ケース3 旅館㊸

 

「あんたが千代だな……?」

 

 石段の上手からこちらを見下ろす千代と目があい、卜部は静かに口を開いた。

 

 

 

 灯籠の炎が揺れて千代の顔に影が差す。千代は声の主を無表情で見つめた。

 

 

 

「あなたは?」

 

 

 

「俺は邪祓師の卜部だ。依頼通り呪物を始末しに来た」

 

 

 

「そう……」

 

 

 千代はそう言って御神体の方に向き直った。

 

 

 

 卜部は腑に落ちないと言った様子で千代の動きを目で追う。

 

 

 

 千代は振り返ると側に来るように手で促した。

 

 

 

「こちらが御本尊になります……」

 

 

 

 卜部とかなめは促されるままに石段を登った。踊り場には人一人が寝転べる程度の大きさをした不気味な石の台があった。

 

 

 かなめはそれを見て背筋が凍る。

 

 

 

「先生……血が……」

 

 

 そう言ってかなめが台を指さした時だった。

 

 

 

 ドン……

 

 

 鈍い音がして卜部が吹き飛ばされた。

 

 

 卜部は見えない力で壁に磔にされていた。

 

 

 

「先生!!」

 

 

 慌ててかなめは卜部の方に駆け寄ろうとした。

 

 

 

「来るな!!」

 

 

 

 卜部が叫ぶ。

 

 

 

 千代は御神体の側から卜部に向かって叫んだ。

 

 

「何が依頼よ!! 私が蟲虫蠢神こちゅうおろかのかみ様と契約したら邪魔するようにあの人が依頼したんでしょ!!」

 

 

「でも無駄よ!! もう私は蠢神様と契を結んだ!! 蠢神様の権能は私のものよ!!」

 

 

 

 

 意味が解らず困惑するかなめをよそに卜部が声を絞り出す。

 

 

「何が神だ……!! 忌事で創り出した穢らわしいタダの呪物だろ……?」

 

 

 

 

「五月蝿い!! あんたなんかに何も言われる筋合いは無いわよ!!」

 

 

 

 卜部が唇を噛み締めて力を入れようとした時だった。

 

 

 

 

「来たわね……」

 

 

 朱い鳥居をくぐって水鏡達がやってきた。

 

 

 水鏡一行は後ろ手に両手を縛られ、その後ろから女将と幸恵が顔を出した。

 

 幸恵は小刻みに頭を動かしながら女将の後に立ちすくんでいる。

 

 

 

 

「翡翠さん!! 水鏡先生も……!!」

 

 かなめは泣き出しそうになりながら卜部と水鏡たちを交互に見やった。

 

 

 

 女将は水鏡たちを小突いて踊り場まで登ってくると、かなめをちらりと一瞥して興味なさそうに視線を千代に戻した。

 

 

 

 

 

「千代ちゃん!! よくやったわね!!」

 

 

 女将の千鶴は演技がかった身振りで千代に向かって笑いかける。

 

 

 

 

「もうあなたの指図は受けない!!」

 

 

 千代は声を震わせて叫んだ。

 

 

 

「ちゃーんと夏男さんに御務めをさせたのね? 偉いわぁ」

 

 

 

「百々くんと坂東さんを放して!!」

 

 千代は目に涙を溜めてなおも叫んだ。

 

 

 

「さぞ気分が良かったでしょう?? お母さんを出し抜いてこんな酷いことをして……」

 

 

 

 

「もうお母さんと蠢神様の契約は無効になってるのよ!?」

 

 千代は母親を睨みつけて凄んだ。

 

 

 

 女将は薄笑いを浮かべて幸恵を前に出しながら言った。

 

 

「そうね……でも幸恵さんは私の言う事をなーんでも聞いてくれるみたいよ?」

 

 

 

 首を小刻みに傾けながら幸恵は百々の方を見据えた。

 

 

 

 かなめは幸恵の姿を見て怖気立った。 

 

 

 その背中からは板前の格好をした男の上半身が突き出していた。

 

 

 それは怪異になった三谷だった。

 

 

 幸恵は背中から昆虫の尻のように三谷をぶら下げており、三谷はのけぞるような姿勢で両手を地面に付いていた。

 

 

 

 その姿はまるで、四本の足で身体を支え、両手の鎌を高く掲げる蟷螂かまきりのようだった。

 

 

 

 

 

「放せって言ってるでしょおおおおお!!」

 

 

 千代はそれを見て泣き叫んだ。

 

 

 すると御神体は千代の叫び声に呼応するようにガタガタと音を立てた。

 

 

 

 それを見た千鶴は薄笑いをやめて千代を睨みつけると、冷酷な声で言い放つ。

 

 

 

「百々くんと一緒になりたいなら、蠢神様との契を私に譲りなさい」

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