ケース4 高橋家の押入れ⑧
押入れの中には何も物が無かった。
カビと埃の臭いが充満し、古びた板張りの壁が違和感を覚えさせる。
「先生!! 何だか変です!!」
そう言って振り返るとそこに襖は無かった。
一気に心拍数が跳ね上がってかなめの頭に警報が鳴り響く。
かなめは過呼吸になりそうな自分を制してゆっくりと深呼吸しながら、注意深くあたりを観察した。
「落ち着けぇ……落ち着けわたし。先生のいつも言ってることを思い出せぇ……」
腰に結んだロープに触れてかなめは少し落ち着きを取り戻した。
運命の赤い糸……ならぬ赤い
そうして見ると先程まで押入れの突き当りだった奥の壁がボロボロの木戸に変わっているのが分かった。
木戸に開いた穴から恐る恐る向こう側を覗くと押入れ穏婆が数珠をこすりながら膝立ちで歩く姿がチラリと見えた。
ジャリッ……ジャリッ……ジャリッ……
ズル……ズル……
ジャリッ……ジャリッ……ジャリッ……
ズル……ズル……
三度拝み、進み、三度拝み、進む。
どうやら老婆はそれを繰り返しているようだった。
かなめが息を殺して見ているとスッと老婆は立ち上がった。
めーんこい
めーんこい童は山程食べる……
山程食わすは婆のつとめ……
老婆は不気味なわらべ歌を口ずさみながら奥に歩いていった。
かなめは老婆の姿を見失わぬように慌てて別の穴を覗いた。
見ると押入れ穏婆が、囲炉裏の上に吊るされた鉄鍋からスープのようなものをよそっている。
薄汚れたひび割れの椀に、湯気を上げる気持ちの悪い液体を満たすと、ひびから液体が漏れ出しているのが見えた。
溢れた熱湯は穏婆の手にかかり、皮膚を見る見る爛れさせたが、老婆は気にすること無く椀に口をつけて笑みを浮かべた。
「坊やぁー坊やぁーまんまの時間だでぇ?」
そう言って押入れ穏婆は部屋の隅に向かった。
見ると竹の籠に閉じ込められた和樹が膝を抱えて首を振っていた。
「若い女の煮物だで? めんこい童に食わす飯だで?」
そう言って押入れ穏婆は椀を突き出すが和樹は首を激しく振って受け取らなかった。
「そうけそうけ……」
老婆はヒィヒィヒィと嗤って言った。
「その内、腹ぁ減っておめぇも食うようになる」
そう言って老婆は囲炉裏の方に戻ると姿が見えなくなった。
かなめは老婆から目を離して和樹の方を見た。
和樹は憔悴しきっていた。
四歳の子供が三日もこんな所に閉じ込められているのだから当然だろう。
頬に残った涙の跡が痛々しい。
暴れたのだろう。服も汚れて所々破れていた。
「可哀想に……早くなんとかしなきゃ……」
かなめがそう思った時だった。
またわらべ唄が聞こえてきた。
「わーかい女は何処かいな?」
老婆は歌いながら移動しているようだった。
「わーかい女を童に食わす……」
先程と違う歌詞にかなめは身を固くした。
あの汁は若い女で作った汁なのだ……
老婆はなおも移動している。
「山程食わすは……」
かなめは何処から唄が聞こえるのかと懸命に耳を澄ました。
そしてかなめの背中に冷や汗が流れた。
「婆のつとめ……!!」
声はすぐ後ろから聞こえてきた。
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