばかりで一向に足場は安定しなかった。

 

 

「本郷!! お前のことだ!! 耳が付いてるのか!?」

 

 田中がそう言うと本郷の口が、声を出さずに動くのが見えた。

 

 

 ねずみおとこ

 

 

 そう言われた気がした。

 

 

 どこからともなく、くすくすと嘲笑する声が聞こえてきた。

 

 それは田中に纏わりついて離れない。

 

 

 鼠男ねずみおとこネズミオトコ鼠男

 ねズミ男鼠オとコネずミ男ネズミ男

 

 

「うるさい黙れ!!」

 

「お前が俺を馬鹿にしてることは知ってるぞ!?」

 

「だがな俺から言わせればお前は身体がデカいだけの木偶の坊だ!!」

 

 

 本郷は下から田中を眺めてなおもニヤニヤと笑っている。

 

 口元は相変わらずパクパクと動き、声にならない嘲りの言葉を発していた。

 

 

 くすくす……気味が悪いわ……

 

 くすくす……陰気なガリ勉よ……

 

 

 

 くすくすくすくすくすくすくすくす

 クスクスクスクスクスクスクスクス

 クスくすクスクスkすskすくすs

 クスクスくすっkすskすすうsk

 kすすskすうすskすすうすsく

 

 

 いつの間にか黒い小さな人影が本郷の周りに立っており、彼らは皆、田中を嘲笑の眼で見つめていた。

 

 

 ゲラ……ゲラゲラ……ゲラゲラゲラ……

 ゲラゲラ……ゲラゲラゲラ……ゲラゲラ

 

 いつしか意地悪な嘲りと侮蔑を含んだ目が田中の周りに渦巻いていた。

 

 ぐるぐるぐるぐる

 ぐるぐるぐるぐる

 ぐるぐるぐるぐる

 

 それは田中を中心にして回り続ける。

 

 容赦のない下卑た笑い声が耳の中に木霊する。

 

ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

 

 

「うるさい黙れぇぇぇええ!! そこにいろ!? 思い知らせてやる!!」

 

 

「やめろ!! 田中!! そこには誰もいない!!」

 

 誰かの叫び声が聞こえた。

 

 

 しかし頭に血が登った田中は目の前にあった雨樋あまどいにロープを結わえると、ロープを頼りにして下に飛び降りた。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 李偉が駆けつけると、暗闇の中、窓の明かりに照らされた脚立が見えてきた。

 

 不安定な脚立の上に田中が仁王立ちして下を向いているのが見える。

 

 

 田中は大声で罵声を上げていたが、肝心の相手がそこにはいなかった。

 

 

 李偉の目に映るのは、脚立の上の田中が一人、暗闇に向かって罵声を投げかける姿だった。

 

 

 雨樋にはロープがかけられており、そのロープの先端は田中の首に巻き付いている。

 

 

 李偉は瞬時に状況を理解しぞっとした。

 

 

「やめろ!! 田中!! そこには誰もいない!!」

 

 

 李偉の叫び声も虚しく、田中は首にロープをくくったまま脚立の上から飛び降りた。

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