ケース5 旧友⑫

 

 

「先生……危なかったですね……」

 

 かなめがそっと小声でささやいた。

 

「まったくだ……間抜けがバカでかい物音を立てたせいで危うく撃ち殺されるところだ」

 

 卜部はかなめをじろりと睨んで言う。

 

 

「だって仕方ないじゃないですか……でっかい蜘蛛が首筋に落ちてきたんですから……叫ばなかっただけでも上出来です。それより先生……さっきの怪異はやっぱり……??」

 

 

 かなめはためらいがちに卜部に尋ねた。

 

 

 

「あれは中村じゃない」

 

 

 卜部はぼそりとそれだけ答えた。

 

 

「じゃあ、あれはいったい……??」

 

 

 

「さあな」

 

 

 

 

 真っ黒な服に身を包んだ卜部は、まるで暗躍する特殊部隊のようだった。

 

 身につけたサスペンダーのようなベルトには銃器こそ無かったがナイフやエイドキットなどの小物が収納されている。

 

 かくいうかなめも同じような黒装束に身を包んでいた。

 

 髪だけはいつもの群青色のシュシュで一つにまとめている。

 

 

 どういう事態を想定しているのか甚だ疑問だったが、潜入用と思しき黒装束はかなめのサイズもしっかり用意されていた。

 

 

 卜部は木戸の隙間から物置小屋の周囲を観察すると、木戸を閉めて眼をつむった。

 

 

 今把握した屋敷の全体像に意識を煙のように拡散していく。

 

 

 卜部は屋敷に充満した不穏な気配を敏感に感じ取って顔をしかめた。

 

 

「どうかしましたか……?」

 

 かなめは卜部の変化に気が付いた。

 

「いや。なんでもない」 

 

 卜部はチクチクと刺すような痛みに耐えながらさらに意識を拡散していく。

 

 

 

「見張りは三人……藤三郎は屋敷の奥……中村は見つからない」

 

 かなめは黙って卜部の言葉を待った。

 

「もうしばらくここで様子を見る……」

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 李偉と田中が本郷の部屋に着くと、本郷はベッドに腰掛けていた。

 

 顔色は悪いが随分調子が良くなったように思う。

 

 

「本郷!! 正気に戻ったのか!?」

 

 李偉はそう言いながら本郷の側に近付いた。

 

 

 本郷はビクッと身体を震わせて身を引くと、チラリと田中に目をやって思いとどまったように動きを止めた。

 

 

「あ、ああ。大丈夫だ……少し体調が悪かっただけだ。大分落ち着いた……」

 

 

「体調不良なんてもんじゃなかっただろ!? 一体何があった??」

 

 

 李偉は詰め寄ったが本郷は大丈夫の一点張りで何も話そうとしなかった。

 

 

 

「とにかく……何かが起きてるのは間違いないだろう……ボスには言わずに警戒を強化しよう」

 

 田中はいぶかしそうに目を細めて本郷を見ながら部屋を出ていった。

 

 

 それに続いて外に出ようとした李偉の手を本郷が掴んだ。

 

 

「李偉……奴に気を付けろ……」

 

 本郷は怯えたような目で李偉を見据えて言った。

 

 

「奴……?」

 

 そう聞き返した李偉に本郷は黙って頷いた。その目は恐怖でどんよりと淀んでいる。

 

 

「奴だ……卑劣でずる賢く信用できない……ドブネズミのような奴だ」

 

 

「……田中のことを言ってるのか……?」

  

 

 李偉は慎重に言葉を選んで答えた。

 

 

 本郷は鬼気迫る表情で李偉に訴えかける。

 

 李偉は強く握られた手首に痛みを覚え始めた。

 

 

「奴に背中を見せるな……お前もやられるぞ……アレは恐ろしい化け物だ」

 

 

 ワナワナと震えるほどに手を握りしめながら本郷が言う。

 

 本郷は目に涙を滲ませて李偉を見つめていた。

 

 

「本郷、いったい何を見たんだ?? それより手を離せ。痛い……」

 

 

 振りほどこうとしても本郷はなおも震えながら李偉の腕を強く掴んで離さない。

 

 

「化け物だ。化け物なんだ。黒い化け物。あいつがいた。奴もいたんだ。あの野郎も仲間だ」

 

 

 本郷は俯いてぶつぶつと意味不明の言葉をつぶやきながら、さらに強く李偉の腕を締め上げていく。

 

 

「痛っ……本郷!! 離せ!!」

 

 

 とうとう李偉は本郷の腕を手刀で叩き落した。

 

 

「奴を信用するな。奴を信用するな。奴を信用するな。奴を信用するな……」

 

 

 本郷は打たれて痺れる腕を押さえながら鋭い目で李偉を見てそれだけを延々と繰り返した。

 

 

 李偉はその光景に驚愕しながら、逃げるように部屋を出ていった。

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