ケース3 旅館㊹
押し黙った千代に女将の千鶴は追い打ちをかけた。
「決心がつくように百々くんに痛い目見てみてもらう?? そうする??」
千鶴の言葉の意図を汲み取ったのか、変わり果てた幸恵は首を捻りながら松永百々を見下ろした。
「めて……」
消え入りそうな声で千代が言った。
「千代ちゃん……大きい声で言ってくれないとお母さん分からない」
「やめてください……」
千鶴はそれを聞くといやらしい笑みを浮かべて勝ち誇った顔をする。
「それじゃあ、お母さんに契約を譲渡するって誓ってちょうだい!!」
千代が言葉を発しようとした時だった。
「おい……あんたはそれでいいのか?」
磔にされた卜部が冷たい目を向けて言った。
千代は土色の顔をして卜部を見た。
「一生母親と呪物の呪縛に囚われて生きるのか?? これだけ大騒ぎして殺しまくった挙げ句、結局元の鞘に戻るのか??」
「千代!! その男を捻り潰しなさい!!」
「ババアは引っ込んでろ!!」
叫ぶ女将に卜部が怒鳴り返す。
「立場が解って無いようね……この人たちがどうなってもいいのかしら?」
女将は幸恵を水鏡にけしかけながら言う。
「ふん……どのみちこのままじゃ全員死ぬんでな……悪いが人質に気を回す余裕はなかったよ」
卜部は水鏡を見て冷たい笑みを浮かべる。
「腹痛先生……そりゃないですってぇ……」
翡翠が足を踏みつけ、卜部がきつく睨んだので水鏡はそれ以上何も言わなかった。
女将は視線を卜部の頭から足に行き来させながら思案する。
「あなた……よく見たら相当強い霊力を持ってるわねぇ……」
女将は邪悪な笑みを浮かべて言った。
「新しい御神体にしてあげましょう!! 未来永劫ずぅーっと!! 家に仕える福の神様にしてあげる!!」
女将はニタニタと笑みを浮かべると順番にかなめ、翡翠、水鏡と指さした。
「お仲間はそのための生贄にして、あなたに喰わせてあげる!!」
卜部はそれを聞いてクククと身体を震わせると、突然無表情になって吐き捨てた。
「俺の霊感が言ってる。虫けらに喰われるのはあんただ」
卜部の眼には深い闇が渦巻いていた。それは以前見た邪神の眼を彷彿とさせるような暗く冷たい瞳。
かなめはそのことに気が付いて飛び出しそうになる。
しかしそれを見越していたかのように卜部がかなめを一瞥する。
目があった瞬間にかなめは卜部とのやり取りを思い出した。
「地下明夷。困難でも明けない夜は無いってことだ……」
正道を保つと先生は言っていた……
この禍々しい気はブラフだ……!!
かなめはゆっくり両目を閉じて卜部に了解の合図を送った。
「凄い気ね……だけどこれを見てもそんな強がりが言えるかしらねぇ……千代ちゃん。
無表情の千代は御神体に向かって深々と頭を下げると小声で何やら囁いた。
すると神殿の暗がりの奥から蠢神と呼ばれる怪異がずしり、ずしりと軋むような音を立てて降りてきた。
その姿は異様なもので身体は
「スカフィズム……」
卜部は蔑むように忌まわしいものを見るように蠢神を見て吐き捨てる。
「よくご存知ねぇ。船に挟んで動けなくなった罪人を水に浮かべて、糞尿まみれになるまで放置するのよ…それに群がった虫達にゆっくり喰わせて殺す残酷な刑罰」
千鶴は愉快そうに人指ゆびをくるくる回して続ける。
「足尾家はこれを呪術に用いた。一族に産まれた忌子にこの拷問を施して作ったのが蟲虫蠢神様よ? ふふふ……家族の肉を食わせて呪詛を増したとか……」
「忌子は背中から無数の足が生えていたそうよ……それで初代は足尾姓を賜ったとか……」
かなめは女将に強烈な嫌悪感を抱いた。
白塗りの顔に不気味な線を描く真っ赤な口紅。
紅く塗られた口が狂気的に笑うと見える糸を引く唾液。
発する言葉の隅々にまで巡った邪悪な毒。
いちいち演技がかった振る舞いと、ときおり見せる冷酷で残忍な本性。
「祓われなければならない邪悪はあなたです……」
かなめは震える声で女将に言った。
「そうね」
女将はにっこり笑った。
「でも死ぬのはあなた達。霊媒師さんは苦しみ悶えて虫に喰われながらこの世を呪いに呪って、永遠の呪物になるのよ……?」
かなめは涙を流しながら女将を睨みつけて言った。
「先生の予言は絶対外れません……!! 虫に喰われるのはあなたです……!!」
「そう…? 千代ちゃーん??」
千鶴が千代に呼びかけた瞬間、卜部が吠えた。
「かなめ!! 鈴木を殴って気絶させろ……!!」
かなめはすぐさま足下にあった石を拾い上げて水鏡に振り上げた。
「僕を生贄にするつもりかぁああああ!?」
そう言って避けようとする水鏡の動きがグッと止まる。
見ると翡翠が水鏡の襟に噛み付いて動きを制していた。
「嘘ぉおおおおおおおお!?」
かなめが両手で振り下ろした石は水鏡の頭に命中した。
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