ケース3 旅館㊵

 

「おい亀。この先にもおそらく怪異がいる。今回の怪異は呪物だ。霊でもなければ人でもない。だが。襲われたら躊躇なく反撃しろ」

 

 

 204号室の前で卜部が淡々と告げる。

 

 

「さっきみたいな怪異ですか……? それと亀じゃありません」

 

 

 

 

 先程の怪異がかなめの脳裏に浮かんだ。霊でもなく人間でもない。しかしその怪異の姿は明らかに中居の一人だった。

 

 

 

 あの怪異をどう定義すればいいのかかなめは分からなかった。

 

 

 

 ほんの少し見知っただけの他人。

 

 

 それでも目の前で人が人ではない何かに変わった衝撃は、すくなからずかなめを動揺させた。

 

 

 不安定な情緒は今にも涙に変わって頬を伝いそうになる。

 

 

 

 卜部はそんなかなめに目をやると小さなため息を付いてから言う。

 

 

 

「お前は自分の身を守ることだけ考えればいい。相手が人間だろうと人外だろうと身を守ろうとすることは悪ではない」

 

 

 しっかりしろ。そう言って卜部はかなめの頭にチョップをした。

 

 

「イエッサー……うぅ痛い……」

 

 

 かなめは目に溜まった涙を痛みのせいにした。

 

 少しだけ大げさに痛がりながら涙を拭うと気持ちを立て直して卜部に向き直る。

 

 

 

 卜部はそれを確認すると扉のノブに手をかけた。

 

 

 

 二人の間に緊張が走る。 

 

 

 

 卜部がノブを回すと、扉に鍵は掛かっておらずすんなりと隙間が開いた。

 

 隙間からは血と汚物のような異臭とともに濃厚な闇が漏れ出してきた。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 卜部たちが204号室の扉の前に立つ十五分ほど前のこと、千代は夏男の手を引いてこの扉の前に立っていた。

 

 

「夏男さん。ここからは私がいいと言うまで目を瞑ってて欲しいの」

 

 

 千代は甘い声を出して夏男の耳にささやきかける。

 

 

「な、なんでだよ……?」

 

 

 夏男の顔に疑いの色が浮かんだ。小中高とからかわれ、いじめられ、騙されてきた夏男のアンテナは悪意や思惑に敏感に反応した。

 

 そのアンテナがうっすらと千代の放つ違和感に反応しはじめていた。

 

 

 

 追手の気配に耳を傾けながら千代は焦っていた。早くしなければ……母と追手をが来る前に!!

 

 

 千代は思い切って夏男のモノにズボンの上から手を触れた。夏男のモノが強く脈打つのを感じる。

 

 

 千代は精一杯の上目遣いと甘えた声で夏男にささやきかけた。

 

 

「私といいことしたいでしょ? それなら言う通りにして?」

 

 

 夏男は鼻息を荒くして股間を目一杯ふくらませると、笑いを噛み殺しながら格好をつけた。

 

 

 

「わ、わかったよ。君の好きにすれば……?」

 

 

 

 千代は手拭いで夏男に目隠しをすると夏男の手を引いて部屋の中に入った。

 

 

 静かに襖を開くと赤茶けて骨と皮だけになった幸男が壁に額を押し当てて立っていた。

 

 

 

 幸男はゴツン、ゴツンと一定の間隔で壁に額をぶつけている。

 

 

 

「何の音!?」

 

 

 

 夏男が声を出した。

 

 

 すると幸男の首がぐるりと回って穴だけになった目で夏男を凝視する。

 

 

 夏男がまた声を出す前に千代は慌てて自身の唇で夏男の口を塞いだ。

 

 

 千代は震えそうになるのを必死で堪えて、幸男の様子を窺いながら夏男の口を塞ぐ。

 

 

 口づけした状態のままそろりそろりと奥へ進み襖を開いた。

 

 

 

 幸男は相変わらずこちらを見ていたが追ってくる様子はない。

 

 

 

 襖を閉めると千代はすぐに口を離した。

 

 

 

「刺激的だね……ふふふ……」

 

 

 夏男はニヤニヤしながら言った。

 

 

 千代は口を拭うと夏男の手を引いて岩肌が剥き出しの暗い通路を奥へと急いだ。

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