ケース5 旧友⑭

 

 田中は乱暴に物置小屋の扉を開いた。

 

 じろりと小屋の中を見渡すと目当ての脚立に向かって歩みを進める。

 

 ギッ

 

 ギッ

 

 ギィ

 

 

 古びた床板は踏みしめるたびに嫌な音を立てて軋んだ。

 

 

 脚立を持って帰ろうとしたときに田中はふと足元の木箱が目に止まった。

 

 

 田中は何の気無しに木箱に手を伸ばす。

 

 

 その中には卜部とかなめが詰まっていた。

 

 かなめは卜部の言いつけどおりに細い息を続けていたが心臓は今にも破裂しそうだ。

 

 卜部は最悪の事態に備えて臨戦態勢をとっていた。

 

 

 ガチャ……

 

 

「クソっ……」

 

 

 天井に突かえた脚立に悪態を吐きながら田中は木箱を諦めて外に出ていった。

 

 

 田中の足音が遠ざかっていくのを確認してから二人は木箱の外に出た。

 

 

「危なかったですね……」

 

 大きく息を整えながらかなめは卜部に目をやった。

 

 卜部も額にうっすら冷や汗を滲ませている。

 

 

「ああ……場所を変えるぞ。森に身を潜める」

  

 こうして二人は深い森の闇に姿を隠した。

 

 

 

 

 森の中はどろりと融けた濃い闇で充満していた。

 

 まとわりつく粘度の高い闇にかなめは身震いする。

 

 常緑の木々に阻まれて月明かりは届かない。

 

 

「先生……」

 

 かなめは卜部の袖を引いて小声で言った。

 

「なんだか生臭くありませんか……?」

 

 

 卜部はかなめを一瞥してほぉと感心したような声を出す。

 

「分かるのか? お前も随分勘が鋭くなってきたな」

 

 

 かなめは嫌な予感がした。つまりこの臭いは超常のものであって、普通ではないのだ。

 

 

「何なんですか……この臭い……?」

 

 

「小鬼の臭いだ」

 

 

 卜部の言葉にかなめは耳を疑う。

 

 

「小鬼ですか……?」

 

 

「なんだ? 幽霊は信じるのに鬼の存在は信じられないか?」

 

 

「いえ……そういうわけじゃ……ただ」

 

 

 口ごもるかなめに卜部は鋭い目を向ける。

 

 

「なんだ? 言ってみろ」

 

 

 かなめは覚悟を決めて口に出した。

 

 

「中村さんの怪異が出ると思っていたので……鬼はちょっと合わないというか……」

 

 

 卜部はなるほどなと独り言ちてから黙り込んでしまった。

 

 前髪を掻き上げてゆっくりと後頭部を掻き毟る卜部をかなめは心配そうに見つめる。

 

 

「先生……?」

 

 

「おい亀」

 

 

 二人は同時に口を開いた。

 

 

「なんだ……?」

 

「先生がお先にどうぞ」

 

「お前が先だ」

 

 

 かなめは特に何か聞くつもりはなく、ただ卜部を呼んだだけだった。先にと言われても困るのだ。

 

 仕方なくかなめは正直に言う。

 

 

「先生が黙っちゃったから心配しただけです。それと亀じゃありません。かなめです」

 

 

 卜部はあからさまに嫌な顔をしてから鼻を鳴らして話し始めた。

 

 

「いいか亀。この先何が起きても俺の言う事以外信用するな。こいつは質の悪い鬼だ」

 

 

 

「つまり先生を信じればいいんですね……?」

 

 かなめは少し険しい顔で卜部の目を見つめた。

 

 

「そうだ……」

 

 卜部はそんなかなめから目をそらした。

 

 

 重い闇と静けさが二人の間に横たわっていた。

 

 この一件が始まってから実はずっと立ち籠めている重たい闇。

 

 かなめはそのことにとっくに気が付いていた。

 

 

 かなめは覚悟を決めると、重たい闇に足を踏み出す。

 

 先生を信じる……

 

 先生を信じられるように。

 

 かなめは卜部の目の前に立つと胸を張って卜部の顔を見上げた。

 

 

「じゃあ……ひとつだけわたしと約束してください!! その約束をわたしは信じます!!」

 

 

 卜部は自分を真っ直ぐに見つめる助手の目を睨み返した。

 

 

「なんだ?」

 

 

「先生の手で絶対に藤三郎を殺さないでください!! 藤三郎の処遇は警察に任せてください!! これだけです!!」

 

 

 卜部は腰に手を当てて頭を掻きむしった。

 

 

 やがて唸るようにため息をつく。

 

 

「俺は……」

 

 

「約束してください!!」

 

 

 かなめはきつい口調で卜部に食ってかかった。

 

 半泣きになりながら卜部の目を睨む。

 

 

 卜部は大きなため息をつくと小さな声でつぶやいた。

 

 

「いいだろう……」

 

 

 それを聞いたかなめは小指を差し出す。

 

 

「指切りです!!」

 

 その眼は命の輝きに満ちていた。

 

 それを見て卜部は思わずふっと鼻で笑った。

 

 

「言っておくが俺の指切りは本物だぞ?」

 

「知ってます!!」

 

 

 二人は暗い森の中で小指を結んだ。

 

 

 かなめはほんの一瞬だけ月明かりが射したような気がした。

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