ケース5 旧友⑨

 

 黒服の大男、名を本郷という。

 

 傷害事件を機に陽の当たる柔道の表舞台から消えた本郷は、裏社会で用心棒として生計を立てて来た。

 

 腕っぷしには自信があったし、気に入らない奴は力でねじ伏せればいいというこの世界のルールは本郷の肌にあっていた。

 

 気に入らないことがあるとすれば、今から様子を見に行く鼠男チビのように、腕っぷしではなく卑劣さで生き残るものにとっても、この世界は都合がいいということぐらいだ。

 

 

 鼠男の名は田中と言った。

 

 強者には媚びへつらい、弱者には残酷という典型的な屑だが、狡猾で抜け目のない男だ。

 

 小柄で骨ばった細い顎が特徴的で、本郷は影で鼠男と揶揄していた。なによりドブネズミを思わせるような嫌な目をしていた。

 

 

 

 本郷は屋敷の裏を見張っているはずの田中を探した。

 

「おい!! 田中!! どこにいる?」

 

 

 

「ここだよ……」

 

 

 

 すぐ後ろで声がして本郷はバッと振り返った。

 

 田中はその様子を見て可笑しそうに笑った。

 

 

「異常はないか? 李偉が物音を聞いたらしい」

 

 本郷はそう言って森の闇に目を向けた。

 

 

「彼は勘が鋭いからね……警戒しておくよ」

 

 田中はクククと不気味に笑いながら言う。

 

 

「あー……そう言えばさっき変なモノを見た気がする」

 

 田中は薄笑いをやめて思い出したようにつぶやいた。

 

 

「変なもの……??」

 

 

「あっちだよ……」

 

 そう言って田中はぽつんと佇む古い物置小屋を指差した。

 

「調べたけど誰もいなかった。気の所為だと思うがね……」

 

 

 

 

「見てくるかい?」

 

 

 

 田中は本郷の顔を覗き込んだ。小さなその目は鈍った刃物のような光を放っていた。

 

 

 薄気味悪い男だ……

 

 そう心のなかで毒づいてから、本郷は黙って頷き物置小屋に向かった。

 

 

 

 急に物音が大きくなった気がする。

 

 風で擦れる木の葉の音、遠くで鳴く梟の声、そして自分の心臓の鼓動。

 

 

 じわじわじわじワ

 じワじわじわじわ

 じわじわじワじわ

 じわじわジわじわ

 ジわじわじわじわ

 

 

 やがて本郷の耳には闇の音が聞こえ始めた。

 

 骨髄を蝕む闇の呼び声は、捕らえた者の精神をずくずくと蝕んでいく。

 

 

 神経が過敏になってやがる……

 

 まったく……訳の分からんお祓いなんかするからだ!!

 

 おまけに李偉までおかしなことを言いだす始末だ……

 

 

 そんなことを考えているうちに物置小屋が一歩、また一歩と近付いてくる。

 

 

 そしてふと考えてしまう。

 

 

 

 もし本当だったら……?

 

 

 本郷の逞しい二の腕にざわと鳥肌が立った。

 

 しかしすでに本郷の手は真鍮の取っ手を掴んでいた。

 

 

 嫌な音を立てて木戸が開く。

 

 

 手に持ったライトで恐る恐る暗闇を照らすと所狭しと並んだ木箱や箒があるだけだった。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 どうやらいつの間にか息を止めていたらしい。

 

  

 本郷は八つ当たり気味に音を立てて木戸を閉めると屋敷の方に向き直った。

 

 

 

 きぃいぃいいい……

 

 

 木戸が開く音がした。

 

 ゆっくりと振り向くと木戸が薄く開いている。

 

 

「誰だ!? そこにいるのは!!」

 

 

 本郷は拳銃を両手で構えて大声で叫んだ。

 

 木戸を開け放ちもう一度中を確認するがやはり人の気配はない。

 

 

 どくんどくんと音を立てる心臓と、流れる冷や汗が止まらない。

 

 

 本郷は無線を手に取った。

 

「李偉!! 異常事態だ!! 小屋に誰か居る!!」

 

 

「無いうhkjdhいえhjkdb;いqg’」

 

 

 無線は意味不明なノイズを発した。

 

 

「おい!! 李偉!! 聞こえるか!? 小屋で異常事態だ!!」

 

 

「んsjんvぴhgじょじぇじじdfこ!!!!」

 

 

「故障か!?」

 

 本郷が無線を顔の前に持って来た時だった。

 

 

 

「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「お前じゃない!!」「ぴいいいいいいいいっぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」

 

 

「うわぁぁあああ」

 

 

 本郷は咄嗟に無線を投げ捨てた。

 

 地面に落ちた無線からはガリガリとノイズが響いていた。

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