ケース3 旅館㊶ もう一つの初夜

 

 卜部は手にした傘の先端でそっと扉を開くと、もう片方の手で逆手に握った懐中電灯を暗がりに向けた。

 

 

 暗い玄関框の上には重苦しい気配を放つ襖がぴったりと閉ざされている。まるで封印のように。

 

 

 

「あの襖です……夢で見たのと同じ柄です……」

 

 

 

 耳が痛いような静けさを破るためにかなめは思い切って口を開いた。

 

 しかしカラカラに乾いた口から出た言葉は意志に反してかすれて弱々しいものとなった。

 

 

 

 和紙や土壁の臭いがする。カビ臭い古びた和風建築は音を吸い込んでどこかにやってしまう。

 

 残された空気は嫌な静けさに支配されていた。

 

 

 そして壁や襖は吸い込んだ音の代わりに異臭を放つ。

 

 それは肺の奥深くに潜り込み内側から身体を腐敗させていく穢れた胞子のようなカビ臭さだった。

 

 

 

 それに混じって襖の奥から糞尿の臭いと鉄くさい血の臭いが漂ってくる。

 

 

 

 卜部は袖で口を覆ってつぶやいた。

 

 

 

「酷い残穢ざんえだな……」

 

 

 

 残穢……かなめは卜部の言葉を反芻する。

 

 

 ここで穢れた行為が行われたのだ。先生が口を覆うほど強烈で、ずっと残ってこびり付くほどの穢れた何かが……

 

 

 

 かなめは卜部に倣って口元を袖で覆った。

 

 

 

 卜部はかなめにタバコと指示を出した。

 

 かなめはタバコを出して火を点けようしたがうまく点けられない。

 

 

「吸いながら点けるんだよ」

 

 

 かなめは言われた通りタバコを吸って火を点けた。すると勢いよく紫煙がかなめの体内に流れ込んでくる。

 

 

 思い切り吸い込んだ煙にむせながら、かなめは卜部を睨んだ。

 

 

 

「ゲホゲホ……!! 苦っ!! 辛っ!! こんなのよく吸えますね!?」

 

 

 

「そいつは特別製だ。いいからそれ持ってろ。できるだけ俺たちを煙で包むようにしろ」

 

 

 

 かなめはむせ返りながらも、言われた通りに煙を吹きかけながら卜部の後に従った。

 

 

 

 襖を開くと骨と皮だけになった赤茶けた男が奥へと続く襖の前で畳に頭を打ち付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 夏男の手を引いて千代は洞窟の奥へと進んだ。

 

 

 灯籠に照らされた洞窟の壁にはいくつも神棚のようなものが祀られている。

 

 そこには赤ん坊の髪の毛の束や、不気味な形をした干からびたミイラのようなものが供えられていた。

 

 

 

 細い通路を抜け朱い鳥居をくぐると、頑丈そうな四角い台座がぽつんと安置されていた。

 

 

 千代はそこに夏男を横たえてささやいた。

 

 

 

「服を脱がすわ……両手を上げて……」

  

 

 夏男はバンザイの姿勢になって言った。

 

 

「ぼ、僕らの記念すべき初夜だね……!!」

 

 

 

 目隠しされたままの夏男が千代の方を見てニヤリと笑った。そして男は何度も自らの口角を舐めあげた。

 

 

 

「ええ。刺激的な夜になるわ……」

 

 

 そう言って千代は夏男の両手を台座に拘束した。

 

 

「お、おい!! な、なんだこれ!!」

 

 

 千代は夏男には答えずに台座の奥に鎮座した穢れた御神体の前に進み出ると、三つ指を付いて頭を下げた。

 

 

 

 後ろでは夏男が大声で何かを喚いていたが千代にはもはや何も聞こえない。

 

 

 

 

「我がぁ夫をお捧げしぃ……あなた様にぃ生涯お仕えすることを誓い申し上げまするぅ……」

  

 

 

 背後では拘束された夏男が罵声を浴びせている。

 

 

 

「彼の者のぉ……五臓六腑、四肢、御霊に至るまでを対価としぃ……」

 

 

 

「ここにおります千代を穢の大神であらせられる蟲虫蠢神様の端女と成し給え……」

 

 

 

 手に掛けられた鉄の枷を外そうと藻掻く音が響き渡る。

 

 

 

「その穢れし権能のままにぃ端女に力と富を与えぇ……」

 

 

「不幸と困難を祓い穢し給えと……かしこみぃかしこみぃ申す……」

 

 

 

 千代は口上を述べると立ち上がって御神体に近づいた。

 

 

 

 

 それは身体中を蟲に食い荒らされた干からびた遺体だった。そして死してなおその身体は蟲に蝕まれていた。

 

 

 遺体の四肢は鉄の枷で拘束されており所々に指が欠損している。

 

 

 その表情は苦悩と怨嗟に満ち満ちており、今にも痛みに狂った悲痛な叫びが聞こえてきそうなほど生々しかった。

  

 

 

 千代は御神体に深々と礼を示すとその指を折って口に含んだ。

 

 

 さらにもう一本の指を折ると、それを掴んだまま夏男の側に近づいた。

 

 

 

 喚き散らしながら足をじたばたさせる夏男の太ももに千代は出刃包丁の刃を突き立てた。

 

 

 

 夏男は叫び声をあげたが千代はもう一方の足にも包丁を刺して夏男を大人しくさせた。

 

 

 

「穢れの大神の御心のままに」

 

 

 そう言って千代は剥き出しになった夏男の腹に出刃包丁で傷をつけると御神体の指を傷口に深々と差し込んだ。

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