ケース3 旅館㊴

 

 

 焦点の合わぬ目で水鏡たちの方を見ながら三谷の口がパクパクと動いている。

 

 

 不明瞭だが何か言葉を発しているようだった。

 

 

「み、三谷さん!? もしかして意識があるんじゃ!? わかるかい? 坂東だよ?」

 

 

 坂東はおそるおそる声をかけた。

 

 

 三谷の顔をした怪異は細長く伸びた首をかしげてまぶたを痙攣させた。

 

 

「ば……ん……さん」

 

 

 怪異はそう言った。

 

 

「そうだよ!! 坂東!!」

 

 坂東はそれを聞いて引きつった笑顔で笑いかけてみた。

 

 

「ばん……さん。ばばば……ばん……さん……ばんさんばんさんばんさんばんさん」

 

 

 

「なんだか様子がおかしいです……」

 

 

 

 翡翠がささやいた瞬間、怪異は大声で叫んだ。

 

 

 

「晩餐会だあぁあああ」 

 

 

 

「あれは坂東さんじゃなくて晩餐だよ!! 僕たちを食べるつもりだ……!!」

 

水鏡は親指以外の指を全て咥えながら目を大きくして叫んだ。 

 


 翡翠はとっさに棚に置かれた殺虫剤のスプレー缶に手を伸ばした。


 

 それを怪異めがけて吹き付ける。

 

 

 怪異は身じろぎしながら長く伸ばした首を引っ込めた。

 


 まぶたの痙攣が激しくなり大きく開いた口からは真っ黒な甲虫が次々に飛び出してくる。

 

 

 

 

「マイマイカブリだ……」

 

 百々がそれを見てつぶやく。

 

 

「虫の種類なんてなんだっていいよ!! 今のうちに早く逃げよう!!」

 

 

 

 一行は水鏡の後に続いて扉の外に飛び出した。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「幸恵さん!! 幸恵さん!!」

 

 

 揺り起こされて幸恵が目を開くとそこには心配そうにこちらを覗き込む女将の姿があった。

 

 

「幸恵さん!! よかった気がついて……」

 

 

 女将は涙を拭うような素振りを見せた。

 

 

 

「女将……ごめんなさい……部外者に別館に入られてしまいました……」

 

 

 幸恵は上体を起こして女将に告げた。

 

 女将は幸恵の両肩を掴んで首を横にふる。

 

 

 

「幸恵さんはよくやってくれたわ!! やっぱり頼りになるのは幸恵さんだけよ。それより、今から別館に向かうから一緒にきてちょうだい」

 

 

 幸恵は頷いて立ち上がった。卜部が切った縁は女将の言葉で容易く結び直されていく。

 

 

 

 女将の言葉には毒が宿っていた。

 

 

 

 それは代々呪物とともに女将に受け継がれてきたもう一つの呪い。

 

 

 

 幸恵はそのことにまったく気付かずに女将への信頼を深めていく。

 

 

 

 

 集団のなかで最も力のある女性に付くというのが彼女の処世術だった。それが女将と幸恵の結びつきをより一層強めていた。

 

 あるいは幸恵の中に燻る男性への憎悪が女将の持つ毒と強く結びついた結果がそうさせるのかもしれない。

 

 

 

 

 幸恵が盲信した女性は女将で二人目だった。

 

 一人目の女リーダーはリンチ殺人の首謀者として、今は塀の向こうにいる。

 

 幸恵は決して主犯にはならず、リーダーの傘の下で、ひたすらリーダーにだけ気に入られるよう振る舞った。

 

 その結果、女リーダーが逮捕された時も責任は主犯格の幹部に押し付けて幸恵は懲役を免れた。

 

 

 

 

 幹部たちの復讐を恐れて忌沼旅館に逃げ込んだ幸恵はそこで女将に出会ったのだ。

 

 

 

 女将が女リーダーとは異なる種類の圧倒的な権力を持っていることはすぐに分かった。

 

 その姿に強烈に惹きつけられた幸恵は他の従業員は歯牙にもかけず女将にだけ仕えてきた。

 

 

 

 

 幸恵は女将の背中を見つめながら何も疑問に思うことはない。

 

 ただその背中を見つめながら別館に向かう女将に付き従った。

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