ケース5 旧友⑪

 

 かすかに漂う香炉の残り香に李偉の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 

 藤三郎に報告に行こうかとも思ったが、彼が大騒ぎするのは目に見えていたのでやめた。

 

 

 本郷は相変わらずぶつぶつと意味の分からないことをつぶやいていたが、心なしか落ち着きを取り戻しつつあるようにも見える。

 

 

 とにかく本郷を部屋に運ぼう……

 

 

 李偉は重たい本郷の身体を引きずって彼の部屋に向かった。 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そのころ田中は屋敷に設けられたモニタールームで監視カメラの映像をチェックしていた。

 

 どうにも不可解な映像がいくつかあり、田中は人差し指で顎を掻きながら独りごちる。

 

 

「気になるねぇ……なんだろう? 侵入者? いやいや……もっと別の……」

 

 

 クククと喉で笑いながら映像を巻き戻す。

 

 その映像は屋敷の窓を外から写したものだった。

 

 

 映像では突然、黒い人影のようなものが窓のひさしにぶら下がるように現れる。

 

 前触れもなく突如としてそれは降って現れるのだ。

 

 

「まるで首吊り台から落ちてきたみたいだねぇ」

 

 

 下の前歯で四本の爪を弾きながら映像を食い入るように見ていると、その人影は霞のように消えてしまう。

 

 それとほぼ同時に、カーテンを掴んで外を確認する李偉の姿が映し出された。

 

 

「つまり李偉はこいつの気配を感じていたわけだ……となるとこれは単なる映像の乱れではない……?」

 

 

 コンコン!!

 

 

「どーぞ」

 

 ノックの音に田中は応えた。

 

 しかし誰も部屋に入ってくる気配はない。

 

 

 田中は立ち上がってそちらに近づくとそっと扉に耳を当てようとした。

 

 

 コンコン!!

 

 

「うっ……!!」

 

 思わず声が漏れた。

 

 

 

「俺だ。李偉だ」

 

 

「なんだ……どーぞと言ったろ?」

 

 

 すると扉が開いて怪訝な顔をした李偉が入ってきた。

 

 

「そうか……聞こえなかったが」

 

 

「一度目の時だよ」

 

 

 田中が小さな目を更に細めて李偉にそう言うと李偉は顔を青くしてつぶやいた。

 

 

「今が一度目だ……」

 

 二人の間に沈黙が流れた。

 

 

 

「それより本郷が大変な事になった。お前も見てくれ」

 

 

「じゃあ先にこれを」

 

 そう言って田中は先程映像を巻き戻した。

 

 

 李偉はその映像をじっと見ていたがやがて口を開いた。

 

 

「この映像が何なんだ?」

 

 

「妙なモノが写ってるだろう?」

 

 そう言って田中は再び映像を巻き戻した。

 

 

「ここだ。ん……?」

 

 田中は愕然とした。確かに先程まで写っていた黒い人影が何処にも見当たらない。

 

 

「妙だな……さっき何度も確認したんだ……お前がカーテンの所に出てくる前に妙な黒い人影がたしかにここに!!」

 

 

 

「黒い人影……」

 

 李偉は小声でつぶやいた。

 

 

 田中は躍起になって映像を操作している。どうやら李偉のつぶやきは聞こえていないようだ。

 

 

「クソ!! どうなってる!! 消えたよ!?」

 

 田中は手を広げてお手上げのポーズを取ってみせた。

 

 

 

 その背後で再生される映像に、一瞬だけ画面いっぱいの黒い人影が写り込んだ。


 それを気づいた李偉の恐怖に引きつった顔を見て田中は振り向いた。


 しかしそこにはただ呆然と窓の外を見つめる李偉が映し出されるのみだった。

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